アニメ「ワンダンス」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「ワンダンス」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

う~ん、なんか色々と微妙だった作品。
高校生主人公の青春部活動ものでダンスをメインに扱っている作品となります。原作は漫画の様で、漫画/静止画の主題としてダンスという難しい題材…他のスポーツ系の部活動ものと違い勝敗のつけ方が難しい(明確な点数が付かない)芸術系の部活を題材に選んでいる点は挑戦的だと思いますが、それだけですね…。

 

部活動ものとしてダンスを扱っておいて肝心のダンスシーンの魅せ方が下手というか納得がないのですよね。原作漫画では静止画・コマの連続で魅せているダンスシーンをアニメーションとして制作するうえで動きを付けて魅せるというのは分かります。しかし、そのダンスシーンが冗長に感じてしまうのですよね。見るべき所が分からない、魅せたい画が分からない状態のダンスシーンを長々とただ見せられる、これが退屈で冗長に感じられてしまうのですよね。

 

 

ダンスの良し悪しの違い、他校・ライバル達とのダンスの違いが良く分からないから観ていてもただなんか踊ってるなぁくらいしか思えない感じないのですよ。またダンスシーンはCGでモデリングされたキャラを操り人形みたいに動かしてダンスさせているだけですから(更に加えるならCGモデリングのダンスを見せるために全体的にダンサーの全身が入った引きの画ばかりなのもあり)、手描きの作画の様な魅せたい画を意識した作画、構図になっていないため見るべき所のない(分からない)変化のない退屈な画を長々と観させられるだけの時間となってしまっているのですよね。

 

 


で、続いては漫画原作のストーリー構成、物語構成の問題ですね。
原作漫画は読んだ事ありませんが、上述したダンスシーンの冗長問題に目を瞑ったとしてもストーリー構成、「ダンス」漫画としての魅せ方の拙さというか工夫のなさが感じられるのですよね。ダンスというジャンルのコンテスト、バトルにおいて見るべき所・ルール・評価基準などが何も分からない素人(視聴者)が観ても分かる様な・盛り上がれる様な物語づくりになっていないのが問題なのですよね。

 


俺の好きな漫画に「ヒカルの碁」という囲碁をメインに扱った漫画があります。完全版を買い揃えるくらい好きな漫画ですが正直俺は今も囲碁のルールは何となくしか理解できてません。しかし「ヒカルの碁」は囲碁のルールが分からなくても、囲碁をメインに扱った漫画のストーリーを読むのに全く気ならないほど話に惹き込まれ面白く観れるのですよね。

まぁ囲碁とダンスではルールや勝敗の評価基準の明示に差があるので安易に比較はできないのですがそれでも、今作「ワンダンス」は「ヒカルの碁」に比べて、ダンスコンテストやバトルにおいての主人公たちや他校・ライバル達それぞれの心情・心境(思惑、驚きや焦り、感服等々の種々の感情)、物語の分岐点となる様な見るべき所(魅せ場のシーンが失敗するか成功するか緊張感)、それら・それまでの描写/展開を含めた納得のある決着で物語構成が出来ていない、読者/視聴者に面白く魅せる工夫がなされていないと感じるのですよね。

 

漫画/静止画としてダンスという難しい題材を扱うのが最初から分かっていたはずなのに、いざ観てみたら読者・視聴者に面白く魅せるための工夫/ダンスのルールが分からなくても面白く引き込まれる様な物語構成になっていない/何も考えられていない様な造りに納得がなくガッカリするのですよね。

 

 

 

あとは細かい所でもう1点。
主人公の吃音設定。主人公がダンスを始めるきっかけが「喋らなくて良いから」という理由でダンスを選んで始める点(ヒロインの存在も大きいことは理解してるけど)。ダンスを「逃げ・回避」というマイナス思考的な理由にしてるのがちょっと…。マイナス的発想ではなく例えば喋りが苦手な主人公が敢えて落語に挑戦するとか、人前に出るのが苦手で引っ込み思案な性格の主人公が敢えて演劇に挑戦するとかのプラスな発想/自分の弱点を克服するような動きとしての方が主人公の成長物語として描けると思うのですよね。

