実写映画「バクマン。」 ~感想

なんだか、ふと「そういえば『バクマン。』の実写映画まだ観た事なかったなぁ」と思い起こされたのでつい最近配信で視聴しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


これは…、この作品は…、「バクマン。」ではないですね。。。
原作漫画のキャラクターと同じ名前をした登場人物が出てくるというだけの別作品、と言っていいですよ、この映画は…。

 


キャラクターがね…、原作漫画のキャラと全然違うんですよね…(容姿ではないですよ、性格の話ね)。
このキャラはこんなこと言わない…、このキャラはこんな事しない…、という様な原作漫画のキャラから改変・改悪されたキャラにしてんのよね…この実写映画版は。。。
ホント意味分からん改変・改悪であり、この映画の脚本家・監督は(この映画は脚本兼監督で大根仁さんて方が担当されていますが)おそらく原作から・漫画から、このキャラはどういうキャラクターかを読み取る能力/センスが欠如している方なのでしょうね…いやね、ヘイトを受ける様なキャラの改変・改悪を敢えてする意味が全く分からんからね。。。


少し具体的に述べると、まず、亜豆のキャラ。
原作では、見た感じこそ物静かで大人しいイメージがありますが実はサイコーよりも頑固(原作中でサイコーも大概頑固者ですが)、~自分が正しいと思う事は他人からなんと云われ様と曲げない~なキャラクターとして描かれています。
そんな性格なので、原作漫画ではサイコーとの交際関係が事務所にバレたときも「自分達は何も悪い事はしていない」と事務所からの交際否定宣言命令を拒否しました。
しかし、映画版の亜豆は事務所からの交際禁止命令を唯々諾々と受け入れるのです、全く真逆のキャラとして描かれているのです。
ホントなぜこんなキャラ改変・改悪をやるのか…。いやね、おそらく2時間の映画の中でドラマを作りたかったというそれはそれは大変浅はかな考え・センスの欠片もない脚本・監督様のお考えだったと想像するのですが…ね。

(あと、「亜豆」ついで言わせてもらうと…(これはキャラクターというよりキャスティングについてなのですが)、
映画版の亜豆役のアニメアフレコ場面、あれ酷すぎるでしょ…。本物の声優を亜豆役俳優として使った方が良いよ…声が全然アニメ声(声優向きの声)でなく、またアフレコも下手過ぎて
センス・実力もなく声優になるための努力も全くしていない様に感じられる素人がただ「声優になりたい」と言ってるだけの奴、に亜豆が見えちゃうのよ…。亜豆の声優としての実力がこの映画版で見せた様な実力だったら亜豆がヒロイン役を勝ち取る事は到底無理でサイコーと亜豆は一生結婚できねーだろうな、と感じましたとさ。
原作を読み取るセンスもなければキャスティングもセンスないのかこの監督は…(いや、もしかしたら外部の圧力あってのキャスティングかも知らんが)。

 


次にエイジ。
映画版のエイジは訳の分からん、ただの気持ち悪い奴になっています。
原作のエイジは言動こそ奇妙・変人っぽく描かれていますが、漫画に対しては真摯でありまたそれを描く漫画家にもリスペクトがあります。
しかし、映画版のエイジは他人の原稿に平気で手を加えたり、漫画や漫画家に対する愛が感じられない様な描写がなされているのです。
ホントにこの監督は原作のなにをどう読み取ってエイジのキャラをこんな改変・改悪したのか…。
推察するに、この監督は2時間の映画の中でドラマを作るためにエイジを悪役にしたかったのでしょうね…でも違うでしょ?普通に原作漫画を読めば理解できる(読み取る必要もなくただ文字を追えば理解できる)と思うのだけど、
エイジの役はヘイトを集める悪役ではなくてともに高め合う「ライバル」、サイコーを焚きつける・煽動/先導する一歩先を行く漫画家として描くべきでしょ?
と、原作漫画のエイジとは程遠い本当に訳の分からないボロボロなキャラクターとなってしまっているのです。。。

 


そして次に服部(哲)のキャラクターも改変されています。
原作漫画ではサイコー、シュージン達を導く有能な担当編集として描かれいました(最序盤はキャラが定まっていなかったのか微妙な描かれ方をしていましたが次第に静かながらも熱血なキャラとなりました)が、
映画版の服部は無精ヒゲを生やしたやる気のない感じのキャラとなっています。ビジュアルだけで言うと原作漫画の瓶子編集な感じです。
バクマン。」で描いているテーマの一つに「漫画家と担当編集」の関係があると思っているのですが、映画版では服部のキャラが「やる気のない担当編集」に改変されている事でサイコー、シュージンと服部の「漫画家と担当編集」の関係がもの凄く希薄になっているのです。原作で描かれている様な厚い信頼関係が描けていないのです…まぁしかし服部のキャラ変に関しては尺の都合もあるので(厚い信頼を築くまでのお話を描くには時間が足りないので)仕方ないかなと思わないでもないですが、ね。
(服部のキャラ変はなんとか許容できますが、亜豆やエイジのキャラ変はキャラクターの根本・お話の根本に関わる内容なので許容できないのですがね)

 


