アニメ「チ。―地球の運動について―」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「チ。―地球の運動について―」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

もうそろそろ2025年ベストアニメを決めようかと考えているのですがその前に2025年アニメとして話題になった作品は押さえておかねばということで今作「チ。~」を観ることにしました。もちろん当時から話題になっていた作品の認識はあったのですが作品の雰囲気から軽々しく観始めるものではない、観るなら腰を据えて観なければいけない作品だと感じたので後回し後回しになっていたのですよね。

 


原作は漫画であること、そして作品自体というかタイトル自体はかなり前から知っていました。数年前からマンガ大賞的なものでも取り上げられていましたからね。ただこの漫画…小学館なのですよね。過去のブログでも書いている通り俺は小学館は嫌いなので、この作品が面白いと評判である事は知っていましたが小学館発行という事で出を出さないでいたのですよね。

 

まぁそんな感じで認識はしていた作品なのでお話の内容が地動説をテーマにした物語であることは知っていました。まぁ知っていると言ってもテーマが地動説という程度で登場人物や物語の詳細な展開などは全く分からない状態です。

 


で、そんな状態で観始めた物語内容についてですが…、観る前に色々と想像・期待していた内容とはかなり大きく違いましたね…。

 

 


まずは良かった点から述べていこうと思います。
作中で登場人物たちが天文学の専門的な言葉と内容で自説や定説なんかを語ったりするのですが作中でのその専門用語や説明なんかのやり取りを観ていると感じるのは、作者はよほど天文が好きなのかよほどこの時代の事を研究・調査したのか…、安易にちょっと地動説テーマで物語を創ってみようという思い付きだけではここまで描けないよなと感じるほどにこの作品への熱い思いが伝わってきてそれには素直に凄いと感心しましたね。

 


また、この物語作品はいくつかの章立てで構成されているのですが各章ごとの中の物語の構成が上手いなと感じるのですよね…。
(まぁ構成についてはちょっと思うところもあるのですが後述します)

 

 

 

ここからはちょっと思うところを書いていきます。
観ていて疑問に思ったのでちょっとwikiやネットで調べたのですがこの作品って史実ベースの作品ではなかったのですね…。
いや、俺はてっきり何かしらの資料(発見された過去の文献等)を基にして創られた物語作品(史実をベースにエンタメとして膨らましてある作品、直近で言えば「逃げ若」の様な作品)だと考えていたのですが、地動説が異端とされていた時代があったという事実は別としてまるっきりのフィクションだったのですね…。史実ベースではない完全創作の物語だった、そこにまずなんかガッカリというか肩透かしを喰らったのですよね…。

 

 

この作品が史実ベースではないことの肩透かし/期待外れ/ガッカリ感がそれだけで済めば良かったのですがこれが後々のというか物語作品全体としての構成、章ごとの構成にも悪い影響となってくるのですよね。

 

 


ちょっと話が脱線しますが、マガジンでボクシング漫画を描いている某森川さんがトゥイッター(X)のスペース上で語られていた漫画論で漫画は「ストーリーで読ませる漫画」と「ドラマで読ませる」漫画があると述べられていました。「ストーリー漫画」は展開で読ませる/逆転に次ぐ逆転や急転直下・驚きの展開など物語自体の起伏で魅せる作品であり、一方「ドラマで読ませる漫画」はキャラ重視、キャラの掛け合いや関係性の変化などで魅せる作品と説明されていました。

 


で、話を戻すと今作「チ。~」は「ストーリーで読ませる漫画」となるのですよね。先程もちょろっと述べた様に物語の構成が上手いと感じることがその要因の一つですが、もう一つの要因、それは…この作品って主人公が代替わりするシステムとなっているのですよね。最初の主人公なんかは3話くらいで退場してしまいます。そして物語は基本的に各章の主人公が地動説に出会い(惹かれ)真理を求めていき、次へ託すという事を軸に描かれていきます。そういう軸としてやらなければならないことがある程度決まっている状態(作品構成)となっているためキャラ自体が恐ろしく弱いのですよね。キャラを深掘りすることより地動説を軸にしたストーリー展開が優先される感じの物語構成となっているため(またすぐに退場してしまうのもあって)物語として淡白でありストーリーの展開は追えているけど主人公や登場人物への魅力が薄く、綺麗に構成された物語をただなぞっているだけという感じで作品に深くハマることができないのですよね。

 

 

某森川さんの話では「ストーリーで読ませる」、「ドラマで読ませる」どちらも出来た方が良いと言われてました…。今作「チ。~」は明らかに「ストーリーで読ませる漫画」であり、各章でのキャラの魅せ方の弱さ、主人公が変わるシステムであることもあって「ドラマ」の部分が圧倒的に弱く感じられてしまうのですよね。

 

 


ここで前段で述べた「史実ベースでない云々」の話について…。
もしこの作品が史実ベースの作品であったのならば「キャラの魅せ方の弱さ」という弱点はなくなる、まぁなくなる言い過ぎとしても弱点は確実に薄まると言えるのですよね。各章で描かれた主人公たちが実際に存在した/モデルが居たとすればそれだけでそのキャラへの想いが強くなるのですよね…、それは例えば「ウマ娘」のライスシャワーの様に、あぁこんな競走馬(レースに勝ってブーイングを浴びせられた競走馬)がホントに居たんだと思うとそのキャラへの想いが強くなる様に。

 

俺はこの点が問題だと感じますね。もし各章の主人公、登場人物たちが完全なフィクションではなく何かしらの資料・史実を基にしたキャラクターであったならば「ドラマ」(キャラ重視寄りの作品としてキャラ性が補強される事となり)が強くなり、「ストーリーで読ませる作品」と「ドラマで読ませる作品」としてより面白い作品となっただろうと感じるのですよね。または完全なフィクションとしての物語とするならばストーリーの構成だけに目を向けるではなくキャラクターを深く描く事も必要だったのかなと考えるのですよね。その点が残念でしたね。
(全話観て唯一キャラが多少描けていると感じたのは第2章の代闘士・オグジーの成長・変化としてのキャラですかね…そのオグジーにしても退場してしまうで…)

 

 

 

あとは構成についてちょこちょこと気になる部分があるのですよね。
例えば、第3章での異端審問官と娘の再会…という場面についてももっとドラマ的に描けたはずなのに敢えてそれをしない点。作者としてはドラマ的に描くよりストーリーを展開させることを優先したのでしょうね。

この場面以外においても結構簡単にあっけなく登場キャラが退場するのでキャラを描かない/使い捨てる描き方…キャラが物語を展開させるための設定・役割をもったオブジェクトにしかなっていない描き方…ストーリー優先の作者の描き方に疑問なのですよね。

 

繰り返しになりますが、もしこれが史実ベースの作品だったとしたら物語を(史実通りに)淡々と進める事/ストーリー優先で描く事は仕方ない…史実を捻じ曲げて描く訳にはいかないので仕方ないと納得するのですがそうではないですからね。だからその描き方に納得がなく疑問なのですよね。

 

 


最後に全体の構成として、第1章、第2章までは地動説軸の物語として良く出来ていたと思うのですが第3章以降はなんか雑というかちょっと軸がずれている様に感じたのですよね。始めは良かったのに終盤の構成が粗くなっていった感がなんか残念でしたね。
(もう少し言うなら第1章の構成についても疑問で第1章の主人公ってなんか大きく事を成したというよりただ単に次へ託すというだけの話で終わったから何なら第1章と第2章併せて第1章としても良いくらいだと思ったのですよね)