よしんば今作の主人公の選択がマイナス発想ではなくプラス発想だとして~ダンスで結果を出すことで自分に自信を持つことが目的だとして~も自分に自信を持ったからと言って吃音って急に治るようなもんじゃないと思うのですよね。吃音を直すにはやはり主人公が作中でもやっていた様に地道な努力(ダンスという全然別ベクトルの努力ではなく)が必要だと思うので「吃音」と「ダンス」を選ぶという導入・設定に納得がないと感じたのです。

 


吃音設定に関係してヒロインの父親の難聴設定について。
ヒロインが主人公の吃音に理解があるのは父親が難聴である(手話はできずおそらくゆっくり大きく発声している父親とコミュニケーションを取っている)という設定だというのには納得はありました。しかし、この主人公の吃音設定とヒロインの父親の難聴設定が(今クール内のお話ではこの設定が生きてくることはありませんでしたが)今後活きてくるのかと疑問なのですよね。

 

もしこの吃音設定と難聴設定が「主人公がダンスを選ぶための逃げ設定」と「ヒロインが主人公に理解を示すためだけの父親の難聴設定」であるならば、物語都合上のため・しかもその物語上の「都合」が済んでしまえば役目を終えてしまう使い捨てのような設定ということになり、そんな物語都合上の設定のためだけに吃音や難聴といった障碍設定を安易に扱っているのだとしたら到底納得できるような物語設定と言えずこの作品の評価を下げなければいけません。
さすがに、こんな特殊なヒロインの父親の設定だけを出しておいて深掘りしないことはない(普通の一般的な家庭環境にしなかった理由があると考えるので)…今後ヒロインの家庭事情・境遇がストーリー上で問題にのぼり描かれる展開には成ると思うのですが…、そこで納得が得られることを期待します。

 

 

 

あとは、内容と関係ない所でタイトルについて。
タイトルの「ワンダンス」ってヒロインの苗字のワンダのことだと思うのですが、何故?主人公の名前ではなくヒロインの名前なの?せめて主人公とヒロインの両方の意味を持つとかだったらまだ理解しますが主人公要素は見当たらずタイトルの意味がよう分からんのですよね。まぁどうでも良いですが…。

 

 

 

最後に、作中のテロップの表示について。
ダンスシーンの始まりに画面左下あたりに楽曲名、アーティスト名?みたいなのが毎回表示されるのですよね。。。


いや…、このテロップ表示の表現、演出はダメだろ。全くアニメの画とマッチしていない異物感、アニメーションの画としての気持ち悪さ、アニメへの没入感を削ぐ表現となってしまっているのですよね。

 

普通はこういう作中挿入歌みたいなのってEDテロップでまとめて表示するのだけど今作「ワンダンス」は何故この様な不細工な表現、演出にしたのだろうか意味不明ですね。
アニメーションの画として全くプラスになっていない表現で何故敢えてダンスシーン毎にテロップ表示するのか?今からまさにダンスを始めるという主人公たちの気持ち・気合・心情と全く関係のないテロップが画面に表示されるというメタ表現・演出のために作品世界からいきなり現実世界に引き戻される様な感じになるのですよね。センスの欠片も感じないホントアホな表現、演出ですわ。


(というかこれ漫画ではどう表現されていたのかな?参考楽曲とかイメージ曲みたいな感じで漫画のコマ外/ページ内に書かれてたりしたのかしら?だとしても(原作準拠だとしても)アニメーションとしての画の上に安易にテロップ表記するのは愚の骨頂である表現、演出だと考えるのですよね。使用楽曲を明記しなければならない何かしらの理由があるにしても、先に述べた様にEDテロップに表示するなり番組HPに詳細を載せるなりアニメーションとしての画作りを邪魔しない表現、演出を考える必要があると思います)

 

 

 

物語作品のための設定の拙さ・微妙さ、読者/視聴者を納得させるための魅せ方の工夫のなさ・物語構成の弱さ、アニメーションとしての演出・表現の納得のなさ等々、挑戦的な意気込みでしたが残念な作品でしたね。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上