ドラマ脚本、原作改変問題について③(日テレ、小学館調査報告について)

2024年5月31日に日本テレビから「セクシー田中さん 社内特別調査チームの調査結果について」の調査報告書が公表されました。
また、6月3日には小学館からの報告書も公表されました。

 

日テレの報告書が公表された5月31日当日に読んで(読み始めて)、所感を述べようと考えていたのですが色々な理由により今日まで遅れてしまいました。
まず第一に、日テレの報告書から三日後に小学館からも報告書が公表されたことから両社の報告書についての所感として併せて上げようと考えたことからの遅れがあります。
両社ともに90頁超の分量がある報告書であり読み進めるのに時間が掛かったというというのもありますが…、何よりも一番の問題/原因は日テレの報告書の内容の酷さ…、、、
報告書全編を通して日テレ側(ドラマ制作側)の自分本位な・身勝手な都合の良い解釈の言い訳に終始しているその内容の酷さに途中メモを取りながら(ツッコミを入れながら)イライラしながら読み進めていったのですが、
そのイライラはとても90頁を一気に読めるものではなく日に数頁ずつツッコミメモを取りながら読んでいたため思いのほか時間が掛かってしまいました。
ちなみにそのツッコミメモは5000字を超えてました。

 


せっかく時間を掛けてメモを取ってイライラさせられながらも全部を読んだのでそのメモを活かすためにも、報告書の内容で気になった部分についてツッコミを入れながら所感を述べたいと思います。長いです…。

 

 

まず、概要を読んで…。

【第3 認定された事実】についての
「制作サイドも要請を受け入れざるを得ず」の文言…、なんだよ「受け入れざるを得ず」って。
『認定された事実』を書くだけなら「制作サイドも要請を受け入れた」で良いだろ。なんでお前らの感情を込めてんだよ。
そしてまずそもそもが原作者から、これはおかしい・直してくれ/やめてくれ、と指摘があったのなら受け入れるのが当たり前だろ!
なんだよ!原作者が亡くなっている調査報告書の中で渋々受け入れたみたいなニュアンスをだしてくるのは!なんだよ脚本家に阿る様な書き方は!意味分からん!

 

 

次に、原作者・芦原さんが書いた9、10話の脚本のクレジット問題について。
脚本家が「自分のアイディアが使われている」として監修、協力等のクレジットに入れる様に要求って。

 

なんだよ!自分のアイディアって…。怒りを通り越してもう怖いわ…。。。
元々は芦原さんが9話10話の詳細プロットを書いてそれを基に脚本家が脚本を書いてんだろ。
そりゃ話の流れや展開の中でセリフや話の運びが同じになることもあるだろ(誰が書いたって大体同じになる様なシーンになることもあり得るだろというお話)。
この脚本家の言ってることは、例えばある楽曲の中で「ドレミファ」という音の並びが使われていたら、私が書いた/作曲した音の中にも同じ「ドレミファ」の音の並びが使われている、盗作だ・私のアイディアを使った、だから著作権がある・金払えと言っている様なもので、全体に対してほんの数パーセント同じ部分があったくらいで、しかも元々のアイディア出し(詳細プロット)は原作者の芦原さんが出されている訳で…、、、それでよくクリエイターとして恥ずかしげもなくクレジット出せとか言えるな…、ホント何言ってんだろとヤバい人を見る感覚でもう怖く感じますわ。。。

 


そしてこのクレジット問題で脚本家が法的措置を示したってなんだよ?ホント意味分からんな、全く理解できない。

芦原さんが脚本家のクレジットを頑なに拒んだのもこれまで(ドラマ第1~8話まで)の事があったからだろ…、これまでの積み重ねの結果/信頼を損なってきた結果だろ、と概要を読んでいたこの段階で容易に想像できたよ。

 

 

【第4 本件の分析・検証】の認識の齟齬やミスコミュニケーションの部分について。
これは報告書全編を通して言えることなんだけど…、全てが下手な言い訳に終始している。
子供がする様な言い訳をするなよ!
原作サイドとのすり合わせが充分ではなかった?意思疎通の土台が作られないまま制作に入っていった?それは全部ドラマ制作サイドが意図的にやった事だろ?

