「メイドインアビス」 ~最新67話 「誕生日に死ぬ病」、アビスの意思についての解釈・考察

最新67話にてスラージョそしてリコが語った「魂」と「誕生日に死ぬ病」についての自分なりの解釈をば。

 

 

アビスが放つ「魂」が浸透…魂と命が重なる…命の紋が形作られる…魂と混然一体となった存在となる事で「呪いの具現」が起きる様になるとの事。

 

『アビス』は自らの「欠片、一部、分身、肉片」とも言うべき『魂』を生物/命に融合・一体化させる事でその対象生物に干渉できる様になるという事みたいですね。

 


で、「誕生日に死ぬ病」の仕組みについて。
『アビス』は(自らの一部である/アビス由来の)「『魂』と混然一体となった生物/命」(『魂』を浸透させた生物)の情報を『魂』を通して読み取ったりする事ができるみたいで、それ故に『アビス』は対象の「誕生日」を知り得てその日にピンポイントで命を刈り取っている、という仕組みの様ですね。

 

(リコのセリフ「いつ生まれたことにしたのか」…、この意味はちょっと判断しかねる/一概には言えないのですが、おそらく「この世に生まれ落ちた正確な日時…真の意味で「誕生日」でなくても良い」という事かなと考えています。例えば孤児院の子供達の中には正確な「誕生日」が判らない子供が居てもおかしくないと思います。そういう子供達に与えられた「誕生日」(拾われた日や入所日等)…真の意味で「誕生日」(生まれ落ちた日)でなくとも良い…本人が・周りが「誕生日」と認識している日付であれば良い…、(詳細は後述しますが)その認識こそが『アビス』にとっては重要なのかなと考えています)

 


「誕生日に死ぬ病」は事故、病気にかかわらず何故かしら命を落とす(スラージョ曰く)「隠された呪い」とされていますが、この「呪い」(誕生日に死ぬ病での選別)はエラー品に弱いともされています。


考えるにおそらく、「死」という<強い>「呪い」…それはアビス深界の7層の上昇負荷(確実な死)クラスになる訳ですが、それを上昇負荷というトリガーもなしに地上で発生させようとしたら対象(魂と混然一体となった生物)への相当な精密操作が要求されるのではないか…、それ故にエラーを含んだ個体であった場合は「誕生日に死ぬ病」の「隠された呪い」が発動しないという事かなと考えています。

 

 

(スラージョも言っていますがあくまで『【この選別】はエラー品に弱い』という事で『「誕生日に死ぬ病」の「隠された呪い」』についてだけであり、エラー品であろうとも通常の上昇負荷の「呪い」は普通に漏れなく受ける・発現するという事ですよね…エラー品であるリコがこれまで(1~5層の)上昇負荷を受けている事からも明らかですね、、、ナナチについては上昇負荷を受けた描写がない?のですがまぁナナチの場合は特殊で「祝福」を受けているのでもしかしたら呪いを受けない身体になっている可能性もあるかもですが…)

 

 

 

<2024.02.15追記>

白笛と祭壇の膜について確認するために前線基地編を読み直していて気付いたのですが、ボンドル殿が「命を響く石」の原料についての説明をする件(34話)において「命を響く石」に成り得る対象が『消去法』でリコのみであるとしています…、これは「祝福の子」ナナチには呪いが発現しない!?という事ではないかと思い至ったのですよね。

以下は、「命を響く石」の生成には6層の「上昇負荷」が必要であるという前提の下(プル石の出来方を見る限り)の話ですが…、『消去法』でナナチを除外している事に嘘はないと考えています(つくし卿のボンドル殿のキャラ設定が「嘘をつかないキャラ」である事から)。

「機械人形」であるレグには呪いがかからない/上昇負荷の呪いが発現しない…、これは分かります、納得できます。

そして呪いを受けない「機械人形」のレグと並べて語られる「祝福の子」であるナナチ…、ボンドル殿は嘘をつかないという事から考えて『消去法』で「命を響く石」の材料候補から除外されている「祝福の子」もレグと同じく呪いを受けないという事だと考えました(だからこそボンドル殿は自分も「祝福」を受けたかったのかなぁ)。

まぁボンドル殿が「祝福の子」ナナチを『消去法』で除外したのは…、個人的な趣味嗜好/ナナチが可愛いから・ナナチがレアだから/勿体ないからという理由でも「嘘はついていない」と言えるから微妙ではあるのですが、しかし実際これまでナナチが上昇負荷を受けた描写がないのですよね…レグ暴走時5層6層間でナナチが上昇したときも何の負荷/影響も受けてない様子でしたし…。なので俺は「祝福の子」は呪いを受けない説を推していきたいですね。

~追記終わり

 

 


あと、「誕生日に死ぬ病」は事故、病気にかかわらず何故かしら命を落とす、との事から…、
抵抗力・体力の弱い老人や子供には『アビス』が『魂』を通して対象(魂と混然一体となった生物)の熱を上げたり身体の機能を弱らせたりして「病気」として命を刈り取っているのかも…、
または高所(アビス/オースの地形上多数存在すると思われる)から足を滑らせる(『アビス』が『魂』を通して瞬間的に対象の平衡感覚を奪う/崩す、もしくは足や腕の筋肉を瞬間的に弛緩・脱力させる)みたいな事で「事故」として命を刈り取っているのかも…、と「魂」と一体となった対象の身体のちょっとした操作が可能なのではないかと考えられます。
さらに、双子の名前が理由はどうあれ必ず「シェルメナ」になるというのも『アビス』が『魂』を通して双子の親の「無意識」に働きかけ操っている…という事なのでしょうね。。。

 

 

 

と、「誕生日に死ぬ病」の仕組みについて今回色々と明かされたのですが…、
ではなぜ『アビス』はそんな事をするのか(レグがスラージョに問いかけ「知らん」言われてましたが)。


「誕生日」を確認してその日に命を刈り取る…、この事から『アビス』に意思がある事は明らか(スラージョ、リコの仮説が正しいとしてですが)なのですよね。

 

『アビス』に意思があると考えると『「誕生日に死ぬ病」を流行らせる事』に意味・目的があると思われます…。

 

では、『アビス』はどういう意味・目的を持ってそれを行っているのか、と考えて出てきた答えが「アビス信仰」でした。

 


