アニメ「白い砂のアクアトープ」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「白い砂のアクアトープ」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


物語序盤を観てて思ったのは、朝ドラみたいだな…でした。
もっと言うなら、実在の人物をモデルにしたタイプの波乱万丈な人生が描かれた朝ドラではなく、オリジナルヒロインが活躍する(実在モデルタイプほどには波乱万丈が起きない)…近年で言えば「おかえりモネ」の様な朝ドラ味を感じアニメ作品でしたね。


まぁP.A.WORKSの『お仕事シリーズ』ってのがそもそも朝ドラの働く女性(夫を支える系もあるけど)の活躍を描くというコンセプトが同じではあるんですけどね。

 

しかし、この『お仕事シリーズ』って…俺的には別に嫌い・苦手ではないけど大して好きくないのよね、『SHIROBAKO』以外は…。。。
別に作品でチョイスする「お仕事・職業」に何か問題がある訳ではないのよ…、旅館の仕事でも観光の仕事でもアニメ業界の仕事でも水族館の仕事でもイイんだけどさぁ、、、
やはり半端に(フィクションでありながらも)現実・リアルを取り入れてる分、ドラマチックさ・お話の構成/起伏が弱い所があるんですよね…(『SHIROBAKO』除く)。

SHIROBAKO』はシリーズ全体を通しての構成の巧さ、そしてキャラクター造形の巧さ、で俺的に2014年「優」評価の作品となるのですが…、これは別に「アニメ業界」を題材にしたからというのが「優」評価の理由ではなく、それはやはりシリーズ構成の巧さが一番の理由なんですよね。

 


今作「白い砂のアクアトープ」はシリーズ構成がダメ、なんですよね…さらに言えばキャラクター造形も巧くない。。。
なんでしょうね、『SHIROBAKO』との差は…、監督・シリーズ構成・脚本家の能力の差、という事になるのでしょうかね。

 


「~アクアトープ」は全24話2クール作品で、1クール目「がまがま編」、2クール目「ティンガーラ編」という構成ですが、
1クール目の「がまがま編」の物語がほぼほぼ2クール目に活きていない…、1クール目「がまがま編」がキャラ紹介みたいな章にしかなっていない・「ティンガーラ編」になって「がまがま」がただ過去を・思い出を振り返るためのパーツにしかなっていないのですよね。
シリーズ全体を通しての「がまがま編」からの「ティンガーラ編」への構成が綺麗く纏まっていない雑な構成というか、構成しようとしてたのかすら怪しい…老朽化で潰れるだけの展開なら丸々1クール消費せず7~8話で「がまがま編」終わらせてサッと「ティンガーラ編」へ進みゃあ良いのに、、、と感じるのですよね。
いやね、これがまだ「キャラ紹介、過去の思い出」以上の意味が「がまがま編」に与えられていて「ティンガーラ編」でそれが活きてくる様な構成になっていれば1クール使う意味も理解するのですが…そうはなっていないのがダメ・残念なのですよね。

 


続いて、脚本、キャラクター設定・描写について気になったところを少々。
まず第2話、風花がペンギンの餌やりで失敗しそれに対しくくるが「生き物を扱う事の難しさ・責任の重大さ」を説くというか怒るというシーン。
くくるの生き物に対する真摯さ・誠実さを表しているのだと思うのですが、別に風花はふざけていて失敗した訳じゃないのにそんな怒らんでも…、ほぼ初対面の相手にそんなに怒るか?すぐキレるというキャラの娘なの?と感じてしまうのですよ。

 

他では「ティンガーラ編」での13話だったか、
くくるがティンガーラで営業の仕事を失敗して、がまがまのやり方は通用しない、忘れろみたいな事を言われるというお話について。
確かにね、がまがまと同じやり方では通用しないかもですが、曲がりなりにも館長(代理)もやってたくくるが全く何もできない、話の都合上ただただ失敗するという展開はどうかな?と納得がないのです…100%の成功は無理でも50%ぐらいできてもイイやろ、と思う訳ですよ。