 

原作者の声が正確に伝わっていないかの様に振る舞い、時には自分たちに都合の良い様に解釈して(「そういうつもりだとは思いませんでした、解釈・認識の違いですね」と逃げ道を用意しておく)、また時には原作者の声(リテイク)を受けたとしても遅々としてリテイクを返さなかったり、返したとしても修正すべきところを修正せずそのまま返したり、撮影に入らないともう間に合わない、と原作者が諦めるのを・根負けするのを待つかの様なことを(目論んで)繰り返したのでしょうね…その積み重ねの結果が、
この脚本家にはもう「プロ」として仕事を任せられない・信頼できないということになり9、10話での降板ということなのでしょうね。

 


ドラマって原作者、出版社公認のもと制作しているのよね?
素人が同人誌感覚(原作者、出版社非公認・黙認)で好き勝手やってる事ではないでしょ。

今回の調査報告書を読む限りドラマ制作側のやってること、言い分がもう全く「プロ」の仕事じゃないのよ。
子供がつく嘘のような、ツッコミどころ・矛盾だらけの支離滅裂な内容で、素人集団がドラマ制作「ごっこ」してみました、みたいな報告内容にしかなっていないのですよね。

 

 

また報告書内の文言について…「従わざるを得なかった」や「原作者は世間の反応を気にしてブログ等への投稿を行なった~」の文言についても原作者に対するリスペクトが感じられない・悪意すら感じる書き方となっており、命を落とした原作者よりドラマ制作側/脚本家寄りだと感じられる内容(身内で調査してるから身内寄りになってんだろ、と感じる内容)で読んでいて不快になりましたね。

 


概要について最後に。
【第5 今後へ向けた提言】の中の
・脚本家はクリエイターであり、その尊厳は尊重されるべきである。  という文言。
いやいや…、言いたいことの意味は分かるよ…。
脚本家は原作の漫画や小説を転記するだけの仕事ではないということを言いたいのでしょうが…、ドラマ制作の結果で人が亡くなったことの「調査報告書」としての中に敢えてこれを入れるかねぇ…、、、俺には理解できない。
ドラマ制作に原因があった事…このドラマ/ドラマ制作がなかったら芦原さんは自死することなく「セクシー田中さん」を最後まで描き切っただろうことは明らかであるのに、その一番の要因と思われるリスペクトのない/納得のない原作改変、そしてそれを行う脚本家を擁護する様な・媚び諂う様な文言を原作者が亡くなった「調査報告書」の中に悪びれもせず堂々と入れる意識が俺には理解不能ですね。。。

 

 

 

 


続いて、報告書本編の内容に入っていきます。


内容云々の前にまず報告書として読み難い。
過去のやり取り・出来事の中に今回の調査報告を入れ込んでいて分かり難いものになっている。

過去のやり取り・出来事についてはメールや議事録等から切り抜いてまずそれだけでまとめて時系列にまとめて、その後に追記、注釈で調査結果でも書くようにしてくれ。

また、制作サイドとして名前が出てる人物についてはイニシャルA氏やB氏は要らないだろ…。
読んでて立場(上下関係)なんかも何となく読み取れ伏せる意味がないと感じるし報告書としてただ読み難くなるだけ…。
個人名はともかくCPやP、脚本家と役職でも書けばよい、煩わしい。


さらに読み進めていくと感じるのが、時系列バラバラというか話が6月から10月まで進んだと思ったらまた3月や6月に戻ったり、と話の流れとして分かり難い。
纏める関係上ある程度は話が前後することも仕方ないかもしれないが少しは時系列を意識して(読ませるための報告書であることを意識して)一貫して記載して欲しい。

 

 

 

以下、報告書の記載内容に(記載順に)そって述べていきます。


小学館の担当者が「原作を大事にしてくれる脚本家の方でないと難しい」旨を伝えたことに対して日テレ側の担当二人して聞いた覚えがないって…、二人で共謀して忘れた「ふり」(聞かなかった、知らなかったこと)にしたのか分からないが…、まぁ聞いた/聞いてないの真偽の追及は取り敢えず後回しにするとしても、「原作」を尊重すること、「原作」準拠でドラマ制作することは言うまでもなく・言葉にするまでもなく当たり前の事だよね?
(タイトルや登場人物の名前だけが同じで中身が全然別物ってそれって原作と同名タイトルでドラマ作る意味ないよね?)