それは…、「デスノート」のキラと同じやり方/考え方で、凶悪犯が次々とそしてその全員が心臓麻痺で死んでいけば誰でもが気付く…何者かが悪を裁いていると。

と同じ様に、誰もが「誕生日」に亡くなれば(その人数が増えれば増えるほど)…『誰か』が何かやっていると気付く…「メイドインアビス」という作品世界・「アビスの呪い」が存在する世界で「誕生日に死ぬ病」が流行れば当然その『誰か』は『アビス』という事になり、人々は『アビス』に救い(「死」からの救い)を求めてか、または逃れられない「死」を齎す絶対的な畏怖の対象としてか「アビス信仰」が高まる事になる…、アビスはそれを狙ってるのか!?と考えました。

 


スラージョはこれを「二千年毎に訪れる大量絶滅の下処理」と言っている事からか「誕生日に死ぬ病」はアビス/オースに止まらず全世界へと広がる事になるものと思われます。
ここからは妄想ですが(ここまでも大概ですが)、『アビス』が「魂の付与」=下処理を全世界へ広げるためにはより強いより多くの信仰が必要なのかな、とそのために『アビス』は「アビス信仰」を高めるために「誕生日に死ぬ病」を流行らせているのでは、と妄想・考察、解釈しています。

 

 

そして、前の段で少し述べましたが…『アビス』が意思を持って双子に「シェルメナ」を名付けているとするとそこにも意味・目的があると考えられ、そうすると最新67話の終盤のあの展開は『アビス』が「双子」を/「シェルメナ」を欲している様にも見えてきますね。どうでも良い存在であったらわざわざ『アビス』が意思を持って名付けようとはしないだろうという考えから、『アビス』にとって/アビスの深淵・魂の発生源にいる存在にとっては「シェルメナ」は大事な意味を持つのではないでしょうか(真相は68話を待ちたい)。

 

 


続いては、レグと「魂」についての疑問。

 

「魂」の役割の一つとして「意思の伝播」が挙げられています。

 

タマちゃんとの再戦(レグ+ナナチのサポート有りでの戦い)で描写されたレグの意思…。
タマちゃんはレグの動きを見て先読みを行ったのではなく力場の流れ~「魂」を通した意思の伝播~を感じ取ったという描写の理解なのですが…、
レグに呪いが効かない理由を…アビスが放つ「魂」が浸透しない=「魂」と命が重ならない=命の紋が形作られない=「魂」と混然一体とならない存在…、であるが故にレグには「呪いの具現」が発生しない、と67話を読んで解釈したのですが、、、呪いが発現しないレグ~アビスの放つ「魂」が浸透しないレグ~「魂」と混然一体の存在とならないレグ~ですが「魂」を通しての呪いは発現しないけど意思の伝播は起きる!?「呪いの具現」と「意思の伝播」では条件・魂の浸透度合いの違いがあるという事なのでしょうかね。

 

 

「意思の伝播」は「魂」と混然一体の存在とならなくても起きる~「魂」が浸透しなくとも起きる~(レグの)体の表面を「魂」が覆う程度であっても起きるという事なのでしょうか。
う~ん、もう少し情報が必要か、解釈・考察を改める必要があるのか…。。。

 

 

 

あとは、何故ファプタに呪い効かないのかという疑問。
ファプタも『アビス』が放つ魂が浸透しない~「魂」と混然一体とならない/「魂」と命が重ならない~存在という事なのでしょうが、機械の体?のレグ(少なくとも生身の肉体ではないっぽい)に「魂」が浸透しない~「魂」と命が重ならないのは何となく理解できます。しかし、レグとは違い明らかに生物であるのにファプタに「魂」が浸透しない~「魂」と命が重ならない~のは何故なのでしょうか(またファプタ以外にも「呪い」が効かない原生生物もいる様子ですが、「呪い」が効かないのはファプタと同じ理由なのでしょうか?)

 

ここら辺りの考察を進めるにはもう少し情報が欲しい所…。

 

 

 

取り敢えず今回は「誕生日に死ぬ病」とアビスの意思についての自分なりの解釈・考察とレグ、ファプタの疑問を提示して終わりにしようと思います。

 

また何か思いついたら(考察を進めるための材料に気付いたら)、「獣相」や「探窟史の恥部」や「ぶちまけられた呪い」についての再考察でもやりたいと思っています。

 

 

以上

 

「メイドインアビス」 ~最新67話 魂のありか を読んでの考察

最新67話 魂のありか では「魂」について多くの事が語られました(主にスラージョ談)。

 

今回の考察・解釈にあたり材料にする/キーワードになるのがスラージョのセリフである

「魂を引き継ぐ『命を響く石』のような方法もあるが…」
「疑似的な生まれ変わりも連続した魂あってこそ」

ですね。

 

 


これを見て(読んで)思ったのは、自分が以前行った「獣相」についての考察(「魂」(生前の人格、知性、記憶)が宿っているという考察)がつくし卿から否定された(前世/生前の記憶を持った「魂が宿る」云々の考察が否定された)なと認識・解釈をしました。

 

 

というか「魂=命」みたいに考えていましたがアビス/オースにおいては(正確にはスラージョに言わせれば)違う~魂とは実在する正体不明の信号~という事らしいですね。

 

 

死んでしまえば、魂・命の紋・信号は霧散してしまいそれが何か(別の肉体・器)に宿る事はないと説明されたので(あくまでスラージョの認識の上での説明ですが)、生前の人格、知性、記憶を持った「魂」が宿るという考察はハズレという事になりますね。

 

 

しかし、俺はまだ自分の考察を完全には諦めてはいないのですよ(リコがナナチを励ますように自分自身を励まして)。

 

それが冒頭のキーワード「魂を引き継ぐ『命を響く石』のような…」、「疑似的な生まれ変わりも連続した魂あってこそ」になります。

 

つまりこれは「『命を響く石』の様な魂を引き継ぐ/連続した魂であれば、疑似的な生まれ変わりも可能」という事を示唆しているのですよね。


そしてリメイヨとネヨーゼルの会話の中で出てきた獣相が心臓の近くに持つという「獣石」…、おそらくこの「獣石」は性質的に『命を響く石』と似ているのではなかろうかと(自分の考察を補強するために都合よく)考えています。

 

