アニメ「空挺ドラゴンズ」「ドロヘドロ」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「空挺ドラゴンズ」「ドロヘドロ」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

話の内容については可もなく不可もなくといった感じなのですが、近い時期に観たこの二つの作品のコンセプトが・この作品のそれぞれの原作漫画の作者が描きたい事が似ている・共通している、と感じたのでその事についてちょっと書いてみようと思います。

 

(どちらも漫画原作は未読です、アニメを観ての感想となります)

 

似ているといっても作風が似ているとかストーリーが似ているという事ではなく、作者が漫画を通して描きたい、表現したい事・作者の頭の中にある世界、その「世界観」こそを描きたい・表現したいと思っている点が似ている・共通していると感じました。


それは、「非現実の日常」という世界観で、ドラゴンが存在する世界においてのそれを狩る事を生業とする者達の群像劇であったり、トカゲ頭の住人や魔法使いが闊歩する少し(かなり?)殺伐とした世界での謎を追うドタバタ劇であったりというものになります。


上記で「~群像劇」「~謎を追う」と述べていますが、自分はこの2作品は「群像劇」や「謎を追う展開」が話の主題になっているとは思っていません。あくまで想像ですがこの2作品の漫画原作者は、「ドラゴンが当たり前に存在する世界での日常」「トカゲ人間が普通に人間と会話して餃子食ったりしてる日常」~その非現実の日常こそを描きたい・表現したいという思いがまず第一にあって、ストーリーは後から取って付けた様なものだと感じられました。

 

以下、それぞれの作品について雑感を述べたいと思います。

 

空挺ドラゴンズ
1話を観て思ったのは、この作者はジブリ好きなんだろうなぁ、でした。
飛空艇内のシーンや飛空艇クルーの描かれ方を見て思い出したのは「天空の城ラピュタ」のドーラ一家でした。多分この作者の方はラピュタのドーラ一家の事が好きで、いつか自分でドーラ一家を主役にした物語を描きたいという思いでこの作品を創ったのではと想われます(ラピュタとの共通点としては他にアニメ3話辺りで龍の巣みたいなのが出てきます。

(おそらく龍狩りの設定もこの龍の巣からきているのではないでしょうか)が、このとき流れるBGMがなんだかラピュタの龍の巣をパクっ…オマージュした様な感じでした)


また、このクルー達が様々な経歴を持つ者達が寄り集まって出来た一団みたいな描き方をされている事と財務担当に機動戦艦ナデシコのプロスペクターまんまな人が出てくる事からナデシコへのオマージュももしかしたら入っているのかもしれません。

 

ドーラ一家を主役にしてその日常を描きたい、その世界観こそを描きたいという作者がやりたい事・好きな事・表現したい事は分かるのですが…、作者的に描きたい事を描いて(龍狩りという設定や龍狩りのクルーたちを描いて)それで満足してしまったのか、ストーリやその他細かい設定について、(決して悪くはないけど)物足りない・納得がないという点があるのです。

 

ストーリーというストーリはなくまた群像劇としても各キャラの設定や落とし込みが甘く浅く感じられてしまうのです。
主人公達が龍狩りをする目的が、動機が語られない・弱い・納得が感じられないという点が残念なのです。


別に龍を狩って食べないと人類は飢えて死んでしまう訳ではなく、龍が人類の敵で龍を狩らないと人類が絶滅してしまうという訳でもなく、ただ希少食材の龍を狩るというその動機が・なぜ龍狩りでないといけないのかの説明が弱いのです。希少食材の龍肉なんて貴族等の特権階級用の珍味であろうに、主人公(ミカ)が命を懸けて龍狩りを行う動機・理由に全く共感・納得できないのです。

 

納得がゆく理由が語られず主人公達がそうまでして龍を追い回し狩る姿に話のテーマを無理矢理見つけようと思えば、反捕鯨団体目線で語られる日本の捕鯨活動を揶揄した内容のアニメとなってしまいます。もちろんそんな事があるはずないと思いたいのですが…。