 

で、事の真偽について追及するならば…「原作に拘らず好き勝手に改変してください」と原作サイド/小学館側が「改変OK」※としていないのは明らかですよね?
ドラマ制作側も『原作サイドから「改変OK」とは言われていない』ことには同意すると思う、というかせざると得ないと考えます。
何故ならその後の脚本のリテイク…原作サイドからのこまごまとした注意、指摘の修正ラリーが続いていることからも全く「改変OK」のスタンスではないことは明らかですからね。
(もし最初に原作サイドから「改変OK」の許諾を得ているのなら、今報告書内で「改変OKだったはず、話が違うじゃないか」等の日テレ側の言い分があるはずですが、そんなやり取りの文言は一切出てきませんでしたからね)

であるならば先にも述べた様に「原作」を尊重すること、「原作」準拠でドラマ制作することは言われるまでもなく当然のことであり、原作サイドが「原作を大事にしてくれる脚本家の方でないと難しい」旨を伝えたことということに対してそれを聞いていないとするその言い分には無理がある
(少なくとも原作サイドが「改変OK」とは言っていないことは先にも述べた様にドラマ制作側は脚本のリテイクについて前提が違う/最初に聞いていた話と違うという旨の反論をしていないことからも明らかである)
ので原作サイドが「原作準拠」を求める旨を伝えていたことの方が真実味が高い…、つまりドラマ制作側の言い分が虚偽である可能性の方が断然高いと思われますね。

(※「改変OK」について日テレ側の認識/言い分が報告書内で述べられていますがそれについてのツッコミ後述します)

 


日テレ側の担当者と脚本家そして小学館側担当者とのやり取りについて。
「原作に忠実に」等の条件・説明は聞いていないとのこと。
この件については以前の感想でも述べているのですが、条件・説明として聞いていようがいまいが原作者が納得しない様な改変はやるなよな!という話。
原作のある同名ドラマを制作する以上、先も述べた様に「原作準拠」は当たり前の話なんだよ。意味分からん言い訳すんな!

 


あとこれは、報告書を読んでちょこちょこ気になったところなのですが、
「~脚本に対し、本件原作者が~修正意見をいうことが多かった。」の文言や「制作サイドは本件原作者に対し、キャラクター表があれば見せてほしいと要望」といった文言…、、、第三者機関が中立の立場で報告書を作っているのならばまだしも…、日テレが自社で内部調査して報告書を作ってるのなら外部(小学館側)/取引先の発言に対して敬語、謙譲語を使えよ…。
「仰る/言われる」や「意見をいただくことが多かった」じゃないの?
「キャラクター表があれば見せてほしい」についてもなんか「あるなら見せてみろ、出せるもんなら出して見ろ」みたいなニュアンスにも感じられるので普通は「見せてください」「見せていただけませんかと要望」とかじゃないの?
自社制作の内部調査報告書として公表するのを分かっていて本当に精査、推敲してんの?と感じるレベル。


それに何より「キャラクター表があれば見せてほしい」じゃねえんだよ。
単行本を読み込めよ、お前ら(ドラマ制作側)がまず自助努力しろ!読み込む能力もないのか、ないのなら制作なんかするな!
どうしても分からないのなら何が分からないのか、どの部分の認識が原作サイドとドラマ制作サイドにズレがあるのかを明確にした上で原作者に判断を仰げよ。
「分からないからキャラクター表見せてみろよ」じゃねえんだよ!考えろよ!子供や素人が集まってドラマ制作「ごっこ」してんじゃねんだからよ、プロならやるべきことをやってからもの言えや!