「獣石」が『命を響く石』の様な魂を引き継ぐ性質を持っている遺物であるとすれば疑似的な生まれ変わりも可能という事で自分の以前の考察…獣相が生前の人格、知性、記憶を有しているという考察もまだイケる、と諦めていない訳なのですよ。

 

 

あとその仮定で考察するとスラージョの持つ遺物の効果は「獣石」を作り出す、みたいなものかもしれない…。

 

 

また「魂と呼ばれる信号」の役割として『呪いの具現』があるとの事。
つまり、アビスが放つ「魂」が浸透…魂と命が重なる…命の紋が形作られる…魂と混然一体となった存在となる事で「アビスの呪い」を受ける様になるという事なのですよね?
それは言い換えればアビスが放つ「魂」が混じらない・浸透しないものには呪いが発生しないという事なのですよね…、う~ん色々と考察捗るかも、な案件。

 

 


以降は67話を読んでの、ちょっと疑問に感じた事や気付きについて語っていこうと思います。

 


・祭壇の膜は白笛を遮断するらしいが…。
祭壇を起動させる為またネヨーゼルを支援する為(白笛パワーアップをさせる為)にスラージョは白笛を吹いたのですが、ネヨーゼル自身に白笛パワーアップが起きなかった事を言ってると思うのですが、イルブルの膜とは性質が異なるのでしょうかね?


いや、リコがイルぶるで白笛を吹いたとき(白レグ初登場時)、レグが既に村(イルぶる)の中に居る状態であったのか/まだ村の外に居たのか状況が分からないのですが、村の外にいる状況だとしたら祭壇の膜とは異なり村の外まで(膜の外まで)リコの白笛の音色が響いていたという事になりますが…、どうなのでしょうね?膜の性質が異なるのか(白笛の音色を通す‐遮断する)、ただ単に既にレグが村の中に居たから白笛パワーアップが起きたのか、どうなのでしょうね?

 

 

<2024.02.15追記>
トゥイッター(X)でのコメントを読ませていただいてなるほど、と思いました。
確かに「内部から白笛で起動」する事…外からの白笛の音色が祭壇内部まで響かない様にする(白笛の音色を遮断する)構造である事は誤作動防止のために必要ですよね。
もし祭壇の近くで(祭壇の外で、祭壇を起動/下降させる意図なく)白笛を吹いた時に勝手にというかそんなつもりなく祭壇が下に行っちゃたら困りますからね。
そういう意味で誤作動防止のため、白笛の音色を遮断する膜が必要というのは納得のある話ですね。
翻ってイルぶるにおいてはそんな誤作動防止のシステムなんて必要ない…、だから祭壇とイルぶるの膜の性質は違う(イルぶるの膜は白笛の音色を遮断したりしない)、別物であるという事ですね、なるほど納得です。

 

 

 

 

・リメイヨが言う「前線基地(イドフロント)での混乱」はレグとの戦闘の結果だろうけど…。
リメイヨの狼煙の説明シーンにおいて6層以降で祈手が点在しているのが描かれています。
64話でナナチが想像した、前線基地(イドフロント)に戦闘要員がろくにいなかったのは…スラージョ一味との戦闘でやられたという事ではなくボンドル殿が既に6層に祈手(おそらく死装束)を下らせてたからという訳だったのですね。

 

5層6層間で断絶が発生したとの事ですが、箱庭に通じる昇降機の通路上(脇)にでも祈手を駐在させてたのかな(そいつが火葬砲で吹っ飛んだ?)…とも思ったのですがもしかしたら35話に出てきた4本腕の祈手(精神隷属機(ゾアホリック)の部屋に居た祈手と同じ?)が潰れた事が原因かな?

 

しかし、6層に降りるため(祭壇を起動するために)ボンドル殿は一度祈手(死装束)を連れて6層へ降下してすぐまた(カートリッジを消費して)上り直しているという事になるのですよね。
(白笛は一つしかないのでボンドル殿がどうしても一度降りる必要(白笛を上へ持って帰る必要)があるよね、というお話)


(テパステ、ニシャゴラはおそらくネスト経由で(白笛なしに/祭壇起動無しに)降りてるんだろけど)

 


また前線基地(イドフロント)の混乱の後、リコ達が6層へ降りてきてニシャゴラやスラージョたちと出会っている事を考えると、リメイヨ達はスラージョ達を追い越して先に行ってしまってるのかもですね。

 


あと、ネヨーゼルはボンドル殿に身体を弄られていて、その時に精神隷属機(ゾアホリック)でないならばナナチと同じような視覚共有(覗き見)の何かを仕掛けられてるでしょうね…ただ針を刺して肉を採取されただけで解放されたとは思えない…。

 

 


取り敢えず、初日の感想はこんなもんでまた何か思いついたら・情報が整理出来たらまた書こうと思います。

 

 

以上

 

ドラマ脚本、原作改変問題について②

まずは、島本和彦さんがコメント(ポスト)された件について(内容についてではないです)。
前回「小学館の看板/大御所/ベテラン漫画家が先頭に立って物申して欲しいと思う」という事を書いたのですが、そこに島本さんの名前を挙げていませんでしたね。
いや、もちろん島本和彦さんの事は存じ上げてますよ。熱い漢だという事も知っています。ただ、個人的に…自分の小さかった頃/週刊少年サンデーを読んでいた頃に、本誌で島本さんを見かけた事がなかった(サンデー本誌での連載作品を読んだ事がなかった)、というのがあって自分の中で「小学館(週刊少年サンデー)の看板/大御所/ベテラン漫画家」の中に入れ難かったのですよね、、、なんかスミマセン、と思ったというお話。

 

 

小学館の大御所/ベテラン漫画家」の中で表立ってコメント(ポスト)されたのは島本和彦さんが初ではないかと思いますが、おそらく他の「小学館の看板/大御所/ベテラン漫画家」(高橋さん、あだちさん、青山さん辺り)もきっと水面下では(ツイッター等を利用されていないので我々が分からない/知り得ない状況だっただけで)動かれていたはずだと信じてます。(高橋留美子さんの公式ツイッターがありますがあれは高橋留美子さん個人が運用・利用されている訳ではない様ですからね…)

 


そして、その島本さんのコメント(ポスト)の後のタイミングだったと思いますが小学館の編集部の一部局から声明が出されました。
(「小学館」本社としては後追いする形で「調査、再発防止を進める」と公式HPで発表した、みたいな記事を見た気がしたけど…よく分からない、もう一度正式に発表して欲しいわ…。

