アニメ「BNA 他3本」 ~感想

録り貯めしていたアニメを一気観しました。


以下、多少のネタバレを含む感想となります。

基本的には、可もなく不可もなくという様な作品ばかりの感想となります。

 

「LISTENERS」
OP/EDはともにセンス感じる造りで好きです。
…が、作品本編は世界観・設定がよく掴めない内に登場キャラたちが会話を進めていく展開に困惑を覚えました。


(その内容から幾原邦彦っぽい作風と感じました。あと、キャラデザは吉田健一さんっぽいなと思ったのですが、監督、キャラデザどっちも違う人でした…)。

 

例えば1話でのヒロイン・ミュウの反応について。。。ヒロインが記憶喪失という設定はまぁ良いです、話を転がすために必要な要素なのでしょう。しかしそこに『プレイヤー』というこの作品世界の設定が乗ってきます。


『プレイヤー』にはアンプと接続するための機械的な穴が空いているのですがこの『プレイヤー』は改造人間的なものなのか?人造人間なのか?観ている側がその設定がよく分からない中でヒロインが見せる会話に対するその反応が、果たして記憶喪失からくるものなのか『プレイヤー』であるから(人間的な常識がないから)なのか判別つかないまま会話が進んで行くのです。

 

2話以降においても、話の展開、会話のテンポ・流れに理解が追いつかないところがあり、おそらくこの脚本家は論理的に物語を組み立てるのではなく「感覚」で脚本を書いてるのだろうという感じを受けました。
また、物語序盤~中盤までの話の展開は、基本的にRPGのお使い(○○をするためには△△が必要で、だからまず××へ行きなさい、という)展開の繰り返しで退屈を感じました。


この会話や物語の展開も含めて直感に訴える「作品」だと思えば良いのでしょうが、自分的にはなんとなく全体として纏まりがない微妙な感じでしたね。
この感覚に訴えてくる感じ、が好きな人にはハマる作品かもしれないと感じた、そんなアニメでした。

 

 

「ID: INVADED イド:インヴェイデッド」/「pet(ペット)」
この2つの作品はどちらも「記憶」に関係した物語であったので一緒に語ろうと思います。

 

まず「ID: INVADED イド:インヴェイデッド」ですが、
1話を観て思ったのはSF+ミステリの「サイコパス」の様な作品かなでした。そこからかなり期待していたのですが、段々と失速していきましたね、残念です。

 

(あおきえい監督作品は1話だけ観ると面白そうに感じるのですが残念な事に必ずと言っていいほど失速して行きますね、「喰霊-零-」、「アルドノア・ゼロ」もそうでした)

 

残念な点を3点ほど上げると、
まず、ジョン・ウォーカーについて。自分は、ジョン・ウォーカーは「他人への悪意、支配欲・征服欲」といったものが人の記憶・脳の中で具象化した概念的な存在だと思っていました。
もしくは実在の人物であったとしても、それは殺人犯達が共通して読んでいた本であったり論文であったりの故人(本・論文の著者)の思想に影響された結果、殺人犯達の頭の中に生み出された存在だと思っていました。
それがまさか現在進行形で実在する人物が実際に手を下している・行なっているとは思っていもみませんでした。なんだか急に話が陳腐になった、規模が小さくなったなぁと感じたのでした。

 

そして、中盤以降、事件解決のための話やジョン・ウォーカーとの闘い?イドの中の闘いがあまりに観念的な話になっていく(観念的に解決する)のも残念な点です。
ミヅハノメ」システムはもっとSFチックなシステムだと思っていたのですが、上記の様な観念的な話になって行く原因は…以下に続きます。

 

最も残念な点は、SFだと思っていた・期待していた想いを裏切られた点ですかね。SFだと思っていたらオカルトでした。
ミヅハノメ」のシステムの基になっているのは、ある一人の人間の特殊能力(この時点でオカルト)です。よしんば、その少女の能力については(その少女一人だけが特殊で、超能力が当たり前にある世界・ファンタジーではないと)納得したとしても、その少女の能力・イド世界がシステムの外、現実世界へも影響するという終盤の展開は、もはやSFではなくオカルトで許容できず残念なのです。

 

サイコパス」の設定・脚本に及ぶべくもなく、期待したのが間違いだったのかね、という感じの作品でした。

 


続いて、「pet(ペット)」です。
1話を観た後は何だこれ?訳わからんと感じたのですが(1話目で問題編、2話目で答え合わせの様な回でした)、観進めていく内にその能力・設定が分かって行き面白く感じました。


