漫画「HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)」について気になる点、不満に思う点

以下、HUNTER×HUNTERハンター×ハンター)について、多少のネタバレを含む感想となります。


まず始める前に述べておくと、HUNTER×HUNTER好きですよ。
コミックスこそ買ってはいませんが、ジャンプで連載していれば読んでいます。
(コンビニのリミックス版は買って読んでました)

 

話の構成、盛り上げ方も悔しいですがやはり巧く面白いです。
悔しい、というのはあの不定期連載の形ですね。毎週毎週真面目に描いてる他の漫画家からしたらやってられないでしょうし、読者としても面白いからしょうがねぇかとは思えないですよね。
ですが、やはり面白い漫画を描く才能は持ってるんですよねえ。

(たとえ人より時間を掛けて描いた結果であっても)自分が「面白い!」と思って描いたものを他人にも同じ様に「面白い!」と思わせる物が描けるというのは才能があるという事だと考えています。
漫画家・冨樫義博本人はともかく漫画自体は間違いなく面白いと思っています。
そこが、悔しいですよね。

 


で、本題ですが、漫画自体が面白いのは間違いないのですが、いくつか気になる点、不満に思う点があります。

 


【旅団編・ヨークシン編】
制約と誓約で旅団に対しては無敵に近い能力を得たクラピカがウボォーギンと対峙するシーン。
その戦闘の際、クラピカはウボォーの全力パンチを食らいますが、腕を骨折する程度のダメージとなっています。
ここが疑問なのです。
いくらエンペラータイム(絶対時間)で全ての系統を100%使えるとしても、おかしな話なのです。


エンペラータイムについておさらいですが、
本来は具現化系であるクラピカが60%しか発揮できない強化系の能力を100%発揮できる(全ての系統を100%発揮できる)という能力となり、
例えばクラピカの念の修得レベルがLv30だとしたら強化系のレベルは通常時はLv18となりエンペラータイム(絶対時間)時でLv30となります。
念を覚えて間もないクラピカのレベルに対し、A級首でもある旅団員のウボォーはおそらく念を覚えて10年以上(最低でもクルタ族虐殺の5年以上?)の熟練者でレベルもクラピカの倍以上はあってもおかしくないと考えています。


作中のビッグバンインパクトの威力から見ても(同期のゴンのジャジャン拳・グー(G・I編時)の数倍、下手したら十数倍の威力)、レベルが段違いなのが分かると思います。


(何とか納得しようと考えるなら、幽遊白書の蔵馬ばりに「うまい食事と適度な運動」で短期間で自身を急激にレベルアップさせた…ちょっと無理ありますよね)

 

上述した様に、念のレベル・オーラ総量そのものの圧倒的な違いから、いくらクラピカが100%の精度で強化系を発揮できたとしても、ウボォーの100%パンチを食らって腕の骨が折れるくらいで済むとは思えないのです。
たとえ「硬」でガードしたとしてもその圧倒的レベル差から最低でも腕が跡形もなく吹っ飛ぶ、「硬」以外(「凝」であっても)なら左半身が吹っ飛ぶくらいしないとおかしいと考えています。

クラピカの旅団に対しての無敵っぷりを見せるための演出なのかもしれませんが、クラピカはウボォーの100%パンチを真正面から受けてはいけなかったと思いますよ…。
(ここを何とか納得しようと考えるなら、この時点で既にチェーンジェイル(束縛する中指の鎖)でウボォーの念能力を封じていたとか…でしょうか、無理くりですがね)

 

…制約と誓約で強化している・付与しているのはあくまで「 チェーンジェイル(束縛する中指の鎖)」に【限りなく切れない鎖】と【捕らえた者を絶にする】能力のみであり、制約と誓約でクラピカのオーラ量そのものが強化されている訳ではありません。

なのでそのクラピカがウボォーの全力パンチを真正面から受けきる事に納得がないのです。

 

 

【キメラアント編】

・キメラアント編・メルエム戦の決着、終わり方が好きくありません。
…あの終わり方に「感動した」「泣いた」という様な声を聞きますが、自分的には「えー?」と疑問、不満があるのです。

 

念能力とは全く関係のない「兵器・生物化学兵器」による決着にハンター×ハンターを読んできた読者は不満を感じないのでしょうか?
そしてその不満の声を濁すためかのような感動話の造りが好きくないのです。


…いや話自体や魅せ方は巧いし面白いのですよ。黒塗りで吹き出しのみの頁で読み進めさせるその力も凄いと思います。


が、やはりハンター×ハンターをずっと読んできた「漫画読み」としてはあの展開はちょっと…と疑問に思うのです…こう考える自分は少数派ですかね?