(今件について文末に追記しました)

)

 

 

 

その小学館編集部からの声明には思う所がない訳ではないのですが…、まぁ後は…小学館(編集部)側はドラマ製作サイドには原作者・芦原さんの意向を伝えていたと声明を出したのだから、それに対してドラマ製作側(日テレ/テレビ局側)がどう応えるかを見守りたいですね。

 

 


続いて、当該ドラマの脚本家の声明について。
「原作者・芦原さんの意向について初めて聞いた、知らなかった」という旨のコメント。
ここにきてまだ分かっていないのかと呆れました…。
原作者の意向を事前に聞いていた/知ってた、知らないの話ではない。。。
なぜ、貴方は原作者が心血注いで描いた作品を(原作を)改変した脚本を書いたのか、その理由を全く説明していない。
貴方が当該ドラマの脚本を書き上げるのに何ヶ月を費やしたのか知らないが、原作者(漫画家)は確実にそれ以上の時間・何年~何十年の積み重ねの結果完成している原稿・原作(作品)である事を全く理解・認識していないと感じられます。
ドラマ製作の尺的(時間的)都合、経済的(予算的)都合等もあるかも知れませんが、製作都合上エピソードをカットする・纏める、キャラのセリフをカットする・変更する等の必要が発生した場合は、作品愛・リスペクトを持って接していれば原作者に相談・確認するというのは至極当然の事/プロの仕事として当たり前だと思うのですが…。。。

 

「原作」を「公式」に「お借りして」おきながら…、、、もし誰かに「好き勝手にやっても良い・改変しても良い」と言われていたとしても、原作を変更する必要に迫られた際に(原作・原作者に対するリスペクトを持っているなら)「原作を変える事になるが問題がないか原作者に確認してくれないか」とならない事に納得がない(好き勝手にやっても良いと言われたから確認しなかったみたいな旨をもし宣うのであれば、そんな言われた事だけやる、気が回らない・子供の使いみたいな事やるのは決してプロの仕事ではないよ)。「公式」に「借りてきた」「原作」を自分の好き勝手に変えるのはプロのやる事ではないよ…、それはもう作者非公認/非公式の二次創作・同人誌と何ら変わらないよ。

 

 

ドラマ製作(漫画からの実写製作)の都合上どうしても改変が必要であったのならば、そこには原作者も納得するだけの相応の改変理由があったはずですよね!!!
原作者の意向を知ってた、知らないの話ではないのですよ。
なぜ・どういう理由で原作を改変したのか、そこは「原作者の意向についての伝達の有無、認識」とは関係なしに貴方の言葉で語れるはずですよね。
原作者を納得させるだけの(原作者が作品に注いだ熱を覆すだけの)理由・道理があるはずでそれを語るべきだと自分は考えるのですが…。

これ以上は個人攻撃になるので止めたいと思います。

 

 


続いて、著作権・著作物の話。
今回の件とは関係なく前に著作権・著作物についての記事を読んだ事があります。
その記事を思い出して感じるのは、漫画家・作家(著作権者)は出版社に対してもっと強くものを言っても良いのでは?という事。

 

 

出版社って、漫画家・作家(著作権者)の創作物(著作物)を委託されて販売しているのですよね。
漫画家・作家(著作権者)が個人では(大規模に)行えない印刷、流通、宣伝、販売等を出版社が代行して行う(出版社が一時的に諸々の費用を担う)事で本来は漫画家・作家等の著作権者だけが得る創作物(著作物)の販売利益を分け合うお互いWINWINな関係で対等であるべきはずなのですよね。


それが現在は雑誌掲載・連載とビジネスに組み込まれてどうしても出版社が上みたいな立場になってしまってますが…。

 

しかし、今の時代はWEB発の漫画や小説が人気となり、出版社側が「うちから出版させてください」みたいな本来あるべき姿(お互いWINWINな関係)になってきている気もします。
ホントもっと時代が進めば(紙媒体が減れば減るほど)出版社の持つ大規模な印刷、流通は不要となり漫画家・作家(著作権者)が個人で全国にデータで(印刷不要で)販売できる様になると思いますよ(仕組み・システム含めての話)。
(まぁ上記の様な(紙媒体消滅)場合でも出版社の形態が電子書籍大手メーカーへと移行するだけかも知れませんがね)

 


出版社とは何の縁もしがらみもないので無責任に言ってる訳ですが、漫画家・作家(著作権者)側は出版社側に対し変に卑屈にならなくても良い・なるべきではないと思います
(かと言って、漫画家・作家(著作権者)様が出版に創作物(著作物)を販売させてやっているんだ、まで行くとダメだと考えますが)

 

 

今回の様な問題が起きた時(同じ志を持つ仲間の思いが蔑ろにされた時)、漫画家・作家(著作権者)側はもっと声を上げて良いと思うのです。
しかし表立って声を上げるのは怖い(余程の大御所でない限り)…、出版社側から連載の打ち切りや以降掲載させてもらえなくなったり、もし他社へ行ったとしても腫れ物扱いされたりするのでは…今後商業誌では描けないかも…という不安もあるのではないかと思います。

そういうリスクを回避、不安を無くすためにも前回述べた様に、漫画家一人ひとりが個別に声を上げるのではなく漫画家が一丸となって皆で声を上げていく(~皆で渡れば怖くない的な)…、「漫画家協会」を窓口となって(個人が分からない様に)協会員の声(漫画家の声)を集め協会員の総意として「漫画家協会」が発信するなどして漫画家・作家(著作権者)の権利を護っていって欲しいと考えています。

 

 

 

 

 

ドラマ製作側(日テレ/テレビ局側)の対応の発表がまだ出されていませんが、小学館編集部からの声明を読んで少しは光も見えた気がしたのでそろそろアニメ感想に戻ろうと思います。
(ここ最近は悲痛、憤懣でそんな気になれなかった)

 


アニメ「推しの子」の第2期の製作が決定している訳ですが…、そこでの舞台編(以前述べた通り原作既読なので第2期で描かれる展開は知っているのですが)またそのタイミングで必ず今件が話題に上る事になると考えています。

 

「推しの子」の第2期の舞台編が始まるまでに、日テレ/テレビ局側、小学館が誠実な納得のある対応を示していないとまたそこで確実に燃え上がる事になるだろうね(少なくとも「推しの子」第2期まではこの問題が風化する事はないと考えています)。