 

 

 

世間の評判的には名作の声が高かった気がしますが俺的にはそこまでかなぁ…という感じで肩透かし感ガッカリ感を感じた作品でちょっと残念でしたね。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上

 

 

アニメ「終末ツーリング」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「終末ツーリング」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

なんかよく分からない中身のない作品でしたね…。
タイトルやキービジュアルから想像した内容は「少女終末旅行」の様な感じかなぁでしたが、まぁ雰囲気的には想像通りでしたね。

(申し訳ないのですが「少女終末旅行」の内容はほとんど覚えてないので比べる訳ではないのですが)今作「終末ツーリング」は色々と良く分からない点があるのですよね。

 


まずはキャラの捉え方/声の演技・音響監督のディレクションでのアンドロイドの少女の演技についての疑問点。
アンドロイドの少女はアンドロイドっぽく?なのか基本的に常に冷静な感じでローテンションな喋りなのですが時によっては元気に歌を歌ったり笑顔になって喜びはしゃいで喋ったりしていることもあってそのちぐはぐさに違和感を覚えるのですよね。いやね、元気に歌ったり喜びはしゃぐ様なキャラ設定なのであれば最初から基本ローテンションな喋り方に設定しなければ良いのにと思ったのですよね。

 

これは中の人の富田美憂さんの演じ方という意味ではなく、そういうディレクションを音響監督、アンドロイドの少女・アイリのキャラ設定をその様にとらえた監督の問題だと考えます。アンドロイドという設定だからと言ってロボットっぽく感情がないローテンションな喋り方にする必要はないのですよね。
それをローテンションな喋り方がロボットっぽいアンドロイドっぽいと安直に考えた音響監督・監督の問題なのか知らんけど、元気に歌ったり笑顔ではしゃぐキャラにローテンション喋りをさせてるからおかしなことになってんだよね。別に他の作品をみても感情豊かなロボット・アンドロイドキャラっていっぱい居るだろ、それを考えたらワーキャー騒ぐキャラにローテンション喋りさせる意味が分からんのよね。

 

 

 

次に(これが一番大きな問題ですが)、お話自体のつまらなさ。
物語の構成は基本的には主人公二人が日本各地を旅する、ロードムービー的な(お話の内容をよくよく見てるとロードムービーとはちょっと違うけど)お話が展開されます。たまにゲストキャラが(人間ではない、ロボット的なゲストキャラだけですが)出てはきますが基本は主人公二人の会話がお話を作っている形となります。

しかし、その二人の会話が面白くないのですよね。軽妙な会話のやり取りの面白さや深みのある話というのでもない…ただ元気っ娘キャラとそれをサポートする(つっこみ諫め守る)アンドロイドの中身のない何の面白味のない会話が繰り広げられるだけの物語構成が延々と続くのが退屈でつまらないのですよね。

 


この作品世界の設定って、ポストアポカリプス的な主人公たち以外の人間が何故か誰も存在しない世界を舞台にしているのですよね。なので先述した様にこの物語は基本的には主人公二人だけで作られる物語となっています。まぁそれが物語構成の問題…、お話自体のつまらなさの問題になるのですよね。主人公二人以外のキャラが出てくることで新しい出会いや関係性の変化、違った一面が表れるといった物語的進展・変化が観れればまだ良かったのですが、キャラ的に微妙な元気っ娘というだけの薄っぺらいキャラやちぐはぐなアンドロイドキャラの二人の会話主体ではいつまで経ってもまったく物語が面白くなることがないのです。

 

 

また物語構成上のもう一つの問題として、先程もちょろっと述べた「主人公たち以外の人間が何故か誰も存在しない世界」の謎についての問題。
最終話まで観たのですが結局その謎…何故主人公たち以外の人間は居ないのか、世界に何があったのかの謎は明かされずじまいでした。そしてその謎が何も語られないので
主人公たちの目的なんかも分からないままなのですよね。世界を救うため・復興させるためとか人間を助けるためとか何か現状を変えるための方法を探しているとかの物語の大筋となる目的・ゴールが何も示されないままなのが、キャラクターの会話劇が面白くないのも相まってつまらなさを加速させているのですよね。

 

この作者はなんかバイクが好きみたいなので俺が思うにおそらくただバイクを描きたいだけバイク旅のお話という事だけで物語を始めて作品世界の設定や物語の終着・終わらせ方なんか何も考えていないのではないかと思っています。
いや、さすがに多少の設定は考えてあるのかも知れませんが…、ポストアポカリプス世界観で少女二人のバイク旅、この設定でどうお話を盛り上げ(キャラ造りも拙いのに)面白く展開させ納得のある物語終着をさせる気だったのか到底分からない・見えてこないので多分なんも考えてないのでしょうね。

 

 

1点だけ良い所を挙げると、背景美術。

背景の画が綺麗で良いですね。もっと言うと色の使い方が良い。たまにある実写みたいに美麗というタイプの背景の綺麗さではなく画としての美しさを感じる良い背景でしたね。

 

 

 

主人公たち二人の会話も面白くないしゲストキャラの話もそんなに深みのある話でもなく物語の核心に近づく様な話でもなくずっとずっと退屈で正直一気観することが出来なくて間にちょこちょこ他の作品を挟みながら二ヶ月くらいかけて最近ようやく観終えることが出来た、そんなよく分からない中身のない作品でした。

作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上

 

 

小学館「マンガワン」問題について

小学館「マンガワン」問題についてSNSで騒がれている事自体は知っていました。先週の金曜(2026/2/27)昼頃からトゥイッター(X)上で話題になっているのを見てSNS・ネット上の情報だけですがずっと追いかけてはいたのですよね…。小学館で連載を持ってる多くの漫画家が義憤に堪えない思いを表明し当該サイト/アプリへの自身の作品の配信停止を訴えていましたね。また小学館以外での連載を持つ漫画家も、当該担当編集の人道にもとるその行いは出版社・編集部と漫画家の信頼関係を壊す裏切り行為であると強い批判の声が上げていましたね。

 

 

その流れの中で、声を上げない(配信停止や批判姿勢を表明しない)漫画家への批判や意思表明はしたもののその文言・言葉尻を捕らえて批判する訳の分からない気持ち悪い連中も湧いてきたのですよね。

 

私はある時期から「はじめの一歩」で有名な漫画家・森川ジョージさんのトゥイッター(X)を追いかけていて、その森川さんの交友関係(X上でのやり取りやスペースでのやり取り)から弓月光さんや島本和彦さんのトゥイッター(X)も拝見していました。今回の件でお二方(弓月さん、島本さん)もXで意思表明されているのですが、そこへ言葉尻を捕らえて変なイチャモンを付けてる気持ち悪いのが湧いていてイライラして見ていたのですよ。


炎上に慣れている森川さんはともかく(冗談です)、炎上慣れしていないであろう弓月さん、島本さん(初炎上だったりするのでは)が気を病んでいないか心配になったのですよね(と同時にお二方の気を病ませている悪意あるコメントしてる気持ち悪い連中にイライラもしてました)。