 

メルエムをあまりに「個」として強くし過ぎたから戦略兵器による決着にしたのか分かりませんが、念能力ではない「兵器」による決着はダメでしょう。
今後どんな強敵・念能力者が現れても、「貧者の薔薇」使えば良いじゃん、となってしまいますよ…。修行して強くなったり頭使って善戦したりというのが馬鹿みたいに思える展開になりかねませんよ…と。

 

また、上述したような今後の展開についての話とは別の話として、「情報不足の相手に自爆・特攻技はリスキー」でしょうと考える部分もあります。


ネテロ会長やハンター協会はメルエムの能力をすべて把握していた訳ではありませんよね?
協会側はメルエムが念能力者を食べる事でオーラや念能力(発)そのものを吸収する能力を把握していなかったと考えています。


もし、メルエムがノブの「4次元マンション」の様な別空間に逃れる能力を持っていたとしたら会長の自爆「貧者の薔薇」は無意味に終わっていましたよ。
相手の能力も分からない内に・確実に仕留められる保証もなく人類最強の「個」を自爆させるのはあまりにリスキーだと思うのです…結果オーライとはなりましたがやはり情報は大事ですよね。。。

 


・制約と誓約によるゴンの成長
一応、「制約と誓約」によるパワーアップですが、ほとんど「イヤボーン」ですよね。
悲劇から強い怒りの感情が生まれパワーアップするという展開です。

 

このイヤボーン展開自体は燃える展開で別に良いのですが、「制約と誓約」が軽く使われてるなと感じるのです。
ゴンはその反動として半死半生になりますが、命を落とす事はありませんでした。
確実な死・命を賭ける様な「誓約」でなくともピトーを圧倒できたという事なのです。
いくらゴンが1000万人に一人の才能の持ち主だとしても命を賭ける事なく・失う事なく護衛軍を圧倒できるのなら、ノブ、モラウ辺りのレベル(数百万人に一人の才能???※ズシが10万人に一人という事から考えて)の念能力者が確実な「死」「命」を代償に「誓約」を掛けたなら護衛軍を軽く倒せたのではと思えるのです。
あの場で・人類存亡を懸けた戦いの場で命を惜しむ者はいないでしょうから(ノブ除く)。

 

「制約と誓約」は一度誓ったら簡単に外せない・付けたり外したりできない重いものにしないと、名前を変えただけの便利なイヤボーンになってしまいますよ。。。と気になったのです。

 

 

暗黒大陸編】

・死後強まる念
これも最近特に暗黒大陸編で軽く使われるなと感じます。
カキンの中にもいましたが、今回語るのはヒソカになります。
天空闘技場でクロロと対峙したヒソカ。勝負はヒソカの死亡で決着しますが、死ぬ前にバンジーガムに念を掛けてから逝きます。
そして死後強まる念によりヒソカは復活を果たす事となります。

あんな死ぬ間際にちょろっと掛けた様な念で復活できるのはどうだろうと思うのです。 
一応ヒソカの場合は一か八かの賭けだったのでしょうが、カキンの件もあって「死後強まる念」で復活できるのなら何でもありだなと感じてしまいました。

 

最初に出てきたときは「死後強まる念」はある限定的な執念や妄執だったと思うのですが、今は何でもありの便利な念になってるような気がします。

 

ヒソカまでは許容できたんですけど、カキンはやり過ぎだろうと感じるのです。
以前、クラピカと師匠が会話していましたが念能力でも具現化できないものがある、という様にいくら「死後強まる念」だらかといって「何でもあり」になってはダメしょう。
それこそ死んで蘇るなんて簡単にできてはダメでしょう(その意味ではカイトの転生も念能力で実現できたらダメだと思っています)

 

ハンター×ハンターが好きだからこそ感じる
「制約と誓約」や「死後強まる念」がちょっと便利すぎる設定になってるのが気になるというか不満ですね。。。


以上