 


次に、小学館側とドラマ制作側のメールのやり取りについて。
脚本家側から直接の指摘・修正内容を断っておいて(制作サイド側の咀嚼経由を脚本家から希望しておいて)、聞いてない・認識の違いとか言ってんのか?ふざけんな!と思ったね。
プロなら意見として、厳しい指摘、コメントもしっかり聞けよ、目を通せよ!
嫌だからやりたくない、じゃないんだよ!子供か!この脚本家は。


また、脚本家の言い分として注釈にプロデューサーから原作側の意見を正しく伝えてもらっている思っていたみたいな言い訳が書いてあったけど、お前の方から原作者との対話/直接の指摘、コメントを拒否する様な事をしてるんだろ!何言ってんだ!ふざけんな!下手な言い訳すんな!本と言ってることやってること、言い訳その言動全てが子供なんだよ!

これも以前の感想で言ったけどさぁ、原作リスペクトがあれば仮に予算・時間的制約の都合等でどうしても改変が必要な場合でも、俺なら(好きな原作の映像化の仕事に関われる様な事になったら)絶対に原作リスペクトの心から原作者にお伺いを立てる/原作者が悲しむ様な事、原作ファンが悲しむようなことは絶対避けるけどな。。。
それを原作も読み込まず、物語の本質、テーマもキャラクターも理解せず、原作者からの指摘にも耳を貸さず…、原作愛、リスペクトはなく言い訳ばかりに終始している…ホントにもう原作付き物に関わらないでくれ。。。

 

原作の芦原さんが「~実際に脚本家に会うと言いたいことがはっきり言えなくなってしまうから会いたくない~」というコメントについて、
厳しいことも言わなくてはならないなら対面じゃない方が言い易いいだろうということは想像に難くない、普通に納得のある話ですね。
(報告書の先を読めば会いたくない理由も全然分かってくるのですがね)

 


そして、ドラマ制作側が原作者と初めて直接会ったのが7月だったって…、遅い!(ドラマ制作側は3月時点ですでにドラマ制作決定している認識のはずなのにねぇ、その間なにしてたの?何故会おうとしなかったの?)

 

 

続いて「~9、10 話について揉めていたころ」の件について。
問題解決のための直接面談を申し入れたが断られたから…みたいな言い訳、言い分をするなよ!
事細かく丁寧に書いた書面・書類でもリモートでも動画でも原作者にドラマ制作サイドの思いを伝える手段はいくらでもあったろ?
それを相手のせいにする様な言い訳ばかりしてホント自助努力をしないで如何に相手のせいにするかばかりに終始した内容をよく自社内部調査として上げられるな呆れるわ。

 

普通だったら、人が亡くなる様な問題を起こした側(日テレ側/ドラマ制作側)が第三者機関を立てずに敢えて自ら調査するとなったら、(第三者機関を入れずに調査することについて納得を得るために)自らに厳しく調査するものだと思うけどねぇ…。


それを…、遺族も今調査報告書を見ることが容易に想像できるだろうに何を考えてこんな相手のせいにする内容に終始した虚偽の/自分たちに都合の良い様に解釈した報告書を書いて公表してんだか…、意味分からん!アホじゃなかろうか、どういう神経してるんだと呆れるわ。

 


予算の都合、尺の都合、スポンサー都合・配慮等はあるかも知れないと、その辺りの改変?については原作者も了承している旨を述べられています。
しかしそれは言うまでもなく必要最低限の話ですよね。「改変」というよりは正しくは「調整」と言った方が良い程度の軽微なものだと考えます。
それをドラマ制作側は自分たちに都合の良い様に、重要な部分は聞いてないふり、分からないふりをしてドラマ制作を進めるって…。。。

 

