アニメ「来世は他人がいい」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「来世は他人がいい」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

前評判、放送開始当初は話題になってた(気がする)作品ですが…、俺的にはどこにハマればよかったのか分からなかった、面白さが見いだせなかった作品でした。

 

実を言うと今作「来世は他人がいい」…今から2~3年ほど前に漫画でコミックス1巻だけ読んだ事があるのですよね。
ちょうど「舞姫 テレプシコーラ」を読み終わった後くらいだったかな?面白いと評判の漫画を色々と物色していた時期だったのですよね(この時期に「絢爛たるグランドセーヌ」や「メダリスト」も1巻だけ買って読んでいましたね)。
で、そのときに読んで面白いとの評判を聞いてた割には…俺的にはハマれなかったので以降の続刊を買うということはなくそこで終わっていたのですよね。

 

 

そして今回アニメとして改めて観た結果も感想は導入設定にしても物語展開にしてもキャラにしても変わらずあまりハマれなかった作品、だったのですよね。

 

まぁ強いて挙げるなら主人公のキャラはちょっとは面白くはあるのですが…しかし、これも(主人公のキャラの)魅せ方が間違っているというか構成がおかしいと感じるのですよね。
第1話の序盤で描かれている主人公のキャラと以降の主人公のキャラがガラッと変わって描かれており…、第1話序盤で極道の家の娘として登場した主人公が案外普通というか極道みを感じさせない雰囲気のキャラだったので、生まれは極道だけど性格は真面目・誠実なキャラ/極道に不向きな性格のそんなキャラなのだなと思って序盤は観ていました。


ところが、吹っ切れた主人公は言葉使いも汚く荒く、人を殴ることにも一切の躊躇はなく(自転車で顔面タックルもかますわ)、と物語(序盤)を観てこちら(視聴者/読者)が理解・認識しようとしていたキャラを覆すような展開・構成をやるから混乱するというかついていけなくなるのですよね。

 

この主人公のキャラの変わりっぷりは吹っ切れて「変わった」訳ではなく、大阪の組員や知人の反応を見るに(主人公の変化に驚いている感じがないことから)おそらく主人公の本来の姿/素はあの極道キャラだったのだと思われます。
とするとやはりあの序盤(こちら(視聴者/読者)が主人公のキャラについて何も分からない状態)での「案外普通の~極道みを感じさせない、真面目そうなキャラ」という魅せ方は混乱のもとになる、あまりよろしくない構成だと考えられるのですよね。

 

 

 

そして次の問題点は、極道設定の意味について。
直近のアニメで極道設定を持つものと言えば「組長娘と世話係」がありましたね。あとは有名どころでは「ごくせん」でしょうか。

 

基本的に極道設定を持つ作品では、極道は堅気には手を出さない/弱者を虐げる様な存在ではないという風に描かれています。
極道設定はギャップというかコメディ要素として機能している感じで、暴力・戦闘シーンがあるにしても水戸黄門の印籠の様な暴力の歯止め的な象徴的な意味として使わてる感じなのですよね。

 

しかし、今作においては一般人が巻き込まれたり組同士の抗争があったりと極道設定がまんま極道として描かれておりコメディ要素や象徴的・記号的意味合いではないのですよね。
そんな極道設定のお話/抗争の中に組員でもない高校生の主人公やその婚約者(男子高校生)の活躍・暴力シーンを描いて…、なんかお話的に無理があるというか観ていて物語に惹かれないのですよね…。
(極道要素を持つ他の多くの作品と違う点は、主人公サイドにだけ極道要素があるのが基本的なのですが、今作においては主人公の婚約者サイドも極道設定を持っているので必然極道要素が強まるのはあるのですがね)

 

 


あと主人公の婚約者(男子高校生)のキャラ・描き方も微妙…。なんだろこの作者の中では極道=喧嘩が強い、なのかね?喧嘩が強い男、暴力/戦闘シーンを描きたいだけであるならば極道設定は不要で格闘漫画のフォーマットにでもすれば良いと思うのですが…、果たして極道である意味、物語的面白さにつながる要素になっているのでしょうかね?

 

 

極道設定がギャップというコメディ要素や象徴的意味でなく、陰鬱なジメジメした話・血で血を洗う様な抗争の設定として使われると主人公のキャラともうまく噛み合わない不要な設定と感じてしまうのですよね。

 

 

 

キャラ設定、極道設定、物語展開がなんか上手く絡み合ってないなくてあまり面白くない/物語に惹かれない残念な作品で
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上