 

 

取り敢えず今件については一旦これで終わりにして後はいち漫画ファンとして事の成り行きを見守りたいと思います。
(よほど腹に据えかねる事が発表されたらまた書くかもですが…)

 

 

以上

 

 

 

 

追記…

某スポーツ紙の記事によると、小学館本社としては「調査、再発防止を進める」と発表はしたがそれを社外に発信しない方針に変更はない、らしい…。以前漏れ出た「社内向け説明」の内容がやはりそのまま小学館としての公式の方針という事のようですね……。

調査・報告・追及の結果を「公表」しないという事は「社内で」「内々で」「調査、再発防止」を進めた体で終わらせる、有耶無耶にさせる、風化を待つ気満々な感じがしますね。。。

これは、このまま終わらせちゃいけないわ…。

編集部から出された声明で良い感じに進むかも…と騙されちゃいけない、お茶を濁されちゃいけないわ、と感じましたね。。。

 

 

 

小学館の作家切り捨て、作家軽視の最悪対応について

小学館の対応に開いた口が塞がらない…、アホかと思ったね。。。

 

小学館を嫌いな理由がまた一つ増えたよ。
ます最初の出来事は、自社で抱えている作家の原稿紛失問題の事を知って何だこの出版社は!信じられない!と感じ、次に「このマンガがすごい」的な本で紹介されている小学館の作品が全く面白くないという騙された感…、当該本で紹介される事/賞を取る事をお金で買ってるんじゃないかと思うほどでそれが2度3度と続いて、以降はもう二度と騙されないぞ!と小学館の漫画は(極力)二度と買わない(一部例外(好きな/追っかけてる作家の作品の場合)除く)と決めてるくらいには小学館という出版社は元々好きくなかったのですが…、、、今回の件(芦原妃名子さん死の経緯についての調査や報告を小学館として社外発信する事はないという社内説明があった事)でほとほと呆れたというか、信じられん、アホか、意味分からん、もし自分が漫画家だったら(出版社のその対応に)絶望するわ、と感じるほど酷い最悪な対応ですね。。。
(しかし、社員/編集者の中からは不満の声が上がっている事を聞いて少しは救いがあるとも感じてる)

 


話が個人的な好悪に寄ってしまったので戻します。

 


日テレ/テレビ局側がこれほどの騒ぎになっておきながらこれまでコメント(今後/これからの調査云々についてのコメント)を何も出していなかった事からみても明らかに、事前に出版社/小学館側と示し合わせが行われており、今般の小学館の発表を待っていた…「先方/出版社側が今後詳細調査や報告をしないとしている以上、同じ理由でうち(日テレ/テレビ局側)としても先方の意向を尊重し調査、報告を行わない」と言えるタイミングを待っていた…、だからこれまで何もコメントしてこなかったとしか思えないのですよね。。。

 

 

ホント酷い話ですよ。
これは「出版社とテレビ局」側がこれ以上問題を大きくさせないために/何とか早く風化させようと/沈静化させるためにと予め「出版社とテレビ局」側が示し合わせて「死の経緯についての調査や報告をしない」旨を示した(社内説明会で伝えさせた)~少なくとも芦原妃名子さんの訃報の第一報について「出版社とテレビ局」側がコメントして以降の早い段階からこの(日テレ「なんとか穏便に済ませたい、宜しくお願いしますよ小学館さん」、小学館「分かりました、調査や報告・追及をしない旨を伝えるからそれまで何もコメントしないで待っててね日テレさん」という)示し合わせが行われていたと感じられる~最悪で胸糞悪い対応で(結果は逆効果だったとしか感じられないのですが)、出版社とテレビ局が協議した結果、出版社側が自社の抱える作家よりもテレビ局側を取ったという事なのですよ!
「今後も作家に寄り添うことを誓い~」みたいな説明があったそうですが全く寄り添っていないじゃないか!真逆じゃないか!テレビ局側に寄り添ってるじゃないか!

 


今般の小学館の対応(公式な発表ではないのかも知れませんが…)は、
「今後同じような事が起きても(作家が自死する様な問題が発生しても)小学館は作家を守りませんよ、大メディア様/テレビ局様に寄り添いますよ」と宣言している様なもんですよ!そこんとこ分かってんのかな小学館は!アホじゃなかろうか。

 


今件について、多くの漫画家さんからSNSを中心に小学館を批判する声が上がってきている様ですね(少なくとも小学館を擁護する声は聞かない/見てない)。

 

 

「はじめの一歩」の森川ジョージさんは芦原妃名子が亡くなられて早い段階から今回の問題(原作改変問題)についてコメント(ポスト)されていましたが、今回の小学館の方針についはさすがに他社の事だからコメントし難いかな、と考えいたのですが普通にコメント(ポスト)出されてましたね。さすがですね。

 

で、その森川さんのポストの中に「漫画家協会になんとかして欲しい、という意見があるが難しい」みたいなのがあったのですが…、漫画家一人ひとりが個別に声を上げるのではなく漫画家が一丸となって皆で声を上げていくべき…、そして署名なり意見なりを集めて「漫画家協会」を窓口・代表として/矢面に立ってもらって訴える事はできないのでしょうかね?(さすがに大御所だからと言って森川ジョージさん個人が先頭・矢面に立つのは困難なものがあると思うので)

 


そして、今回の問題についてちょっと思うのは、
名前を出して申し訳ないのですが、小学館の看板/大御所/ベテラン漫画家が率先して、例えば…高橋留美子さんやあだち充さん、青山剛昌さん、藤田和日郎さん等が先頭に立って物申して欲しいと思うのですよね。
(何故、講談社の森川さんが先頭に立ってるみたいになってんだと感じるのです)
もしかしたら(もしかしなくても)小学館側が作家に対して箝口令を敷いているのかも知れませんが、藤田和日郎さん辺りは熱い作家さんだと思うので小学館/出版社に恩義があるとかは別の話として・箝口令とかそんなんは関係なく漫画家/作家に寄り添った声を上げて欲しいと思っているのですが…。

まぁ自分は小学館に恩義もなく、何の関係もしがらみもないので無責任に言ってるいるのですが…。

 

 