ドラマ制作を家の建築に例えるなら、
原作者はいわば建築士、設計士であり原作者が設計図を描いてドラマ制作側がその設計図を基に家を(ドラマを)作るということをやってるのに、ドラマ制作側が現場の勝手な判断で設計図通りに作らなかったらそりゃ口を出すわ、という当たり前のお話。
原作者(建築士)が綿密に計算して設計しているのに、それを物語の本質・テーマ、キャラブレ等のお話の根幹/土台を崩す様なことをやられたら黙っとられんわ。
さらに現場の大工(脚本家)が勝手に土台や大黒柱を変形させているのを見つけて原作者(建築士)がこのまま建てては家が傾く/崩れるから直せ、建築強度上ここは絶対に変えるなと何度も注意してるのに頑なに直さない、設計図に反してオリジナリティを出そうとしてくる、、、そんな大工(脚本家)は現場から外されて/クビになって当然でしょう、プロとしての仕事が出来ないのだから。

 

 

そしてこれは今後の内容(日テレ側、ドラマ制作側の言い分、言い訳)についても個人的に重要な部分だと感じるくだりなのですが、
6月10日の小学館担当者からのメール「『書き起こし』のようになることも考えられるので、ベテランよりも経験の浅いそのまま全部言うことを聞いて書いてくださる脚本家さんの方がよいのではないか。」といった旨の内容について。

このメールにドラマ制作側も「原作者のプロットが通用するかどうかは実際にみてからでないとわからない」旨を回答していることからメールでの証跡が在るということが分かります。
この内容って当然9話10話のドラマオリジナルエンドについてだよね?つまり少なくとも6月10日の時点で原作者の意向を認識/理解していたってことだよね。

 

「『書き起こし』のようになることも考えられる」「ベテランよりも経験の浅いそのまま全部言うことを聞いて書いてくださる脚本家さんの方がよいのではないか」ここまで書いてあればもう言い逃れ・言い訳できないと思うけど…。
聞いてないとか子供じみた言い訳があったけどさぁ、ほら子供の考えた様な言い訳してるからこんなところでボロが出ちゃってるよ!

 


で、続いて子供みたいなというかアホみたいな言い分で笑ったのが、
原作での老けメイク失敗シーンをカットするためのドラマ制作側の言い分が、女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由ってアホかと思ったね。
なんじゃそりゃ、言い訳になってないぞと笑ってしまったわ。
いやいや映像制作のプロならどうにかしろよ、そんなそっちの技術不足の話なんか知らんけどと思ったし、肌がきれいすぎるからという理由を無理くりつけてまで老けメイク失敗シーンをカット/原作を改変したい意図はなんやろね、ホント意味分からん。
もしかして手間を掛けたくない、楽をしたいの理由で改変、カットしてるんじゃないよね?女優に対するおべんちゃらなのかよう分からんけどそれだとしたらようこんな場で/調査報告書の中で無恥なことが書けるなと呆れたわ。
で、結局は「メイクと演技で大丈夫」と老けメイク失敗シーンを受け入れてんだから、何がしたかったのかさっぱり分からん意味不明な納得のない改変になってるんだよな(これも原作側の信頼を損なう事になった要因の一つだと思う)。

 

またこのメイク失敗シーンについて、ドラマ制作側の担当者がキャスティング時にその様な指摘はなかった(該当女優に40歳の田中さんを表現できるのかという懸念)と言っているが、え?原作読んでるんだろ?指摘あるなしに関係なく当然そういうシーンがあること分かってんだろ?
まさか原作読んでなかったの?双方の見解に隔たりがある?キャスティング段階でドラマ制作側は当該シーンのカットを伝えていたのか?伝えていないのなら原作側は当然原作通りにドラマが制作されるのが当然だと考えるよ。
ホント全てが子供の言い訳、矛盾や納得のないことだらけ、自分たちに都合の良い様に解釈しましたって…それで最後は原作通りに撮りましたってことになってんだからさぁ、できるじゃん、最初から問題なかったじゃん…、やはり原作者が根負けするのを/諦めるのを待ってたとしか思えないムーブなのよね。

