アニメ「BEASTARS(第2期)」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「BEASTARS(第2期)」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


またまたありました。BEASTARS(第1期)の感想でも書いた、意味不明な画面二分割カット。
犬が一匹走る場面で、同じ犬の横向きカットと後ろから撮ったカットを同一画面で二分割で見せていました。
い、意味分からん…ただ犬が一匹走ってるだけだよ…後ろから何かに追われてるわけでもないのに…
なにこれ?ナンダロ?もしかしたらコマ割りされた漫画の2コマを1枚の画としてそのままアニメにしちゃったのかな…特に深い考えや意味もなく…
わからん、謎センス。この後もドンドン出てきます…特に効果のない画面2分割カット。。。
原画一枚の画の力を信じていないんだろうな、制作陣が…。
または、CGで処理するとき、画面を小さくした方が一枚の画の中の情報量が少なくなり描きやすいという省エネのための作画演出なのか?
…作品のための演出だけではなく自分たちの都合のための演出としか思えずやはり好きになれません。
何だろ、この作品の監督はあまりアニメを作った事がない、映像を撮った事が人なのだろうか、なぜこんな事やるのか本当に意味分からん。
一枚の画で魅せる事への創意工夫、構図のカッコよさというのを追及したりせんのだろうか?
特に演出効果のない画面2分割カットを多用するこの監督のセンスが理解できん。


と、まあ演出面についてはここまでで、以下は物語の内容・お話について。。。

 

BEASTARS(第1期)の感想でも書きましたが、自分はこの作品にハマる事はありませんでした。
第2期を観てもやはりそれは変わらず…、それどころかやはりこの作者は何が書きたいのか分からない…作者自身でも分かってないんじゃないのか、やはり「納得」が造れていないと感じ、第1期で抱いた自分の感想に間違いない事を再確認したのでした。

 

レゴシとクマとルイが話の本筋だと思うのですが、
それ以外のところの、演劇部員回りの肉食-草食共存の是非について…肉食-草食の対立?分かり合えなさの話(トラ男と羊?女子、狼少女(ジュノ)とその友達の話、アルマジロ?アリクイ?の腕がもげる話)が描かれていましたが、あれで作者は何を訴えたかったのか良く分かりませんでした。話をどこに持って行こうとしているの?
今後、肉食-草食共存が大きく変わる様な話になって行くの?この今の共存関係はつい最近(数年~十年以内)できたものなの?今後そんなに簡単に変わる様なものなの?
変わった末に、物語が綺麗に纏まるの?仮に変わったとしても結局は個人の意識問題みたいになるんじゃないの?だとしたら今の共存関係と何か違うの?変わる意味あるの?
本当に先の先まで、最終回の構想が見えて物語創ってんの?構成できてんの?と不安が拭えないのです。

 

途中のレゴシの修行の意味も分からないし(結局、肉食うし…パンダが意味あり気に、レゴシは他の奴と違うぜ…みたいな事言ってたのが全部吹き飛ぶ展開じゃん…)、今回はハルの存在意義も薄いし、本当にテーマが・何を描きたいのか分からん…。

 

物語を創作してんのに、フィクションを自らの手で作ってんのに、今後の展開に関わる事のない様なエピソードをなぜ挿入するのか?なぜその様な無意味な構成にするのか?

(別にドキュメンタリーを撮ってる訳ではないのに~密着して四六時中カメラ回してる訳でないのに~、何故そういう意無意味なエピソードを創るのか分からない)

やはり自分には合わない作品です。


作品の評価としては可もなく不可もなくとなります。


以上