人の記憶に潜る事ができる特殊能力者の話で、山/谷/鍵といった設定がしっかりしており、その設定の中で話を面白く構成してありました。


視聴前は「ID: INVADED イド:インヴェイデッド」の方が期待値が高かったのですが、結果的には「pet(ペット)」の方が面白かったです。

ただ、絵柄・物語の規模・演出等は全体的に地味だな…古臭いと感じましたが…そこがちょっと残念ですね。

 

 

「BNA」
差別・偏見がテーマと思われる作品。
限りなく「良」寄りの「可」の作品でした。
おそらく自分の中で「中島かずき」脚本に対する期待値が上がり過ぎていたんだと思います(中島かずき脚本は好きです。グレンラガンから入り、ゲキ×シネも3本くらい観たかな。プロメアも観ました。あとは仮面ライダーWのイエスタデイの能力面白い!と思った)。
全然悪くはなく普通に面白かったのですが、「中島かずき脚本!間違いない!」という想いからか少し気になったところが幾つかあります。

 

主人公みちるの獣人化については、輸血が原因と本編内で明かされていますが、様々な形態(鳥やゴリラ、うさ耳等)変化はどういう事でしょうか。おそらくは「タヌキ」「キツネ」の「変化(へんげ)・化ける」能力という事なのでしょうが、あれは変化の枠を超えていると思っています。タヌキ・キツネの変化は実際に変身するというより幻覚を見せる様なものだと自分は理解していて、あくまで幻覚によって腕がでかくなったり、伸びたりしている様に見えるだけで、実際に腕がでかくなり剛力になるという事や、腕が長くなり遠くの物を掴めるという変化はあり得ない事だと思っています。…WIKIによると、中島かずきさんが参加される前に、すでに獣人・変身モノというモチーフが決まっていたそうなので、中島かずきさんの責任ではないと考えられますね。
まぁ納得しようとするなら主人公補正というところでしょうか。ちょっと気になりました。

 

次に、アランの行動について。
視聴者的にはアランが黒幕なのは何話も前から分かっていたのですが、みちるや士郎が疑問に思う様に、何のために銀狼教団を招き入れ、ニルヴァジールシンドロームを引き起こそうとしているのかその意図が不明でした。


アランが何をしたいのか散々引っ張った挙句の理由が、暴動を起こさせ獣人を人にする大義名分を得るため、そして雑種の獣人を人間にし、純血の自分が人間を裏から支配するためという、教団や総理など多くを巻き込み色々と搦め手を用いたのに、その巻き込んだ規模に対しなんだかちっさい・弱い理由…と思ってしまいました。

 

最後に、主人公みちるの性格・キャラクターについて。
物語終盤、ニルヴァジールシンドロームの対処法として獣人を人にするというアランの提案に、主人公は乗ります(反対する士郎と対立する)。アランの提案に乗るみちるの判断に、観ている自分は「え?」となりました。


ニルヴァジールシンドロームで「死ぬよりかは良い」という判断からですが、本来の・元来の自分ではなくなるという事を受け入れるんだな、そういう性格だったんだなと、10話以上も観てきて主人公みちるのキャラクターを掴めていなかった事に驚きました。


しかし、その後「人間から獣人になった自分(みちる)」が『自分』ではなくなる事の恐さを一番分かっているはずなのに…、とその判断を覆します。ここで、う~ん?主人公みちるのキャラクターうまく描けてなかったのではないかと感じちょっと残念に思いました。


(おそらくこの話を生かすためにはもう1話、ニルヴァジールシンドロームが原因で身近な獣人が亡くなる(その結果、死ぬよりかは獣人から人になった方が良いのではと、みちるが悩む)というエピソードが必要だったのではと思います)

 

獣人の成り立ち(人類史の裏に昔から存在していたが近代化とともに表に出ざるを得なくなった)、ニルヴァジールシンドロームの設定(表に出る事になり集団で獣人が暮らす事で初めて発症する)等は納得できて面白いです。
噛めば噛むほど味が出てくる、おそらく観れば観るほど面白さが分かってくるそんな作品だと思います。この辺りはさすが中島かずき脚本だなと感じています。

 

アニマシティ…、獣人のパラダイスの様に描いていますが本当は問題なんですよね。アニマシティの本質は、「あの人は(心/身体)病気・障害だから、普通じゃない(異常)だから」という理解できないものをレッテル張りして枠組み作って型にハメようとする、「病気である・異常である」とする事で本当は理解していないものを理解した気になって、そして隔離・管理する事で安心しようとする差別・偏見の象徴に他ならないんですよね。

 


差別・偏見というテーマに対し、獣人が獣人として生きる・自分が自分として生きるという、他者(外部)からの圧力によって歪められたりしない自己確立というのがこの作品の回答であったのかなと感じました。


(2020年07月27日23:58mixi日記投稿分)