 


次に、芦原さんとドラマ制作側の初対面のベリーダンスショーについて。
芦原さん側からダンスショーの誘いがあったと書いてある…。報告書の中でせめぎ合いと表現されている脚本修正のラリーがあったにも関わらずドラマ制作側からは対面、直接対話の申し入れはしなかったのね、ホントおかしい。
(こういう所からも、ドラマ制作側は余計なことは言われたくないから(原作者から直接言われたら言い逃れが出来ないから)ドラマ制作側からは積極的に対話の機会を持とうとしなかったと勘繰られることになるんだよ)

 

A氏が…C氏が…と言い訳・責任転嫁に終始しているこの様な内容でよく報告書として上げたなと改めて呆れる。
脚本家だけの意見ではないと繰り返し説明していることについても「脚本家」としてクレジットされているのなら責任持てよ。脚本に責任持てないのなら「協力」とだけクレジットしとけ。

 

 

「こだわりが強いと印象を抱き始めた」じゃないんだよ。Wordの添付を読んだけど当たり前の事を仰られてるだけ。こだわりが強い、難しい人という話ではない、クリエイターとして当たり前だと思う。
もしかしてドラマ制作側はクリエイターではないのか?同じではないのか?だから芦原さんの言われていることが理解できないのかな?


なんか原作者・芦原さんのことを厄介な人、難しい人という感じで書いてるけど、これまでのやり取りの結果で芦原さんからの信頼を失ってるからだろ、自業自得だろ!最初から厄介な人、面倒な人みたいに書くなや!!

 


そして原作者からの脚本リテイク依頼について、もう撮影済みであるため対応不可との回答をして後日その報告が嘘・虚偽であることが原作者側にバレたという件。
ほらみろ、やはり信頼を損なう様な事をドラマ制作側がやってんだろ!この一件からも分かる様にドラマ制作側の聞いていない、知らなかったの言い訳、言い分は全部信用できないんだよ!

矛盾やツッコミ所の多々ある嘘だらけの内容を、人が亡くなっている調査報告書としてよく上げれるなと本気で呆れる。。。

 

この件について「脚本家には関係がなかった」ではないんだよ!芦原さんはもうドラマ制作サイド全員が信じられないと言ってんだよ。脚本家は関係なかったなんて弁明は要らない報告なんだよ、理解しろよ。

 

 

報告書の途中であるここまで読んでだけでも、1~7話までのこれまでの信頼の裏切り、その積み重ねの結果、ドラマ制作側の自業自得で原作者・芦原さんの不興を買うことになった、ドラマ制作側の行いに非があるのは明らかなのですよね。

 

 

 

で、まだまだ報告書の内容について続きますが、
原作者・芦原さんが書いた案・プロットを尺の都合、テンポが悪くなるという理由でカットしておいて、同じその口で尺が足りないからオリジナルを追加する、ってふざけてるよね。

 

原作側から送られてきた9話10話の脚本について、ドラマ制作側が脚本家に対し「自分も大変憤っている」って、アホか。
まぁこれは身内の脚本家を宥め落ち着かせるためのフォロー的意味合いかもだけど、わざわざ報告書に載せるかねぇ…。そんなに脚本家のご機嫌を取りたいのか、何の目的の調査報告書なのか。。。


またHuluのクレジットに原作者のクレジットがないことが発覚って、わざとだろ!嫌がらせだろ、ほんとプロと言えない、子供みたいない集まり、ドラマ制作ごっこをやってる集団なんだなと呆れる。


「脚本家とはコミュニケーションをとっていた」とわざわざ記載があるが、ということは原作とは取っていなかったということだよね。
どうして?必要ないと思った?何故?その辺りの記載が全くない。何を調査しているのだろうか。

 


脚本家降板要求について「脚本家にとっては突然見せられる形となった」って、自分らで(ドラマ制作側で)そうしたんだろ?
何言ってんだ?ドラマ制作側の伝達不足が招いた人為的な結果、当然の帰結、負うべき責任はドラマ制作側にあることは明らかでありお話にならないよ。。。