特に島本さんの方はネットニュースでも取り上げられたりしていて、島本さん(のあの性格)はああ見えて実はとてつもなく繊細な心の持ち主ではないのかなと思っているのでホント今回の件で心を病まれてないか心配なのですよね。

 

私が使っているトゥイッター(X)はブログをアップしたお知らせ的な使い方しかしておらず基本的にはリプライ・引用・コメントは行わないのですが、島本さんへ悪意あるコメントしてる気持ち悪い連中にはさすがに反論コメントしてやろうかと思ったほどイラっとしたのですよね。


(ネットニュースで取り上げられていた「意識的に隠そうとしたわけではないと考えます」の部分…当然私も島本さんの意思表明のコメントを読んでいます、その上での感想となります。私はこれは普通に「小学館という出版社全体で隠していた訳ではない」という意味に受け取りましたけどね。
事件の加害者である漫画原作者とそれと共謀した担当編集は確実としてあとは当時の編集長くらいで「~関わった人は多くない~」だろうと島本さんは考えられていて「マンガワン」部署を超えて他の部署全ての小学館社員も承知の上の出来事だったとは思わない/思えないという意味での「出版社として/小学館全体として~意識的に隠そうとしたわけではない~多くの小学館社員は知らなかったはずだ」という意図…それが普通の受け取り、解釈だと思うのですが…。なんか最初から悪意を持ってコメントを読んでいる様な気持ち悪い思考を感じるのですよね。島本さんへ悪意あるコメントをしている連中はおそらく島本さんの漫画を読んだ事もない連中なのでしょうね。島本さんがどういう漫画を描いているどういう人物・性格の人なのかも知りもしない連中だから少しでも引っかかる表現を見つけて鬼の首を取ったように騒いで集っているのですよね。

ホント島本さんはそういう輩のコメントなんか気にしないでいて欲しいわ…。


これはあるプロゲーマーのSNSでの悪意あるコメントについての言葉ですが「ファンからの言葉は何分も考えてくれた言葉だと思うけど悪意あるコメントは4秒くらいで考えて書き込んでる。4秒の言葉より何分も時間を使ってくれた人のことを考えた方が良い」。この考え方は素晴らしいなと感心したのですよね。


島本さんもファンでも何でもないどこの誰かも分からない勢いだけで何も考えずよく読みもせずに書き込んでる奴の言葉なんか気にせず本当のファンの言葉を大切に受け取って欲しいですね)

 


弓月さん、島本さん、森川さん(その他標的になってる漫画家含む)へ悪意あるコメントしてる気持ち悪い連中は共通していきなり喧嘩腰なのですよね。
連中はX上のコメントのその文言・言葉尻を捕らえていきなり喧嘩腰で批判しているのですが、いや…まずは質問の形式から入るべきだろう、と思うのですよね。
コメント内に気になる文言、引っかかる言葉・表現があったのならまずは「その言葉の意味は~という意味でしょうか?」「~という意図で使用されているのではないですよね?」とその発言/言葉の意図を尋ねる・確認する事から始めるのが筋、順序だと思うのですよね。それを連中が自分で勝手に決めつけで思い込み判断していきなり喧嘩腰で悪意あるコメント、「撤回しろ、謝れ」と理不尽というか意味不明な会話の成り立たないアホな気持ち悪いムーブをかましてるのですよね。

 

というかそもそも今回の事件を起こした訳でもない漫画家個人への批判が向く事がおかしいのですよね。漫画家個人へ悪意あるコメントしてる気持ち悪い連中のその憤り・思いは出版社・小学館へ向けるべきだろうに。


今回の事件を起こした訳でもない漫画家個人へ怒り・憤りをぶつけて何になるのか、何が変わるのか。その思い全てを訴えるべき相手は出版社・小学館だろうに何してんだこの連中は?気持ち悪い…、という感じで見ています。。。

 

 

 

今回の事件を起こした訳でもない/批判される謂れのない漫画家が悪意あるコメントで悩まされているこの現状…これは全て出版社・小学館の対応の悪さ/遅さが原因だと私は考えています。


小学館で連載を持っている漫画家個人のひとり一人が「自身の作品を配信停止してくれ」と出版社・小学館へ訴えなければならないこの現状がおかしいのです。
漫画家個人ひとり一人が意思表明をする必要がない様に出版社・小学館が先んじて①「マンガワン」アプリでの全作品の配信を全て停止する。②問題を起こした担当編集と事件加害者の漫画原作者及び今回の問題の関係者を厳正に適切に処分した上で新しいアプリ/サイトを立ち上げて配信再開・移籍を確約する。…今問題の関係者の処分・調査には時間が掛かるかも知れませんが、取り急ぎ「マンガワン」アプリでの全作品の配信停止と今問題を取り除いた上での配信再開・移籍しての連載継続の確約を小学館が全責任を持って素早く示してさえいれば漫画家個人ひとり一人が意思表明をする必要がなくなり謂れのない批判をされることもなかったと思うのですよね…。「セクシー田中さん」の時も対応表明・調査・報告が遅かったけど何も反省してない何も学んでないいつまで経っても変わることのない停滞した企業なのかね。。。

 

 

 


ここまで書いてきましたが正直上述した内容については私が思っているだけで外へ発信するまではないかなと考えていました(今回の問題の裏にある事件が被害者もいる事だし…と※※)。

 

(※※…今回の問題にある事件の被害者は今のような状況/ネットニュースでも取り上げられる様な大事になるのは考えていなかったのではないでしょうか…。事件後の裁判での事件加害者の態度などからも反省が見えない言動の中での連載作品の再開は到底許せるものではなかったでしょう。事件被害者が連載作品の中止を求めた事、中止撤回の条件として事件加害者の漫画原作者が行った事を公表することを求めたというのは至極当然のことと思います。しかし、事件加害者である当該漫画原作者とその担当編集は事件被害者の想いを蔑ろにし無下にし金で黙らせようとし、ペンネームを変えて新たな連載を始めているのですよね…。事件被害者としては「この漫画原作を描いているのがどういう男か知って欲しかった」というあくまで事件加害者である漫画原作者へ焦点が当たる事を望んでいた、社会的制裁を望んでいたと考えるのですよね。それが…ネットを中心に騒ぎが大きくなっていき事件被害者が最初に求めていた考えていた以上の騒ぎになっていったのではないかと私は考えています。私は事があまり大きくなりすぎると興味本位のマスゴミが動き出して過去の事件そのもの、事件被害者へも焦点が当たる事になり、それは(事件被害者に焦点が当たる事)は事件被害者は決して望んでいないことだと考えています。その意味であまり大きくなりすぎる事、騒ぎ過ぎてしまう事に躊躇いが在ったのですよね)

 

 


今回の問題が騒がれ始めた当初、私が思ったのは「性加害の漫画原作者に関する問題」ということで「アクタージュ」が思い出される/話題に出されるだろうなと考えていました。

案の定、トゥイッター(X)では「アクタージュ」の件と並べて語られていて、私は「あぁこれでは『アクタージュ』の再開・復活が遠のいてしまうな」と思ったのですよね。

 

私は私のブログ内で「アクタージュ」タグを作っているほど「アクタージュ」にハマっていたのですよね。そのブログの中で私は「アクタージュ」原作者のマツキタツヤさんの復帰、「アクタージュ」の再開・復活を願っていました。
(過去ブログリンク:「『アクタージュ act-age』について~終」)