前回も述べましたが、芦原さんの自死に当該ドラマ製作の影響・原因があるのは明らか…言い換えるなら、もし「セクシー田中さん」がドラマ化していなければ芦原妃名子さんは自死を選ぶ事はなく「セクシー田中さん」という作品を完結させていたと考えます。

 

 

「故人の遺志にそぐわない」を理由に小学館は「死の経緯についての調査・報告・追及をしない」と言っている様ですが、原作改変問題の騒ぎが起こりその状況下で芦原さんは自分の死が後にどういう影響を及ぼすか確実に考えられていたはず…。。。。
(自死というものに意味を持たせたくない…死という選択をされた事を肯定したくない(自死という選択をされた事で世間・業界全体が動くきっかけになったとは認めたくない、生きて漫画を描いて欲しかった)

 

 

それを、臭いものに蓋をする様な「死の経緯についての調査・報告・追及をしない」という何の問題の解決にもならない・今後も同じ事が繰り返される恐れを残したままで問題を風化させる様な方針を示す…
(死という選択をされた事に意味を持たせたくはないのですが…)、現状が何も変わらないまま問題が風化してしまう事、それこそが一番「故人の遺志にそぐわない」事だと感じます、断言します。

 

本当に小学館の対応にはガッカリどころじゃない、開いた口が塞がらない、怒りすら湧いてくる思いです。

作家を守るべき立場のはずの出版社がテレビ局側を守る様な/寄り添う様なコメントするなんて…。信じられない、意味が分からない。テレビ局側に身内を殺されたといってもよいはずなのに…、、、「イジメ」で自死した我が子/身内を守らず(加害者側への追及をせず)加害者側を擁護するような姿勢/加害者側に寄り添う様な姿勢、身内を守らないその姿勢に全く納得がない!怒りしかない!

小学館は方針変更しないと作家が居なくなるぞ…。。。

 


いち漫画ファンとしてできる事があれば何でもやりたいですが、やはりこの問題は当事者になりうる全漫画家が出版社の垣根など超えて一丸となって解決されるのが良いのでしょうね。
良い方向に進む事を願って見守って行きたいです。

 


以上

 

ドラマ脚本、原作改変問題について

タイトルのドラマ脚本、原作改変問題が原因で漫画原作者さんが自死されました。
件の作品を読んだ事もなければドラマを観た訳でもない、原作者さんの漫画(他作品含む)も読んだ事はないのですが…、
小さい頃から「漫画」(全般)というものに触れ親しんできて楽しく読んで育った自分としては、今回の件はドラマ製作側、テレビ局側に対しムカつく、許せないという感情ですね。
ただ今はそれよりも先になぜ自死を選んでしまったのかという悲しさの方が強いです。。。

 

 

以前「原作改変・キャラ改変について」感想を述べている様に自分は基本的には原作尊重派です。


原作ありモノの実写映画化・アニメ化などは、人気のある原作を映像化する事でその原作に付いてるファンの集客を見込んでの事だと思いますがその原作ファンを裏切るような事はやって欲しくないという思いから基本的には原作改変はご法度でやるべきではないと考えています。

 

しかし、尺の都合や予算の関係で全部が全部原作通りという訳にはいかないという事も理解はします。
例えば、時間/尺の都合で、原作では時系列の異なる複数のエピソードを一つのエピソードとしてまとめて構成したりだとか、予算(経済的・時間的)の都合で、原作では海外が舞台だったエピソードを日本に置き換えたりだとか…、そういった「エピソード」の端折りや纏め(要点、物語上必須な要素の抽出)、「映像表現」(撮影場所)等の多少の改変は許容できても主要キャラクター設定改変、セリフの変更(このキャラクターはこんな事言わないの様な)は許容範囲外です。

 


エピソードの端折り/カット、纏めについて許容している作品の例(感想)として下記、
アニメ「転生したらスライムだった件 第2期 第1部、第2部」 ~感想を挙げますね。上記感想内では無駄に長いだけ(と感じる)会議回が6話くらい続く(1クールの半分の話数を費やす)みたいな造りに対し苦言を呈していて、「作品」を面白くするため(1話内で盛り上がりどころを作るために)会議の内容の要点を纏めて短くしろ…脚本家の仕事は原作をただ転記するだけの仕事ではないだろ、という旨を書いていますが、もちろんこれは原作を変えろという意味で述べているのではありません。あくまで要点を纏めろ、という事です。
既に物語が完結している作品であれば、脚本家/製作側だけでも今後の物語展開でどこが重要で必須かの判断は付くはずで尺などの関係で止むなくカットする場合(原作者の負担を増やさないという意味で)ある程度は独自にカット・纏めの判断をして製作できると考えますが、原作未完の作品については絶対的に原作者の判断を仰ぐ必要があるでしょう…。

 

その上(未完結作品でありながら)さらに登場人物のキャラクター(性格)やそのセリフを変えるなんてまずありえない、信じられない。
キャラが変わってしまう事でそのキャラから出るセリフの言い回し、込められた意味、重みが変わってくる、ひいては今後のお話が大きく変化する恐れがある事が考えられないのでしょうか。
主要キャラクターやそのセリフの変更/修正なんてそれこそ絶対に原作者を交えて行うべきレベルになるのに、原作無視/軽視でドラマ製作側、テレビ局側の手前勝手な都合で「お借りしている/お預かりしている」原作を雑に扱う/安易に手を入れるという事、そしてその結果…、、、、ホント一漫画ファンとして許せないと感じ、自分は絶対的に漫画家/原作者側を支持する立場になります。

 

 


これも以前「原作改変・キャラ改変について」にて語った事ではありますが、
キャラクターはプロットと共に物語の重要な構成要素でありそれを安易に変更する事/上澄みだけを掬って自分の色を後から足す様な事は、明らかに映画やドラマを作る以上に時間をかけて(何年、何十年と)作品づくりをしている原作者に対してあまりに失礼なのですね。
漫画を例にとれば、キャラクターのセリフ一つ、漫画のコマの構図一つとっても一話内で収めるため/一エピソード内で魅力をいかに効果的に見せるためにと苦心を重ねて構成して描いているはずで、ドラマ製作側、テレビ局側が本当に本物のクリエーターなら/同じクリエーターとしてそこを理解できていたら簡単に手前都合で変えるなんてとてもできないと思うのですが…。。。

 