 

 

脚本家の9話10話のクレジット要求について。
何が「クレジットの約束が守れないのであれば~」だ!自分が書いてもいない脚本のクレジットを求めるなんてホントにプロなのか?どの面下げてクレジット要求してんだよ!
ホントのプロだったら自分が書き上げてもいない脚本に自分のクレジットが載るなんて許せない/怒りすら感じると思うのだけど、逆にクレジットを載せるように要求するなんて、そんな奴居るんだ、と驚いたね。
それは脚本家/クリエイターとしてのどんな面子なんだよ。なんかもうただ子供が癇癪起こして意地になってるだけに見えるんだよな、この脚本家の言動全てが…。。。

 

またこのクレジット問題の中での「戦いとしては放送を強行することも~」ってなんだよこれ。
なんだよ「戦い」って。原作者へのリスペクトも愛もあったもんじゃねえな。もう二度と原作付きに手を出すなよ!関わるな!

 


そして、SNSに投稿するぞ、という脚本家による脅しがあったことをドラマ制作側も認めてる(内容的に)。これ確定じゃないか。これが原因だろ。

原作をお借りしているという意識、原作へのリスペクトが皆無であることが改めて分かる。
プロとしての意識がなく子供じみた駄々をこねているようにしか見えない未熟過ぎる脚本家…。


上記「SNSへの投稿を考えている」と脚本家から言われたというのは日テレ側の言い分ですが、
脚本家側の言い分では「9話のクレジットがないことに対して~心配のメッセージが届いたから~説明をしなければと考えた」となっていて…、、、
いやいやいや違ってるじゃん!脅しとして日テレ側に既に言ってるだろ!「心配のメッセージが届いたから~」じゃねえだろ!

日テレ側も日テレ側でなんでこの矛盾を追求しないの?なぜ放置なの?気付かないの?
「調査」報告書として意味あるの?事件前と後で食い違ってる本人主張…この人物の発する言葉が信用出来ないことを物語ってる。。。

 


そして、この報告書の中で何度も繰り返される「聞いてない」という主張…もういいわ、ドラマ制作側の話はもう何も信用できない、信用に値しないよ。

 

ホントそんなに「聞いてない」「覚えてない」と記憶力がないのなら同じ過ちを二度と繰り返さないためにレコーダー回すなりメールという形でしっかり形を残すなりしろよ!
それが再発防止の第一歩だろ。なんなら一番最初の契約段階で、口頭でのやり取りも勝手に録音させていただきます、という文言でも入れて言い逃れできないように電話での応答も常にレコーダー回しときゃいい。

 

 

SNSという場への投稿について。
日テレ顧問弁護士や脚本家が相談したという弁護士は投稿の取り下げ要求・削除は難しいとの見解でなおざりにしていた様ですが、昨今のSNSによる炎上、誹謗中傷の例を見て予見可能性を指摘できない時点で弁護士として程度が知れてる、三流なのだろうなと感じる。

 

 

脚本家は原作者の意向を一切知らされてなかったということについて。
これも以前の日記で書いたのだけど、知ってた/知らないの話ではないんだよ!
(まぁこの「一切知らなかった」発言もこれまでの嘘、矛盾だらけの報告内容を見るに嘘であり「知ってた」と思うけどね)

 

 

原作者へのブログへの投稿及びXでの拡散について。
「これにより関係者に対する誹謗中傷の SNS 投稿が繰り返される事態に発展した」じゃねえだろ!
因果関係違うだろ!脚本家のSNSへの投稿が最初にあったからだろ!アホか!何言ってんだ!ふざけんなよ!