そして昨日(2026/3/2)に出てきた情報…、なんとその「アクタージュ」の原作者・マツキタツヤさんが名前を変えて件の「マンガワン」で漫画原作者として活動しているという…、驚きましたね。


「アクタージュ」ファンで漫画の感想や事件当時の思いも綴っていた身としては件の「マンガワン」にマツキタツヤさんの名前が出てきてはちょっと黙っている訳にはいかないと考え今回思いを書くに至ったのですよね。

 

 

ペンネーム変更…「マツキタツヤ」のペンネームを目にしたら事件被害者が事件の記憶を思い出してしまうかもしれないという事件被害者へ配慮しての変更であることが述べられていました。
理由としては理解しますが、私としてはペンネーム変更自体は構わないと考えるのですがそれとなく示す/作者コメント欄等で「アクタージュ」の原作やってました、みたいなカミングアウトが欲しかったですね。


というのは、やはり応援をしたかったから、マツキタツヤの復帰を願っていた身としては普通に素直に応援したかったからです。小学館は(原稿紛失事件以来)嫌いなので基本的に小学館掲載の漫画作品は読むことがなく、そこで名前/ペンネームを変えられていては知りようもなく応援しようもないのですよね…。

 

 

「『アクタージュ act-age』について~終」でも
ペンネームの変更についても言及していますが、

>もし被害者がジャンプ読者であったならば、「タイトル変更」や「ペンネーム変更」したところで否が応でも「マツキタツヤ作品」が目に入る事になります。その様な場合は掲載紙をよりマイナーな物に変えるという事や被害者の目になるべく入る事のない配慮・意識的に見ようと思わなければ見れないという配慮が必要となるでしょう。

 

と書いている様に事件被害者がそれを求めるなら「ペンネーム変更もやむなし」と考えているのですが、今回は求められた訳でも了承を得た訳でもないペンネーム変更であったのが私の考えとちょっと異なる所だったのですよね。


ペンネーム変更するにしても被害者に了承を得る(「マツキタツヤ」から変更して別名で創作活動を再開する旨を連絡するという事。被害者が業を背負ったまま十字架を背負ったまま「マツキタツヤ」のままで行けというのならペンネーム変更するべきではない、というお話)、
そして変更したなら読者にもそれとなく示すみたいな事をやった方が良いと思うのですよね。おそらく編集部の思惑としては純粋に作品で勝負したい、色眼鏡で見て欲しくないという思いからだとは考えるのですが、(私は未読ですが)作品が面白く人気が出てアニメ化など決まったとしたらどこかのタイミングで「アクタージュ」原作者だったとカミングアウトする事は果たして出来たのでしょうか?カミングアウトすることなく黙ったままで後からバレた場合を想像するとちょっと世間の反応が怖いのですよね。
そういう事を考えると早い内にそれとなく示すこと・カミングアウトをやっておいた方が良かったのかな…、今回のことはそのタイミングが得られたのかなと思っていますよ。
今まではマツキタツヤの復帰あらため八ツ波樹作品の存在を知らなかったのですが、知ったからには私は全力で応援していきますよ!

 

 


上記に関連して、過去ブログでも語っていた「犯罪者の社会復帰」について改めて述べさせていただきます。

『アクタージュ act-age』について~終」で述べた事の繰り返しとなるので内容を抜粋・転記しますが、罪の償い、更生・反省後であるというのは前提として、犯罪者の社会復帰は認めてしかるべきだと考えています。

 

「アクタージュ」の件を例に挙げて
>もし被害者がジャンプ読者であったならば、「アクタージュ」連載再開したときに、「タイトル変更」や「ペンネーム変更」したところで否が応でも「マツキタツヤ作品」が目に入る事になります。
>その様な場合は掲載紙をよりマイナーな物に変える(ジャンプからWEB掲載誌へ)という事や被害者の目になるべく入る事のない配慮・意識的に見ようと思わなければ見れないという配慮が必要となるでしょう。
>出版社が被害者のために出来る事・出来得る範囲としてはこの辺りまでではないでしょうか。
>被害者感情に配慮し「被害者の事を考えもう二度とマツキタツヤ原作は掲載させない、創作活動を許さない・出版を認めない」~「犯罪者の創作物が犯罪被害者の目に入る可能性がある限り創作系の活動は許されない」というのは行き過ぎであると思うのです。

>もし「許されない」とする考えであるのならば、それは職業に貴賤をつける事であると言えます。
>社会復帰を望む犯罪者に相応しい職業/相応しくない職業というものが果たして存在するのでしょうか?
>社会が・世間が「犯罪者だから」この職業に就いてはダメ、犯罪者が就く職業は○○が相応しいと決める事は正しい事なのでしょうか。

>創作系の職業の場合、その創作物を評価・その創作物にお金を出すかどうか・その職業で食べていけるかどうかを決めるのは世間一般になります。
>その職業に就くことを認める/認めないは世間がその時に評価・判断すれば良いのです。
>「社会」が犯罪者の社会復帰の職業に枷を掛ける事、そのチャンスの目を最初から摘むというのは行き過ぎ・必要ない事なのです。

 


上述した内容は事件当時の/過去のものですが私の思いとしては今も変わりなく同じ考えなので今回のマツキタツヤ改め八ツ波樹としての漫画原作者復帰はファンである事も併せて全力で応援するつもりです。
もし世間が八ツ波樹作品にそっぽを向く、人気が得られない、打ち切りとなる、食べていけなくなるとなった場合そこで初めて創作という職業に就くことを認められる/認められないが判断されるものと考えており、その判断が下される前から許さないとか排除するという事はあってはならないと思っています。

 

 

今回の問題についてネットニュースの記事で「犯罪歴のある漫画原作者を起用した問題」とタイトルが付けられ報道されていました。タイトルだけにとどまらず内容の方も起用した事を問題視・疑問視している様な記事でした。いやいやいや、違うだろ…と。

上述している内容の通り、犯罪者の社会復帰は認められるべきであり「犯罪歴がある人物を起用するとは何事か!」という論調はおかしいのです。マツキタツヤさんの場合、罪も償い反省も示されているということから作画担当、編集部(編集長他一部の編集者)にもマツキタツヤさんの情報は共有されその上での起用だったので私としては何の問題もないと考えています(ペンネーム変更について先にも述べた様に思うところはありますが)。一度でも罪を犯した者は更生を許されず徹底的に社会から排除されるというのは社会として大変恐ろしい事で社会としてあるべき形ではないと考えています。上述したことの繰り返しとなりますが、犯罪歴のある人物が漫画原作者として創作/エンタメ活動に関わることの是非は読者が判断すれば良いのです。当該作者の作品を見たくないと思えばただ個人で見ない選択すれば良いのです。起用することすら咎めて社会復帰の道を閉ざしてしまう/狭めてしまうのは不健全な社会であると考えます。なので私はマツキタツヤさんの復帰を誰に憚られることもなく全力で応援しますよ。

 

