録り貯めしていた劇場アニメ「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」、「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」を観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。
今作は劇場第2作目、第3作目となるのですが、劇場第1作目「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」は感想こそ上げていないのですが既に鑑賞済みです。
「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない ~感想」においても劇場へ観に行く旨を語っていた様に劇場第1作目は公開当時に劇場で観ていたのですよね。
本当は当時、劇場版「~ゆめみる少女の夢を見ない」の感想を上げるつもりではいたのですが…、劇場版の出来についてガッカリしたところがあり感想上げる気にならず放置しておいたのですよね。
劇場版の出来…、それは物語内容そのものではなく作画について、なのですよね。。。
劇場アニメって大画面のスクリーンに映されちゃうからどうしても細かいところまで目がいく様になっちゃうのよね…それで細かい所の粗が目立っちゃう。。。いやね、これがTVシリーズだったら別に気にしないのだけどさぁ、劇場版として公開してお金まで取ってこのクオリティか、と思っちゃったのですよね…。
正直な感想を言っちゃうと劇場1作目「~ゆめみる少女の夢を見ない」の出来というか制作はTVシリーズアニメの延長/TVシリーズのクオリティで作られてると感じたのですよね…。
劇場アニメとして大画面スクリーンに映されちゃうこと(細かいところまで引き延ばされて見られちゃうこと)を意識せずに制作して本来はTVシリーズでやる作りのクオリティのレベルの物をそのままただ劇場スクリーンに映しちゃってるわ、と感じたのですよね。
なんか制作スタッフのそのTVシリーズを延長しただけ/劇場制作作品として意気込み、やる気みたいなのを感じないその制作…その劇場版作品に対する臨み方、向き合い方にガッカリして感想を上げる気にならなかったのですよね…。
物語の内容自体はドラマ、盛り上がり所もあり映画向きではあるのですが、しかしまぁそれでも「リゼロ」の良い結果になるまで都合の良いやり直し感、はあったのですよね。
物語内容はともかくやはり問題は作画のクオリティ…(俺がアニメ感想の中で常々「作画」は二の次三の次の評価だと言っていますが)これは決して作画レベルそのものについてを問題視している訳ではなく制作スタッフの劇場アニメ作品への取り組み方、心意気を問題にしている訳です。
と、劇場1作目「~ゆめみる少女の夢を見ない」の話はこれくらいにして本題の「~おでかけシスター~」と「~ランドセルガール~」の話をしていきたいと思います。
「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」
妹の話…アレ(TVシリーズでの締め)で終わりじゃなかったのね…。いや確かにTVシリーズ(「~バニーガール先輩~」)感想でも述べている様に「え?それで解決で良いの?」とは思ってはいましたが…、う~ん、、、上述の劇場第1作目「~ゆめみる少女の夢を見ない」の作画クオリティの件もあって、TVシリーズでの妹の話の続きをやるのならどうせなら劇場アニメとしてではなくTVシリーズとしてやってくれよと思ったのですよね。
(劇場1作目もTVシリーズとしてやってくれたら別に何の文句もなかったのですがね…)
お話の内容ですが…、まぁ地味、ですね。。。思春期症候群も起こらない…、以前の物が再発という意味では起こるけど思春期症候群がドラマの軸や盛り上がり所とはなっていないのですよね。というかそもそもTVシリーズでの妹編のあの終わり方「かえで」の人格が消えてしまうというのがあまりにも悲しかったから、それを考えるとどうしても今作の終わり方が良かったとは言えないのですよね(決して悪いとも言わないが…)。
精神的に幼く純粋無垢な感じの「かえで」というキャラクターを作者は殺してしまっているのですよね…。TVシリーズを通して第1話から可愛い愛されキャラとして描かれていた(創造された)「かえで」という人格を与えられていた一人のキャラクターを殺してしまった/消してしまったことが何よりも悲しく、その悲しさに対して今回の結末では素直に喜べないのですよね…。