中には本当に原作(漫画や小説)が好きで熱い思い持って作品の映像化を目指したプロデューサーや製作スタッフが居るのかも知れませんが、今作(問題となっている作品)で言えば、作品愛などはなくただ何となく話題の原作みたいだからな感じで映像化された、製作スタッフも雇われ監督、脚本家みたいな集まりだったのでしょうね(作品愛があれば、作品に対するリスペクトがあれば今回の様な事は起きなかったはず)。

 

 


(今件とは直接は関係ありませんが、以前上げた感想
実写映画「バクマン。」 ~感想この映画「バクマン」も酷かったですね。そこ変えちゃダメだろ、キャラを分かってない/理解していないと感じ、作品愛がない、リスペクトがないからそういう事できるんだと思いましたね)

 

 

 

 

 

で、今回の件の関連で思い出したのが(原作者尊重、リスペクトという意味で)、
以前ちょっと話題というか炎上騒ぎとなった「はじめの一歩」を描いている漫画家・森川ジョージさんのアニメータサイン色紙問題。

当時の炎上騒ぎは知っていて特にこの日記等で話題にする事はなく静観していたのですが…、自分は今回の件と同様、当時も漫画家さん側・森川ジョージさんを支持する側で何故炎上しているのか(何故森川さんが叩かれているのか)理解できない思いで見ていましたよ。

 


この問題の根本も今回の件と同様で
「お借りしている/お預かりしている」原作に対する作品愛があるか、作品に対するリスペクトがあるかという事なのですよね。

 

あくまで「原作者の作品」を借りて/預かって映像作品を製作している訳だから、作品原作者の意見を尊重/伺う/相談するのは至極当然の事だと考えています。
このサイン色紙問題で言えば、これってたしかなんか海外のアニメイベントでアニメスタッフが現地の人に書いたという事なのですよね。
おそらく森川さん(原作者サイド)も海外でイベントがある、「はじめの一歩」も作品の一つとして参加するみたいな事までは聞いていたと思います(さすがにまさか原作者に無許可で、原作者の与り知らぬところで勝手にアニメ製作側が独断でイベント参加を決定したとは考えていませんが…)。しかし、そこから先…アニメーターが「~一歩」のサイン色紙を書いて良いか、までの確認は原作者・森川ジョージさんにしていなかった(想定していなかった)のかなと考えています。

 

森川さんが仰りたかったのは(真意は)、俺の知らない所で勝手に俺の作品を扱わないでくれ…やるのなら確認してくれ、という事だと思っています。
アニメであれドラマであれ映画であれ映像製作側に、作品を「お借りしている/お預かりしている」という原作に対する作品愛、作品に対するリスペクトがあれば原作者の与り知らぬ所で勝手な事はできないはずで、このアニメーター色紙問題についても、もし事前に森川さんに「海外でイベントがある、サインを求められた場合は書いても良いか」という確認ができていれば(その上で森川さんが了承していれば)、何も問題なかったはずで、一番の問題は「俺が書いた覚えがない…俺が許可した覚えもないサインが出回っている」という事だと考えています。

 


サインを書いたそのアニメータの方は「別に(名前を騙る訳でもないし)サインくらいいいだろ」という認識だったのだろうと思いますが、その認識に作品を「お借りしている/お預かりしている」という原作に対する作品愛、作品/原作者に対するリスペクトがなかった・欠けていたという事が根本原因だったのだと考えていて本当にその作品が好きで(愛を持って/リスペクトを持って)作品に携わっていたのだとしたら(もし自分がその立場だとしたら)原作者を軽んじる様な行いは自分だったらできないですね…。
(もしその場でサインを書く事になっても(断れない雰囲気だったとしても)、後日許諾を得る、確認する、事後報告するくらいの事をするべきだったと考えますね)

 

 

そういう意味で、
作品を「お借りしている/お預かりしている」という原作に対する作品愛、作品/原作者に対するリスペクトがあってしかるべきと考える中で何故森川さんが叩かれているのか)自分は理解できないと当時から思っていました。

 

 

 

今回の件にしても、その他の原作改変作品にしても、また森川さんのアニメータ色紙問題にしても作品を借りる以上・預かる以上は原作に対する作品愛、作品/原作者に対するリスペクトを持って接すべきで時間的経済的制約上、止むなく変えるのならば原作者が納得の上で変えるべきだと考えています。

 

 

ドラマ製作側・テレビ局側は「テレビで放映してやるから(テレビという大メディア様が作品を扱ってやる/取り上げてやるから」「原作の良い宣伝になるだろ!原作がますます売れる事になって良かったな!」という認識から「だからグダグダ文句言うな」と上から目線、原作無視/軽視になっているのでしょうね。

 

ホント作品愛、リスペクトのない人には映像化に関わって欲しくないですね

(最悪、愛やリスペクトがない・持てないならせめて原作をいじらず忠実に作って欲しいとだけ願う…)。

 

 


今回の問題で自死された漫画原作者さんには死という選択はして欲しくなかった、一漫画ファンとして本当にただただ悲しいです。
原作者さんは自分の死がどういう影響を与えるか考えられていたはず…。死の選択を肯定するつもりはないのですが、今回の問題の原因にドラマ製作の件があった事は誰の目にも明らかであり原作者さんの気持ち・メッセージを(誠に勝手ながら)汲むべく(決して死を肯定したい訳はなない、自死に意味を持たせたなくはない、生きていて欲しかった)今回の原作改変問題について書きました。

 

 

以上

 

アニメ「でこぼこ魔女の親子事情」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「でこぼこ魔女の親子事情」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


なかなかに面白かった普通に楽しめた良い作品でしたね。観終わった後にロスを感じるくらいには好きになってたわ。
それなりのキャラ数が登場するのですが、どのキャラクターも表面的なキャラ付けだけではなく魅力があってお話、ギャグも面白いんですよね
いやね、最初こそはなんかベタなというか安易な表面的なキャラ付けかな?と思っていたのですが、観ていく内にそのキャラクターにそのキャラが好きになるくらいには上手くキャラ付けが出来ているのですよね。ホント回を重ねるごとにキャラが良くなって(肉付けされていって)作品全体が好きになる様な造りになっていて、その結果が終わった後にロスを感じるほど良い作品となっていたのですよね。

 