ただ、今問題になっているなんとか仮面の漫画原作者については全く別の話です。上述の内容の中で「罪の償い、更生・反省後であるというのは前提として」と書いている通り悔い改め反省・更生していることが大前提なのです。しかし件の漫画原作者は何の反省もみられない言動・態度であったり事件被害者の思いを踏みにじる様な行いや金で黙らせようとする行いには全く反省の色が感じられない…そういった状況での事件被害者を軽んじペンネーム変更、漫画原作者としての起用が行われており到底あってはならいことだと考えています。

 

犯罪歴のある人物の起用自体が問題なのではなく、事件被害者への真摯な対応/罪の償いを疎かにした/事件被害者を蔑ろにした手前勝手な行動が問題視されるべきだと思うのです。

 

決して一緒くたにして語ることではなく本質を見極めて議論して欲しいですね。

 

繰り返しますが、私は八ツ波樹作品応援しますよ。

 

 

 

思いがけずマツキタツヤの名を目にする事となり八ツ波樹作品の応援表明をしたかったので今回の件に触れた次第です。

 


以上

 

 

アニメ「青のオーケストラ」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「青のオーケストラ Season1 Season2」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

「青のオーケストラ」Season1 全24話とSeason2 全21話を一気観しました。
物語導入部分だけを見ると、主人公(男)は幼い頃から音楽をやっていてコンクールにも出て優勝する天才少年的な存在だったけど、ある出来事から音楽を止めてしまいそんな中でヒロインとのボーイミーツガール的な出逢いから再び音楽の道の戻るという「四月は君の嘘」の様な始まり方をします。まぁその後の展開は全然違うのですがね…。

全話観終わっての感想としては、物語の構成・設定、魅せ方、アニメーション(CG)どれも微妙な感じの作品でしたね。

 

 

まず、この作品は高校の部活動もので音楽・オーケストラ部を舞台にした物語となっています。前回の「ワンダンス ~感想」でも書いたことですが、スポーツ物とは違い明確な優劣の差、点数などの数値がされない芸術系の部活動ものって部活内ライバルや他校との戦い(コンテスト、大会等)なんかの描き方が難しいのですよね。
今作でもご多分に漏れず音楽、オーケストラの上手さ・凄さというのが分かり易く魅せられていないのですよね…。

 

主人公は(ブランクはあれど)天才少年的な設定のヴァイオリン弾きなのですよね。部活に入部して即一目置かれる様な腕前を持っている様ですが、ここで魅せ方として分からんのが3年のコンマスの先輩の力量。主人公も驚くほどの腕前の様ですがそれがどれほどのものなのか全く分からないのですよね。実際にアニメ上では主人公の演奏とコンマス先輩の演奏が流れるのですが、その違いなんてこちらはさっぱり全く分からんのですよ。

 

 

こと音楽に限らずダンスにしても美術にしても「芸術系」の巧拙・良し悪し・優劣は分かり易く描写するというのは難しいのですよね。というか描写以前に俺は音楽やダンスや美術にしてもその良し悪しが分からない・理解できないのですよね…。そりゃよっぽど下手な音楽であったり全然踊れてない・動けていないダンスであったり実物とかけ離れた絵画であったりすればその優劣は分かりますが、ある程度上手いところ・一定のレベル以上にまで行ってしまえば門外漢の俺にはもう「こっちの演奏の方が優れている」とか「このダンスの方がレベルが高い」とか「技術的に素晴らしい事をやっている」とか全く区別がつかないのですよね。

 


今作の演奏技術についても上述した様に、過去コンクールで優勝したことある様な腕前の主人公が音楽系の強豪校とは言え一部活動の3年生の先輩の演奏の腕前に憧れるというのが良く分からんのですよね。どうなんだろ?コンクールでの優勝って音楽強豪校のコンマスやれる様な人間なら簡単に取れてもおかしくないものなの?コンマス先輩の過去は語られてないと思うのですが、作中でコンクール常連みたいな話は出てないのでおそらく幼い頃から音楽漬けという訳ではない・中学から部活で音楽を始めた程度だと思うのですよね。そんなコンマス先輩がコンクール優勝者を差し置いてトップみたいな描かれているのが、(主人公とコンマス先輩との)演奏技術の差異が分からんのも相まってよく理解できない/納得がないのですよね。また、2年のコンマス先輩からはプロになれるのに~みたいなこと言われているのですがそんなもんなの?それほどの腕前なの?とその技術の高さ凄さがよう分からんのですよね。

 

 

ホントこういう芸術系の題材を扱い場合は読者・視聴者に分かり易い、納得のある良し悪し・優劣の差を魅せる創意工夫をして描いて欲しいわ。。。

 

 

 

で、次の問題が部活仲間の各個人の悩みエピソードとオーケストラ部/音楽との絡みについて。
主人公をはじめメインキャラや部活の仲間(同級生、先輩)の悩み・問題が作中で描かれるのですが、その悩み・問題のほとんどがオーケストラ/音楽と絡んでいない別個の問題となっているのですよね。音楽的な悩み・問題ではなく、学校、クラスメイト、人間関係、家庭問題の悩み・問題が9割を占めている感じであり、その悩み・問題のお話自体は悪くはないのですが部活動もの/オーケストラ部としての意味がなく、他の部活動に所属していても成り立つような話ばかりで構成されているのですよね。青春部活動もの作品の意味を考え、音楽の技術的な悩み・オーケストラ部特有の悩みみたいな事を考えてオーケストラ部と悩み・問題を絡ませて自然な物語にして欲しかったと感じるのですよね。

 

 

あとこれは、今作に限らず青春部活動もの作品についての苦言として挙げると…、
部員/仲間の家庭問題・プライベート問題の悩みに主人公をはじめ部活仲間がプライベートな悩みに介入して解決し結束を固めるみたいな展開、、、まぁ普通はリアルでは有り得ないわな。。。部活をやっている人間の中にはそりゃ家庭問題などのプライベートな悩みを抱えている者はいるでしょう。しかしそんなプライベートな悩みを部活仲間に話すか?仮に話したとしてただの部活仲間・部員がその解決のために介入するなんてまずないだろうね。
よっぽど小さく密になっている仲間同士(田舎などの狭いコミュニティー)ならまだ分からんでもないけど、一部活動の一部員のプライベートな悩みに首を突っ込んで解決するなんて物語構成はちょっと無理があるよねと常々感じているのですよね(やるのならば納得のある関係性を事前にしっかり描いておくとか悩みのバリエーションを増やす(毎回毎回プライベートな問題へ介入するのではなく介入して解決するのは1回だけにするとか、不自然さを感じない物語構成にして欲しいですね)。

 

 

 

続いては、アニメーションというか演奏シーンのCGの問題。
いや、CGが/演奏の動きが気持ち悪い。ホント操り人形みたいで糸で操られて腕を上下に動かしているだけみたいな画で演奏シーンが描かれているのですよね。アニメーションの画の中の人物が活きていない…、死んでいる/正規の抜けた抜け殻のような人型が操られて動いているだけ、みたいな画が出来上がっていて気持ち悪いのですよ。

いや、もう少しなんとかならなかったの?先日観たアニメ「ワンダンス」でもCGが使われていたけどまだあっちの方がマシなCGでしたよ。今作「青のオーケストラ」のCGは一昔前のCGの動きでしたよ。もう少し何とかならなかったのかねぇ。。。

 

 

 