「かえで」の人格・キャラクターの死の悲しみがマイナス100とすると今作の「花楓」の選択による前進はプラス50~60といった感じでトータルでまだマイナスであり物語構成としては盛り上がらずマイナスのまま幕を閉じてしまっている感じな訳ですよ。
この辺りは作者のセンス、バランス感覚の問題なのですが、まぁ残念な物語構成となってしまってますよね…。
またもう一つ難点を挙げると、アイドルの広川卯月という特殊事例で以って通信制高校を推すという物語展開について。
テレビの特集やドキュメンタリーなんかでサヴァン症候群を持つ子供が普通の学校生活に馴染めず通信制高校へ通って上手くやっているみたいなのを確かに観た事がありますがそれは今作でのアイドル・広川卯月と同じで特殊事例なのですよね…。通信制高校でも人並み以上の活躍、多くの人に認められる様な活躍が出来る様になる、みたいな煽りというか誘い文句というか推薦の仕方は違うと思うのよね、とその物語展開・構成について疑問があるというお話。
続いて、
「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」
高校生編の終わりとなる一つの大きな区切りのお話でこれまでが主人公・咲太の周りの人間に起こる思春期症候群を解決していく物語であったのに対し今作では咲太が事件の中心人物となります。
まぁしかし、それもお話としては地味よね…。バニーガール先輩と同じ症状になるというのは面白いとは思うのですが、劇場第1作目「~ゆめみる少女の夢を見ない」のスケール・ドラマ性と比べると明らかに弱く、また認識・観測されなくなるその原因・きっかけと解決に納得がない感じだったのですよね…。
これもまたTVシリーズ(「~バニーガール先輩~」)感想でも述べている事ですが、なんか発生した思春期症候群への解決に向けたアプローチの仕方が雑というか「え?それで解決で良いの?終わりなの?」という終わり方が多いのですよね…、この作者は。
今回の母親の解決もまさにそれでなんかえらくあっさりというか粗く雑な解決だなと、物語を/風呂敷を広げたはいいが綺麗に畳めていない…一応畳められてはいるが雑というか無理やり急いで畳んだという感じで綺麗じゃない、腑に落ちない、しっくりこない感じなのですよね。
あと、気になったというか不満だった描写・表現が一点あります。
それは誰からも認識・観測されなくなった主人公・咲太が最後の頼みの綱としていたバニーガール先輩を待っているシーンの描写について。
俺はもしかしたらバニーガール先輩も主人公・咲太のことを認識・観測できなくなっているのではないか、もしそうなら話が詰むな、どうなる!?みたいな思いを抱きながら観ていたのですが、主人公・咲太も信じたくないけど内心最悪のパターン(バニーガール先輩も認識・観測できなくなっている)を考えて不安になってたりもしてたんじゃなかろうかと考えたのですよね。
しかし、そういう不安・絶望の片鱗を感じさせる様なモノローグ等の描写・表現がなかったのが不満だったのですよね(バニーガール先輩を信じているにしても微かな不安は存在するはず…バニーガール先輩の発症時は主人公も忘れた事実があるからね)。
その描写・表現があればもっと盛り上がったと思ったのよね、勿体ない…というお話。
劇場第2作、第3作にしても新たな思春期症候群の発生がなく(過去症例の再発が主)、作者的にもう不思議現象・思春期症候群のネタ切れか?その結果お話が地味になっちゃてる、と感じたのですよね。
まぁ元々が「化物語」や「ハルヒ」をモチーフにしている作品(と思われる)なのでネタ元からの提供がないとキツいのかな…。
今作での理想世界の展開も「ハルヒの消失」に思えたし、色んな世界線の記憶がある初恋先輩は(「ハルヒ」とは違うけど同作者繋がりで)「学校を出よう!」の色んな世界を行き来する少女に思えたのですよね。
あとこれは今回の感想とは関係ないことですが以前TVシリーズ(「~バニーガール先輩~」)感想でも述べていた疑問、何故主人公の周囲の人間のみに思春期症候群を発病するのか、という点…。
(発生原因など見るに他の生徒や他の地域でも同じことが起こっても良いはずですが、思春期症候群がそんな大事になっている世界ではないらしい)
「ハルヒ」の様なデタラメ能力を主人公自身が持っている訳でもないらしいし、その辺りについての納得できる理由は今後(今期、2025年夏アニメ)TVシリーズ第2期で語られるのかな?
劇場第2作目、第3作目どちらもお話的に地味で劇場第1作目含めて何故敢えて劇場作品としたのか(小金が欲しかったか?)、全エピソードTVシリーズで放送してくれたら素直に応援できるのに…、と残念な感じで
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。
以上