原作改変・キャラ改変について

インタビュー記事を全文読んだ上での感想です。
揶揄や体制派の発言については正直どうでもよく、
私が問題だと感じたのは「自分が演じるならどうアレンジするか」という
自分本位な理由でキャラクター設定を変えた事です。
作品をより面白くする為という理由ならば原作を改変する事もまだ納得できるのですが…

 

(基本的には原作改変は許せない派、原作尊重派です。今回の「空母いぶき」の原作は読んだ事ありませんが、こういった原作ありモノの実写映画化・アニメ化などは、人気のある原作を映像化する事でその原作に付いてるファンの集客を見込んでの事だと思いますがその原作ファンを裏切るような事はやって欲しくはないのです)

 

原作を読んでいないので詳しく言及はできないのですが、佐藤浩市演じる総理の役はそれなりに重要な役らしくその重要キャラクターの設定を変える事で作品全体に影響が出ないのか、キャラクター設定を変えてしまう事でその総理の吐く台詞の意味が変わったり、台詞回しが変わったりする事もあると思うのですがそこまで考えた上での設定改変提案なのか甚だ疑問です。

 

バタフライエフェクトではありませんがキャラクター設定を変える事でたとえ同じ台詞であってもそのキャラクターの放つ台詞の持つ意味が変わりさらにその台詞を受けた人物に生じる感情が変わったり、と小さな歪みが大きな歪みを生む事を(主要キャラクターの性格を改変する事は小さな事ではないと思いますが)キャラクター設定を改変する事は作品全体に影響を及ぼす事を認識・理解して、覚悟をもって行うべきものであり安易に行われるべきものではないと考えます。

 

しかし、「絶対やりたくない、抵抗があった」というインタビュー記事と相まって自分が演じ易いようにという安易な理由で、しかも「自分が演じるならどうアレンジするか」というインタビュー記事から(なぜ最初からアレンジする前提で話を始めてるのかという事です)自分本位な理由で設定を改変したと思えてなりません。

 

キャラクター設定改変が作品全体にどういった影響を及ぼすのか、その影響に対しどう責任を取るのか、一役者が自分の役の事だけでなく他の役への影響や脚本・台詞回しの変更等、作品全体に与える影響まで考えて、覚悟をもって設定改変を提案しているとは到底思えないのです。

 

(私は原作尊重派ですが、絶対に改変は受け入れられない・認めないというという事ではありません。映画という尺の都合上エピソードの取捨選択は必要でしょうし、予算(金銭的・時間的)の制約で表現が難しいシーン等もあると思います。

 

しかし、そういった「エピソード」や「映像表現」の多少の改変は許容できても主要キャラクター設定改変は余程の理由がないと許容できません。
キャラクターはプロットと共に物語の重要な構成要素でありそれを安易に変更する事は、明らかに映画を作る以上に時間をかけて作品づくりをしている原作者に対して失礼であるし、その原作が好きなファンに対する裏切りです。


キャラクター設定改変を行う必然性、設定改変による影響で物語が破綻しない事、作品全体を通しての整合性が担保されなければいくら作品全体に責任を持つ監督や脚本家であっても安易に行うべき事ではありません。

 

まして企画段階から参加しているわけでもなく、脚本作りに(自分が与えられた役以外の話作りに)参加するわけでもない一役者が軽々しく自ら提案(アイデアを求められて応えたわけでなく自らアレンジを提案)するのは領分を超えた事であり、無責任な提案であると考えます)

 

今回の件で本当に問題だと思うのは、作品全体に対して責任を持つ監督や脚本家でもない一役者が軽々しく安易にキャラクター設定改変が及ぼす影響も深く考えず無責任に提案しそれがなぜだか受け入れられちゃったがために特に悪びれる様子もなく今回の様にインタビューに答えてしまった事ではないでしょうか。

 

(おそらく百田さんが怒った本当の理由は、首相や難病の揶揄についてではなく、自身の作品が映像化された事もある同じ原作者の立場として上記で述べた様な思いが根底にありそこに一役者が深く考えもせず設定改変を提案した事をインタビューで答えた事が「俺は与えられた役をただ演じるだけではなく役や作品に対して意見もでき変えさせる事ができる俳優だぜ」と得意気に語っているように感じられ原作者としての百田さんの逆鱗に触れたのではと思っています)

 

(2019年05月16日00:31 mixi日記投稿分)