途中でもちょっと述べましたが、部員の悩み等を描く人間ドラマ的な描写自体は悪くなかったのですよね。部活動もの/オーケストラ部ものとして作品でなかったら~音楽がメインになっていない作品構成だったら~もっと良い物語構成になっていたと思いますね。

ただやはり、部活動ものとして(オーケストラ部という設定をメインに据えていて)物語の構成・設定(悩み・問題)の拙さ、音楽的巧拙の魅せ方の工夫の足りなさ、アニメーション(CG)のクオリティーの低さなど微妙な感ところの多い作品で
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上

 

 

アニメ「ワンダンス」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「ワンダンス」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

う~ん、なんか色々と微妙だった作品。
高校生主人公の青春部活動ものでダンスをメインに扱っている作品となります。原作は漫画の様で、漫画/静止画の主題としてダンスという難しい題材…他のスポーツ系の部活動ものと違い勝敗のつけ方が難しい(明確な点数が付かない)芸術系の部活を題材に選んでいる点は挑戦的だと思いますが、それだけですね…。

 

部活動ものとしてダンスを扱っておいて肝心のダンスシーンの魅せ方が下手というか納得がないのですよね。原作漫画では静止画・コマの連続で魅せているダンスシーンをアニメーションとして制作するうえで動きを付けて魅せるというのは分かります。しかし、そのダンスシーンが冗長に感じてしまうのですよね。見るべき所が分からない、魅せたい画が分からない状態のダンスシーンを長々とただ見せられる、これが退屈で冗長に感じられてしまうのですよね。

 

 

ダンスの良し悪しの違い、他校・ライバル達とのダンスの違いが良く分からないから観ていてもただなんか踊ってるなぁくらいしか思えない感じないのですよ。またダンスシーンはCGでモデリングされたキャラを操り人形みたいに動かしてダンスさせているだけですから(更に加えるならCGモデリングのダンスを見せるために全体的にダンサーの全身が入った引きの画ばかりなのもあり)、手描きの作画の様な魅せたい画を意識した作画、構図になっていないため見るべき所のない(分からない)変化のない退屈な画を長々と観させられるだけの時間となってしまっているのですよね。

 

 


で、続いては漫画原作のストーリー構成、物語構成の問題ですね。
原作漫画は読んだ事ありませんが、上述したダンスシーンの冗長問題に目を瞑ったとしてもストーリー構成、「ダンス」漫画としての魅せ方の拙さというか工夫のなさが感じられるのですよね。ダンスというジャンルのコンテスト、バトルにおいて見るべき所・ルール・評価基準などが何も分からない素人(視聴者)が観ても分かる様な・盛り上がれる様な物語づくりになっていないのが問題なのですよね。

 


俺の好きな漫画に「ヒカルの碁」という囲碁をメインに扱った漫画があります。完全版を買い揃えるくらい好きな漫画ですが正直俺は今も囲碁のルールは何となくしか理解できてません。しかし「ヒカルの碁」は囲碁のルールが分からなくても、囲碁をメインに扱った漫画のストーリーを読むのに全く気ならないほど話に惹き込まれ面白く観れるのですよね。

まぁ囲碁とダンスではルールや勝敗の評価基準の明示に差があるので安易に比較はできないのですがそれでも、今作「ワンダンス」は「ヒカルの碁」に比べて、ダンスコンテストやバトルにおいての主人公たちや他校・ライバル達それぞれの心情・心境(思惑、驚きや焦り、感服等々の種々の感情)、物語の分岐点となる様な見るべき所(魅せ場のシーンが失敗するか成功するか緊張感)、それら・それまでの描写/展開を含めた納得のある決着で物語構成が出来ていない、読者/視聴者に面白く魅せる工夫がなされていないと感じるのですよね。

 

漫画/静止画としてダンスという難しい題材を扱うのが最初から分かっていたはずなのに、いざ観てみたら読者・視聴者に面白く魅せるための工夫/ダンスのルールが分からなくても面白く引き込まれる様な物語構成になっていない/何も考えられていない様な造りに納得がなくガッカリするのですよね。

 

 

 

あとは細かい所でもう1点。
主人公の吃音設定。主人公がダンスを始めるきっかけが「喋らなくて良いから」という理由でダンスを選んで始める点(ヒロインの存在も大きいことは理解してるけど)。ダンスを「逃げ・回避」というマイナス思考的な理由にしてるのがちょっと…。マイナス的発想ではなく例えば喋りが苦手な主人公が敢えて落語に挑戦するとか、人前に出るのが苦手で引っ込み思案な性格の主人公が敢えて演劇に挑戦するとかのプラスな発想/自分の弱点を克服するような動きとしての方が主人公の成長物語として描けると思うのですよね。

よしんば今作の主人公の選択がマイナス発想ではなくプラス発想だとして~ダンスで結果を出すことで自分に自信を持つことが目的だとして~も自分に自信を持ったからと言って吃音って急に治るようなもんじゃないと思うのですよね。吃音を直すにはやはり主人公が作中でもやっていた様に地道な努力(ダンスという全然別ベクトルの努力ではなく)が必要だと思うので「吃音」と「ダンス」を選ぶという導入・設定に納得がないと感じたのです。

 


吃音設定に関係してヒロインの父親の難聴設定について。
ヒロインが主人公の吃音に理解があるのは父親が難聴である(手話はできずおそらくゆっくり大きく発声している父親とコミュニケーションを取っている)という設定だというのには納得はありました。しかし、この主人公の吃音設定とヒロインの父親の難聴設定が(今クール内のお話ではこの設定が生きてくることはありませんでしたが)今後活きてくるのかと疑問なのですよね。

 

もしこの吃音設定と難聴設定が「主人公がダンスを選ぶための逃げ設定」と「ヒロインが主人公に理解を示すためだけの父親の難聴設定」であるならば、物語都合上のため・しかもその物語上の「都合」が済んでしまえば役目を終えてしまう使い捨てのような設定ということになり、そんな物語都合上の設定のためだけに吃音や難聴といった障碍設定を安易に扱っているのだとしたら到底納得できるような物語設定と言えずこの作品の評価を下げなければいけません。
さすがに、こんな特殊なヒロインの父親の設定だけを出しておいて深掘りしないことはない(普通の一般的な家庭環境にしなかった理由があると考えるので)…今後ヒロインの家庭事情・境遇がストーリー上で問題にのぼり描かれる展開には成ると思うのですが…、そこで納得が得られることを期待します。

 

 

 

あとは、内容と関係ない所でタイトルについて。
タイトルの「ワンダンス」ってヒロインの苗字のワンダのことだと思うのですが、何故?主人公の名前ではなくヒロインの名前なの?せめて主人公とヒロインの両方の意味を持つとかだったらまだ理解しますが主人公要素は見当たらずタイトルの意味がよう分からんのですよね。まぁどうでも良いですが…。

 

 

 

最後に、作中のテロップの表示について。
ダンスシーンの始まりに画面左下あたりに楽曲名、アーティスト名?みたいなのが毎回表示されるのですよね。。。


いや…、このテロップ表示の表現、演出はダメだろ。全くアニメの画とマッチしていない異物感、アニメーションの画としての気持ち悪さ、アニメへの没入感を削ぐ表現となってしまっているのですよね。

 