 

上述した第2話、第13話だけを例に挙げても感じる話の不自然さ、納得のない展開…その理由は、ストーリーの展開ありきで脚本を書いてるからおかしくなっているんですよね。
キャラクターありきで物語を自然に展開させないから納得がない脚本になっているのですよ。
そういう納得のない事をやってるからシリーズ構成もキャラクター造形もダメな・残念な事になっているんですよね。

 

(
あと別件ですが13話ついでに語っておくと、副館長のパワハラが酷いね。
この作品の舞台って現代だよね?30~40年前の日本が舞台ではないよね?
大勢の前で「使えなさそう」、「雑魚、いや雑魚以下」からのプランクトン呼びって…、、、
もしこの作品が朝ドラでやってたら今なら「白アク反省会」のハッシュタグ付いてたよ…、今の時代あり得ないねってね。


…そしてこの「プランクトン呼び」も最終回でくくるの成長を示すために呼び名が変わるギミックでしかなく特に副館長のキャラ(前職で水族館を守れなかった、生き物を守れなかったという自責の念に駆られているというキャラ)を深掘りする様な・キャラと関係した・キャラを表したものになっていない(ギミック以上の意味がない)という、お話の構成とキャラ設定の関係の薄っぺらさを示すものとなっていますね。

 

自分のブログの中で常々言っている、とある漫画の『納得は全てに優先する』ってのはホント真理だなと思う訳ですよ。
人が何かに対しイライラしたり落胆したり悲しくなったりするのは全てそこに「納得」がないから、なんですよね。「納得」があればツライ出来事・悲しい出来事も受け入れられる、前へ進める…けど「納得」がないとそこで止まっちゃうのよね…。

「納得」のない脚本・ストーリー展開、キャラ設定のこの作品がもし朝ドラで放送されてたら、たぶん今話題の朝ドラ(俺は観た事ないけど)と同じ様に炎上脚本になってたと思うよ。
)

 


他にもキャラクター設定・描写で気になるというか気に食わないのが、
空也は結局女子が苦手のまま?いやいやいや、結構陰湿な嫌がらせ(退学までさせられる)まで劇中で語っておいて最後まで救済ナシで終わりかよ…。別に女子が苦手って設定だけなら女姉弟の末っ子という(姉たちにこき使われた等の)浅い設定でも良いだろうに…、と空也救済のない構成に納得がない訳ですよ。

また、
くくるのじいさんの伝説の飼育員設定、なにが伝説なのか伝説のまま終わったぜ…

ウミやんのアイドル好き設定要る?(ほぼほぼ死に設定)

そもそも風花のアイドル設定要る?と感じる訳ですよ。何故アイドルを目指したのかよう分からんし、簡単に諦められる夢だった様だし(他の事務所に移籍してアイドル続けよう・なんとしてでもしがみ付こうとは思わない程度の夢みたいね)…と
この辺りの描き方にも納得がないのですよ。もし「一度夢を諦めた」風花というキャラを描きたかっただけなら別にその職業がアイドルではなくても…とも感じる訳です。

 

等々、他のキャラクターも設定が薄っぺらい、ストーリー展開ありきのキャラとなっているのがダメ、残念なキャラ造形なのですわ。

 

あと、まだありました…気になるというか疑問に感じる設定。

キジムナーの意味なんだったの?当初はあれが亡くなったくくるの姉さんの魂的な何かが宿ってくくるを見守っていると考えていましたが、水族館での不思議イメージ発生現象で成長した姿で現れた事で分からんくなりました。

そして、そもそもあのがまがまでの不思議イメージ発生現象は何だったの?最後はテインガーラで同じ現象起きてたし…、がまがまに限らず水族館で起こる不思議現象という事だったの?と分からんですね。

 

 

シリーズ構成、キャラクター造形ダメダメで残念な作品ですが、貶めすほどひどくはないので
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。


以上