あとこれは作品の内容とは直接は関係ないのですが、土師さんをはじめ声優も豪華で大谷さんや三石さんクラスも出演されていたりと、作品全体の楽しい雰囲気と共に制作側の作品愛が感じられる良い造りだったと思いますよ。

 

 


まぁただちょっと気になる点を2点ほど挙げると、
タイトルの「でこぼこ魔女」感がちょっと薄い感じなのですよね。いやね、しかしこれはでこぼこ親子魔女以外のキャラがみんな良いキャラをしているが故に~そのでこぼこ魔女の設定・関係性に頼らずとも/設定に物語展開・構成が引きずられる事なく~面白い物語を紡げるからこそ…(以前どこかの感想で、キャラさえ上手く作れていればそれだけで話が面白くなるという旨を書きましたが)キャラがみんな魅力的に描けているからこそなのですよね。

 

タイトルの、でこぼこ魔女親子の関係性を中心に話が展開するという意味ではでこぼこ感は弱い(タイトルとして強調するほど強くはない)と感じるのですが、まぁマイナス評価になるほどでは全然ないですね。

 

 


もう1点は、娘魔女の声…水樹さんのキャスティングについて。
いや、水樹さん自体に思う所がある訳ではないのですが…、OP主題歌を水樹さんが歌っているのを考えると…なんかこのキャスティングって、と勘繰っちゃうというお話。
せめて娘魔女役ではなく母魔女の友達役くらいであれば何とも思わなかった(許容範囲と考えた)かもかもですが…、、、「SHIROBAKO」の声優オーディション会議回(第14話)が思い起こされて、製作委員会のレコード会社のゴリ押しを~政治的キャスティング臭がする~感じちゃうのですよねぇ。
(サブキャラならともかく主役である娘魔女役に水樹さん…って本当に純粋なオーディションで決まったの?となんかスッキリしない感じ。これがもしOP主題歌を歌ってなかったら何とも思わなかっただろうけどね…)

 

 


ホント良い作品だったとは思いますが、基本的にギャグ・コメディな作品なので「良」という評価までは難しいかなぁ…という感じで、
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 

2期があるなら楽しみに待ちたい作品ですね。

 

あと、ED曲の途中で予告入れるのイイね。どんな楽曲でもやれる手法ではない、あの感じの楽曲だからこそできる、その見極め(センス)も良いねというお話。

 


以上

 

アニメ「はめつのおうこく」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「はめつのおうこく」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


キャラクター設定、世界観設定、物語展開その他諸々に納得がない酷い作品でした。

 

主人公をはじめメインキャラクター、敵キャラクターに至るまで表面的な設定(過去)のみでキャラに深み・魅力がなくその思考・言動に納得がなく、納得のないまま物語が進展し、薄っぺらいキャラ設定しかない故であろうか(キャラ設定を深く考えていないのでキャラに対する愛着もないのだろう…)味方?キャラも敵キャラも次から次へと消費される展開。

 

ホント小学生か中学生が描いたのかと疑うほど深みのない薄っぺらいキャラ、納得のない言動、無意味な・必要のないエログロ描写があるだけの納得のない物語展開、更に言うなら主人公や敵の技名がダサい…それこそ小・中学生が考えたのかと思うほどカッコ悪い(まぁこれはアニメの演出のダサさに原因もあると考えるけど)…、とほぼほぼ全てが酷いのですよね。

 

 

上述しましたが、無意味な・必要のないエログロ描写…これもホントイライラの一要因。物語上必須でもないエロ描写…ただ読者/視聴者の気を引きたいが為だけと思われる。またグロ描写についても同様、意味がない/必然性がないに描いてやがる。
ただでさえキャラ設定や世界観設定、物語展開の納得のなさにイライラしてるのにそこへ更に薄っぺらいあっさい考えでエログロを入れてくる作者のアホ思考が余計イライラを募らせるのよ。

 

いや、これがもし本当に作者が小学生か中学生だったのなら、まぁしょうがないかぁ、今後の成長に期待しますわ…、で済ますけど違うよね…。

 

 


世界観設定や内容の不満・納得のなさについてもう少し詳しく書くと(観たのが3週間以上前でもう忘れかけてるけど)、

まず、魔法という訳分らんものに頼るのではなく科学で人類は自立するみたいになる…ここまではまぁ分かるけど、何故それで魔女狩りに繋がるのか意味分からん。


なに?これまで人類は魔女に虐げられてきたの?違うでしょ?ただ魔女の助けに縋ってきたってだけでしょ?人類の矜持的な問題はあるかもだけど、それが魔女狩りにまでは到底つながらんのよね。まず人類のその倫理観設定に納得がない。
ストーリー後半で皇帝は魔女王妃に操られたみたいな事が分かるから最悪、皇帝(だけ)は魔女狩りを断行するのは理解できるんだけど、国民というか全人類が同じ思想・思考という事に全く納得がないのよ。
(あと、皇帝の演説の時の「魔法はもう必要ない!我々はスマホを手に入れた!」みたいなのには笑ったわ、作者はこの笑いを狙っての事だと思いたいけど諸々の納得の無さがもしかしたら作者は本気でこの皇帝演説を書いてるのかも知れんとも疑ってる)

 

 

あと、主人公が帝国に捕らわれて10年くらい閉じ込められるのですが、なぜ五体満足でただ生かされていたのか、また主人公は10年前に魔法無効化装置のせいで敗北している訳ですが、10年間その対策を考えていたとかではないのですよね(脱獄後同じで魔法無効化されてる)…、いや、敗北から学べよ。

 

 

で、その後は上述している様に初登場・初バトルが最期の登場となる敵キャラ、味方キャラのキャラ消費大合戦。

 

 

そして強さ設定もメチャクチャというか意味不明で終盤のドレッドヘアな敵に苦戦する主人公。何が強いのか、何故強いのか全く意味が分からん、納得がない。
今までの敵と何か圧倒的に違うの?強さ設定に納得がないからバトル展開・主人公が苦戦する理由、何も出来ずにやられる理由、その物語展開に納得がない。
おそらく展開ありきで物語を考えているから強さ設定とかなにも(考えて)ない、だから意味が分からん納得のない物語構成になってんだよね。

 

(他にも多々あったと思うけど細かい所はもう忘れちゃったわ)

 

 


キャラクター設定、世界観設定、物語展開その他諸々ほぼ全てに納得がない酷い作品で
作品の評価としては、「不可」評価となります。

 

 

以上