普通はこういう作中挿入歌みたいなのってEDテロップでまとめて表示するのだけど今作「ワンダンス」は何故この様な不細工な表現、演出にしたのだろうか意味不明ですね。
アニメーションの画として全くプラスになっていない表現で何故敢えてダンスシーン毎にテロップ表示するのか?今からまさにダンスを始めるという主人公たちの気持ち・気合・心情と全く関係のないテロップが画面に表示されるというメタ表現・演出のために作品世界からいきなり現実世界に引き戻される様な感じになるのですよね。センスの欠片も感じないホントアホな表現、演出ですわ。


(というかこれ漫画ではどう表現されていたのかな?参考楽曲とかイメージ曲みたいな感じで漫画のコマ外/ページ内に書かれてたりしたのかしら?だとしても(原作準拠だとしても)アニメーションとしての画の上に安易にテロップ表記するのは愚の骨頂である表現、演出だと考えるのですよね。使用楽曲を明記しなければならない何かしらの理由があるにしても、先に述べた様にEDテロップに表示するなり番組HPに詳細を載せるなりアニメーションとしての画作りを邪魔しない表現、演出を考える必要があると思います)

 

 

 

物語作品のための設定の拙さ・微妙さ、読者/視聴者を納得させるための魅せ方の工夫のなさ・物語構成の弱さ、アニメーションとしての演出・表現の納得のなさ等々、挑戦的な意気込みでしたが残念な作品でしたね。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上

 

 

アニメ「渡くんの××が崩壊寸前」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「渡くんの××が崩壊寸前」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

2025年夏から連続2クールで放送されたアニメ作品。
全話観終わって思ったのは、なんか変な作品…という感想でした。


物語の第1話とOP・ED映像と作品タイトルから想像したのは、この作品はエロ描写売りのドタバタラブコメ作品かなぁでした。ヒロインが3人登場するED映像があったのとタイトルの「××が崩壊寸前」(XXは理性かな?)から、主人公を中心に三角関係四角関係が構成されてその中でエロ推しのドタバタラブコメディが展開される「To LOVEる」の様な作風かと思っていたのですが、いつまで経っても主人公とヒロインの関係が明確な三角関係四角関係とならなかったのですよね。いつまで経っても、というのは正確ではなく正しくは1クール分が終わるくらい(放映期間中では実に3ヶ月の間)までは三角関係四角関係になることはなかったのですよね。

 


そして、この作品の作風というか物語展開についても変なのですよね…。タイトルの「××が崩壊寸前」から想像される様なエロ展開盛沢山な主人公ハーレムのドタバタラブコメが展開されるような作風ではなくコメディというよりかはシリアス寄りの設定で物語が展開されるのですよね…。物語の序盤展開においてはまだ積極的に迫ってくるヒロイン達に振り回される主人公という構図が「××が崩壊寸前」というタイトルに即していると言えなくもないですが後半になればなるほどタイトルから想像されるドタバタコメディ感は全く意味がなくなり、死にタイトル・無意味タイトルとなってしまっているのですよね。なんと言うかタイトルの付け方から・最初から何もかも失敗している感じ。。。

 


他の多くのラブコメ作品が早い段階から主人公とヒロイン達とが三角関係四角関係を形成してドタバタラブコメの下地を作るのに、今作「渡くん~」はなかなかそれをやろうとしない…、しかもシリアス寄りの物語展開でドタバタ感が少なくコメディ要素も弱い。かと言ってシリアスな恋愛物として心情描写、心の変遷等の描写が上手いかと言えば全くそういう事もなく…作品全体としての物語構成、設定、キャラクター、環境づくりが全て中途半端で拙く納得がなくつまらないのですよね。

 


俺がこの作者の物語構成、設定等の造りを見て思ったのは…、普通のラブコメ作品だったらこういう展開になるだろう、キャラ配置にするだろう、設定にするだろうといういわゆる王道展開というものを敢えて避けて描いているのではないかというもの。敢えて王道を外して、奇を衒う事だけを考えて物語を描こうとしているから作品全体としての物語構成、設定、キャラクター、環境づくり全てに得がなくつまらないものになっていると考えているのですよね。


なぜ王道が王道と呼ばれるのか王道の王道たる所以を何も理解しないまま深く考えもせずただ自分が新しい事をやっているつもりで悦になって描いた結果が物語全体の構成・展開、キャラクター、設定等々全てが中途半端となった残念作品となってしまっているのですよね。(同じ様な物語構成をしている作品に瀬尾作品がありますね。瀬尾作品も同様に敢えて王道を外して描いている物語作品で納得がないボロボロの構成となっていますね。しかしまぁ瀬尾作品は王道外しに加えて何の脈絡もない理不尽要素もぶっこんで来るので瀬尾作品と比べるとまだ今作の方がマシだと言えますね。なんにしても「王道」の意味を考えもせず安易に奇を衒うだけの物語展開を構成している作者としてどちらも嫌いですがね…)

 

 

物語展開の納得のなさ、意味の分からなさを一つ例に挙げると、物語中盤~終盤での主人公がヒロイン二人から迫られどちらも選ばないという選択をするという展開について…。主人公が「よく考えた」と言って出した結論が二人とも選ばないというものだったのですが、数話もしない内にその結論をあっさり覆すのですよね…。いや、そんな簡単に覆るのなら全然よく考えてねぇじゃん…。適当に考えてたんじゃねえの?二人とも振るあの展開は何の意味があったの?茶番だったの?と何も考えていない様な物語展開・構成に全く納得がないのですよね。ホントなんかただ奇を衒ってやろうとしか考えてない様な意味のない物語展開・構成であり面白くなく理解不能な拙いお話の流れの物語がちょっと観るのがきつかったですね。

 

 

あともう1点、納得のない物語構成の例を挙げると最序盤での叔母の家からの退去エピソード。叔母がいる庭先で主人公とヒロインの(事故的な)イチャつき・不純異性交遊を咎めるみたいな展開があり、この家から出ていけと言われるのですよね。この展開を見て、いやいやいやそれは言っちゃいけないだろ、と思ったのですよね。主人公と妹は親戚中とたらいまわしにされてこの家にたどり着いたという経緯があるのに、主人公たちのその過去の境遇の設定を作者が忘れてるのか何も考えていないのか二人を引き取った叔母が簡単に退去を言い渡すのですよね…。この叔母の設定が他の親戚連中と同じく主人公たちを嫌々引き取ったり金をむしり取ろうと利用するつもりで悪意を持って引き取っているという性格設定ならばこの退去言い渡しも理解できます(何か理由を付けて主人公たちを追い出す名目を常に狙っていたとかいう叔母のキャラクター設定ならば理解します)。が、この叔母のキャラ設定はそうではないですよね。であるならばこれまでの、親戚に引き取られては追い出され・捨てられを繰り返されてきた主人公たちの境遇を考えたらそんな簡単に家から出て行けなんて言葉は吐けないはずですよね、口に出してはダメですよね。作者はそれも分からず考えず理解せずただそのお話の中での山や谷を作るためだけに「叔母の家から追い出される」という展開を作っているのですよね。その何も考えていない様なキャラ設定と物語展開の構成に俺は納得が感じられず観ていてイライラするのですよね。

何も考えず(深く考えず)思い付き行きの当たりばったりで物語を創るのではなく、作者自身が作った設定をしっかり取り込み活かし創作としての意味のある納得のある展開をもう少し真面目に考えて物語構成して欲しいわ。