もういっその事、地上は腐海で覆いつくされ肉は龍を食べるしかないという設定の方がまだ納得できるのですが…、それかドーラ一家の様に完全にアウトローな主人公達として、特に深い理由もなくただ金のために危険を冒す集団としてしまうかですね。。。


物語終盤の食育みたいな話も、テーマが見えず納得がない中で語られたそれは何だか取って付けた様な話で何も感じるところがありませんでした(違和感は感じましたが…)。

 

(龍肉の調理・料理場面、食事シーンについてもテーマをブレさせる・視聴者を混乱させる原因の一つとなっています。…この食事シーンもジブリのオマージュでしょうけど)

 

物語のテーマやキャラクター設定の部分さえシッカリ造られていれば好きな世界観で、このドーラ一家の日常をずっと観ていたいと思わせる作品でした。

 

 


ドロヘドロ
魔法でトカゲ人間に変えられた謎を追うというストーリーは一応ありますが、自分はそのストーリに何の魅力も感じてはいません。正直どうでもいいと思っていますし、たとえ謎が明かされたとしてもその展開に驚いたり感心したりする事はなく「ふ~ん」で終わる程度だと思っています。

 

この作品の魅力はストーリーや謎が明かされる事ではなくそのキャラクター達でしょう。作者が描きたいのは謎を主軸としたストーリーではなく、トカゲ人間カイマンやニカイドウ、魔法使いの煙、先輩後輩コンビ、恵比寿であったりの魅力的なキャラクターが織りなすドタバタ活劇で、亜人や魔法使い、巨大ゴキブリなど雑多なものが一つの世界に居るというそのカオスな世界こそを作者は描きたいのだと想われます。

 

そしてこの作者の方も先と同様に、カオスな世界というその世界観を描いた事で満足してしまったのか、ストーリーや細かい設定がおざなりになっている様に感じられるのです(自分がストーリーに魅力を感じないのもこの辺りが原因なのです)。

 

魔法使いの「魔法」の設定が雑で、「魔法で」できる事できない事の境界がよく分かりません。たとえば、能井後輩が使う傷を治す魔法について、どこまで回復できんの?もう修復不可能だろうと思われる状態からでも復活させてしまいます。

 

また組織のボス・煙についても煙のキノコ魔法が凄いのか煙の持つ魔力量的なものが凄いのか何が煙をボスたらしめているのかよく分かりませんでした。魔法使い世界での強者となるためには何が必要なのか?先輩後輩コンビの強さについても疑問があり、不意を打たれてやられたりしていますが強いのか弱いのかその設定がよく分からないのです(不意を打てば誰が相手でも勝てるのであれば暗殺系の魔法を持つ魔法使いが最強だと思うのですが…)

 


他にはトカゲ人間カイマンが首を切れても死なないのもよく分かりません(なにか納得できる理由があるのでしょうか?また逆にどういう状況なら絶命するのか?)。
「煙には〇〇という理由があって誰も勝てない~」という強者たり得る所以が示されていれば良かったのですが…等々、「魔法使い世界のルール・設定」という物に納得が感じられないのでした。

 

しかし、そういったストーリーや詳細設定部分に目を瞑ると、亜人が当たり前に日常に居る、という世界観(アラレちゃんのペンギン村やドラゴンボール初期の頃の都で亜人と人が当たり前に一緒に生活している様な世界)は好きなので、そんなキャラ達のドタバタ劇を日常ををずっと観ていたいと思わせる魅力のある作品でした。


どちらの作品も作者が描く世界観は好きなので、続いてゆくその日常をずっと観ていたいと思わせる魅力があるのですが、ストーリーや細かい設定部分が弱い・力が入っていない・造りが雑になっていると感じてしまう点が可もなく不可もなくという評価になってしまいました。


優秀なスタッフ・監督であれば(もし「映像研」の浅草氏みたいな人がスタッフに居たならば)、そういう細かい所が気になってアニメ化するときに補完し「納得」を造る事が出来たと思うのですが、おそらく原作に対しただただ忠実に作っているだけの・アニメーションとして動かすだけの作業になってしまっているのが残念でしたね。


(2020年05月03日23:40mixi日記投稿分)