他にも、映画版のサイコーのキャラがしっかり描けていない部分(サイコーはただ絵が上手いだけの奴ではなく、学校の成績は良くないかもだけど地頭は良いというキャラクターとして原作では描かれていた)
などもちょこちょこあり、この監督のセンスのなさが見えてくるのです。。。

 


監督のセンスのなさ、ついでに脚本・構成についても述べると、
…たしかに原作漫画「バクマン。」の内容を2時間で形あるものに収める難しさは理解しますが、
「疑探偵TRAP」編のサイコー入院→強制休載の話を2時間の映画で収めるための物語としてチョイスするかねぇ…。
まぁね、サイコーが倒れる話は、叔父でありサイコーが漫画家を目指す原点である川口たろうの死に関わる話も絡んでくるのでこの話を取り上げるのは分からんでもないのですが…、
しかし原作漫画の「疑探偵TRAP」編の強制休載の一番の盛り上がり所は、編集長の理不尽な長期強制休載に対するエイジも含めた福田組のボイコットにあると思っているのですが、
尺の限られた映画版では当然福田組との関係やエイジとの関係も描けないのでボイコット騒ぎは起きません…それだったら(「疑探偵TRAP」編の一番の盛り上がり所であるボイコット騒ぎを描かないのであれば)この話をチョイスする意味はほとんどないのだけどなぁ、と考えるのです。

 

俺だったら「PCP」編の、現実で模倣犯が現れてシュージンがスランプになる話をチョイスしてそこに漫画家同士の絆や編集が漫画家を護る話「漫画家と編集の関係」を描く物語にするけどなぁ…、このエピソードなら尺的にも問題ないだろうし。。。
この監督はそういうチョイスは思い付きもせんかったのかな?ホントに原作読んでるのかな?読んだ上でのチョイスだったらやはりセンスがないとしか…。
(まぁこの場合、初連載作品が「PCP」という改変にはなりますが映画版でも初連載作品は「疑探偵TRAP」ではなく「この世は金と知恵」に改変されていますからね)


あとは、キャラクターやお話の構成以外の細かい所で述べるなら、漫画アシスタントが居ないのよね…。
いやね別に、原作漫画の小河や加藤の様な名前のあるキャラクターを出せと言っているのではなく、週刊漫画の連載をサイコーとシュージンだけでやっている・2人だけで週刊連載の漫画原稿を完成させているという描き方がもの凄く不自然に感じるというかリアリティがないのよね…。そういうとこ気にならんのかしらこの監督は…。漫画家にアシスタントが居る事なんてほとんどの人は知ってんじゃないの?周知の事実なんじゃないの?
がっつりキャラクターやアシスタントの説明を描く必要はなくアシスタントを雇い入れるシーンをワンカットだけでも挿入すれば良いのに(画面に映ってさえいれば原作ファンは「あれは小河だ、加藤だ、高浜だ」と勝手に想像・納得するのにね…)、この監督は作品としてのリアリティを奪っただけでなく原作ファンの想像する楽しみも奪っている訳なのよ。。。

 


ホントこの脚本・監督のセンスのなさ(原作漫画からのキャラクターやお話の読み取りセンスのなさ~変えてはいけない設定を改変・改悪したり、エピソードのチョイスを間違ったり~)、
原作漫画へのリスペクトのなさ、そしてそれ故の原作漫画ファンに対するサービス精神のなさ等々、色々と残念な監督による残念な作品でした。。。
…実写版デスノートの金子監督なら良かったのに…と感じましたよ。金子監督はデスノートをしっかり読んで理解し原作とは物語を変えながらも監督なりのデスノートを創っていたからね…俺は最後の結末は原作漫画より実写映画版の結末の方が好きなのよね。金子監督はしっかり自分の中で「納得」を作る監督、という印象。

 


一点だけ、この映画の良い所を述べるなら、それはエンドロールですね。
ホント、エンドロールの映像が一番面白かったですよ。
エンドロール・スタッフ名の見せ方が粋なんですよね。
エンドロールの映像はJC(ジャンプコミックス)の背表紙の映像が入るんですけど、途中からJC(ジャンプコミックス)とは違うBCという背表紙のコミックが出てきます。
そのBCの背表紙は歴代JC(ジャンプコミックス)をパロった作りとなっていて例えば
JC「ヒカルの碁」→BC「ヒカルの照明」
JC「北斗の拳」→BC「衣装の拳」
JC「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」→BC「アートアシスタント外伝 すごいよ!!美術助手さん」
JC「テニスの王子様」→BC「制作の主任様」
JC「魁!!男塾」→BC「魁!!特機」
等々となっていて、
JC(ジャンプコミックス)での作者名のところに担当スタッフ名が記されている訳です。
で、これまた粋なのがその中のいくつか(全てではない)は背表紙の絵をオリジナルの漫画家に書き下ろしてもらっている?みたいなんですよね。
(もしかしたら別人がオリジナルの漫画家のタッチに似せた絵を描いてるだけなのかもしれませんが…)

 

BCの内のいくつかはパロディ・ネタ元のコミックが分からなかったのですが、エンドロールだけは面白くてじっくり集中して観てましたよ。
(ちなみにこのエンドロールについて監督は関与してないと思われます、エンドロール中にエンドロール担当のスタッフがクレジットされていたので)


エンドロール以外は特に見るべき所のない作品でしたよ。


以上