 

(あと、どうでも良いけど叔母って無職だったのね。物語終盤にそれが明らかになるけど叔母がいつも家に居るので俺はてっきり在宅業の小説家かなんかやってるのかと勝手に思っていたのよ。家はともかく食費や光熱費その他はどう工面してたんだ?親の金を食い潰してたのか?…別に物語に直接的にからんでこないのなら叔母に変な設定(無職/病んで休職中)とかつけるのではなく在宅業に就いてるで良いだろうに何故叔母のメンタル面の悩みみたいな設定をわざわざ付け足すのか…。この辺りもやはり納得のない構成・設定でありやはり俺は納得をつくれないこの作者・何も考えなく物語を構成師弟rくこの作者は好きくないと感じましたね)

 

 

 

漫画原作の作品の様ですがアニメ化するという事はそれなりに人気がある作品なのだろうと思うのですが物語展開が面白い訳でもなくキャラクターが魅力的な訳でもないこの作品のどこが人気だったのか正直分からない謎な変な作品でしたね。
原作漫画の画が綺麗だったりするのかな、知らんけど。

 

 

タイトル、導入設定などから想像されるドタバタラブコメ物語を敢えて王道を外すというやり方で裏切りただただつまらない物語構成にしているだけで2クール(全26話)も観るのが辛かった(タイトルの意味も分からない、即していない)残念な作品でしたね。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上

 

 

アニメ「SANDA」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「SANDA」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

「BEASTARS」と同じ作者の板垣巴留のアニメ化作品。
以前「BEASTARS ~感想」でも書いた事ですがやはり俺は板垣巴留作品はあまり好きくない…この作者は何が書きたいのか分からない、作者自身も分かってないんじゃないのかと思えるその納得のない作品構成が受け入れられないのですよね。

 

「BEASTARS」の時もそう感じたのですが今作「SANDA」でも同じ事を感じてこの作者はやはり先の展開を考えての設定、キャラ配置、物語構成が出来ていないな、適当に間隔で物語を考えているのだろうなと思われるその創作姿勢・作品構成に納得がないのがホント俺は好きくないのですよね。

 

今作「SANDA」を観ていて思ったのは毎話毎話にノルマの様に配置されている「驚きの展開!?」みたいなお話の連続という物語構成。
第2話で正体が他の奴にバレたり、その次の話では嘘が分かる能力で悩むというお話だったり、その次は行方不明だったクラスメイトが見つかったり、急に脈絡もなく主人公の許嫁が出てきたり、人間離れした能力の校長だったり理事長だったり大人殺しの10組の生徒が出てきたり…と、驚きインパクトだけを目的に考えて作ったような出来事・展開が繰り返されるのですよね。

 

いえね、これが一つ一つのエピソードが次のエピソードに繋がる・深く絡んだ物語になっていてしっかり考えられた作品構成となっていれば何もいう事はないのですがそんな事には全くなっていないのですよね。

 

まず第2話において早くもクラスメイトのひとりに正体がバレるお話ですが、この第2話の始まり方としては正体を知って利用してやろうみたいな悪役ムーブから始まる展開だったのですが結局は物語作品のメタ的要員として主人公とヒロイン以外にもう一人サポート的な仲間キャラが欲しかっただけという事なのですよね。そういうメタ要員なので実家のケーキや設定の悩み・問題も訳分らんというか取って付けた様な納得のない話だと感じたし…。ホント物語構成が稚拙な作者だと思ったね。

 


次の嘘をつかれたら物が落ちるという能力についても設定・物語構成として活きていない、その場のエピソードのためだけの設定と感じる構成であり全く納得のない・意味の分からない設定となっているのですよね。この能力がこの先の展開でも活きてくる展開・物語構成になっていれば良いのですが、終盤の10組の生徒との対話(バトル)のシーンで嘘(本音ではない)を語っている場面で物が落ちるという描写は特になく(もしかしたら作画の隅の方で何かが落ちる描写がされていたのかも知れませんが俺は気づかなかったし、もし仮に描かれていたとしても、その場面で主人公がそれに気づいて嘘を見破る展開が描かれていないので)結局は嘘が分かる能力が活かされていないという事なのですよね。まぁ俺が思うに作者はこの頃にはもう嘘が分かる能力の設定のことは忘れていて作品全体の設定、構成なんかも深く考えず場当たり的に間隔で描いてんだろうなあと感じるのですよね。

 


この他にも許嫁の設定も(まぁ世界観設定・制度的はに許嫁が居ても良いけど)急に主人公と絡みだしたのが良く分からん展開だし(物語都合上のメタ的要因以外に急に仲が進展した理由が分からん)、サンタ狩りのおっさんの設定(過去エピソード等も含む)やキャラ配置(立ち位置)の物語構成的な意味の分からなさ・ブレブレな態度/キャラクター等や、校長はともかく理事長の強さの訳分らなさや理事長との修行?みたいなシーンの意味や10組の生徒の親のエピソードの意味や死に至る成長痛等々、意味分からん物語展開の連続でホント驚きインパクト重視の先の展開のことなんて何も考えていない様な、一本筋の通ったブレない軸を持ったストーリーというものがない見た目の派手さだけに重きを置いたような見るに堪えない物語構成となっているのですよね。

 


10組の生徒の親エピソードを観た時はこの作品世界の世界観設定すら分からんくなってきたからね。他の大人…生徒の親がどんな大人か描かれてなかったから知らんけど校長だけが異常だと思ってたけど大人はみんな同じ様な思想なのか?というか子供が希少とされる世界観設定において子供を持っている親って普通に考えて色々と優遇されると思うのよね。人生勝ち組的な幸福度の高い人達になるんじゃないのかな?知らんけど。まぁその中でも悩みや問題は出てくるだろうけどそこを(世界観設定に則った納得のある理由を)丁寧にじっくり描く事もなくラスボス的な異常者の校長と同じ様な思想の大人として安易に描くのは如何かと思うのよね。

 

 

また行方不明の友達の死に至る成長痛の設定も意味分からん。子供が寝ないという設定がどういうことやと意味分からんし、一晩で一気に成長してその成長痛で死ぬとか全く理解できん。18歳になったら死なない・大丈夫とか意味分からん男女差個人差あるやろ。施術的なことやってるんだったらまだ理解するけど作品を観る限り特に描かれてないよね。薬や施術でガッチガチに固められてる子供達という風でもなかったし…。


そういう事を考えるとこの作品世界の世界観設定が良く分からん事になるのですよね…。「BEASTARS」の時も思ったけどおそらく作者はそんな深く世界観設定を考えてないのでしょうね…。先の展開まで考えての物語構成が出来ておらず行き当たりばったりで感覚・感情だけでインパクトだけで物語を描いていると感じられる納得のない造りで、そういう物語の作り方をする作者の作品設定、世界観設定について考察するのはこちらが深く考えるだけ無駄なので物語・作品として俺は好きくないのですよね。。。

 


アニメーション制作はサイエンスSARUでアニメーション・作画としては良かっただけに勿体なく感じましたね。

 

 

 

「BEASTARS」に続き今作「SANDA」を観てやはり俺は板垣巴留作品は好きくないなと感じましたね。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上