 

三者機関を入れずに自分たちで内部調査しておいてよくここまで身内寄りの/身内を庇う様な報告書が書き上げられるなぁとほとほと呆れるわ。
自ら内部調査を行うというのであればせめて自分に厳しくあれよ!第三者機関は入れません自分たちで調査します、で出てきた報告書が身内寄り/身内贔屓では全く納得がないわ。

 


小学館担当側が出した条件を条件として「聞いていなかった」という言い訳、ドラマ制作の中での原作者側への虚偽の報告、原作者からの脚本リテイクの指摘・修正依頼をリテイクに反映せず返答する事の繰り返し、ドラマ制作側の意味不明・支離滅裂な原作改変要求、脚本家の「私は何も知らされていなかった」(脚本家が自ら申し出て原作者からの直接の指摘を忌避している)、「私は悪くない」という言い分、事件前後で食い違っている脚本家の主張について追及しない日テレ側の自社/内部「調査」が全くできていない報告書としての酷さ、
日テレ側が自社で/内部で調査した報告の内容が身内寄りの(もっと言うなら自分たちは悪くない、勘違いしてただけ、はっきり言ってない/明言してない相手(小学館側)が悪いという)言い分の報告書としての酷さ、虚偽/矛盾/つっこみ所だらけの報告書としての酷さ、普通に考えれば/常識的に考えれば誰でもわかる様なことを自分たちに都合の良い様に解釈/曲解/恣意的解釈し自己弁護の言い訳に終始した内容の報告書としての酷さ、
原作者が亡くなったことの調査報告でありながら原作者/原作へのリスペクトのない内容、どころか悪意すら感じる内容の報告書としての酷さ、等々…、、、
ドラマ制作の前段から始まりドラマ制作、そしてその結果の悲劇、さらにその後の今調査報告書に至るまでの「ドラマ制作側」の思考、発想、言動のその全て子供じみており、とてもプロとは言えない仕事をしている集団であることが窺える酷さですね。

 

 

ここまでで報告書内容の約半分くらいなのでまだまだ続きます。。。

 

 

 

3月の時点で原作者ブログ記載の条件を出さていれば、ドラマ化は無理であると断っていただぁ?うそこけ!
たとえ条件を出されていたとしても原作側の「ドラマ化にあたって必要不可欠な改変は当然発生すると考えいる/理解している」という内容を曲解/恣意的に解釈し『「改変OK」と認識していた、見解の相違、認識の祖語があった』と無理を通して道理を引っ込ませる腹づもりだったんだろ!

 

「原作に忠実に」って原作側に言われるまでもなく基本的に当たり前、守って当然の大前提とも言うべきものであり、改変を行うこと、そしてそれを原作側が認めることが例外なんだよ。
ドラマ制作の都合上修正が必要なこともあろうが必要最小限にとどめるべきは当然の事、基本的には原作準拠が当たり前なんだよ。「条件として聞いてない」なんてレベルの話じゃないんだよ!
「原作に忠実に」ドラマ制作することが出来ない、がドラマ化を諦める理由になる訳がないだろ!ホントに言い訳にすらなっていない様な取って付けた様な言い分だな。
そんな意味分からない理由でドラマ化を諦めるつもりなら最初から原作付きなんかドラマ化しないでオリジナル作れば良いだろ!


「原作に忠実に」の意味が抽象的で分からない?聞け!原作側に!コミュニケーション取れ!
右も左も分からない新人か!意味分からん言い訳すんな!プロとしてようそんな言葉を吐けるな?恥ずかしくないのか?
エピソードの順番なのかセリフまで全く変えないのか世界観やキャラクターの性格を変えないという趣旨であるのか明らかではないって…、、、ホント呆れるよな子供みたいな言い訳してるな…。。。


改変理由に納得があれば良い旨の記載があるだろ…それで理解できないのか。ドラマ制作側の誰一人としてそれが分からない/理解できないと言っているのか?
だとしたら全くプロと呼べないドラマ制作「ごっこ」をしている子供の集まりだな…。

そうしたドラマ制作スタッフ集団での子供じみた言動/嫌がらせの繰り返しで芦原さんは精神を擦り減らしていったのだろうな。なにがプロだ!もう二度と子供が大人のふりして大人の仕事の邪魔をするなよ、金輪際関わるな!

 

「最後まで制作サイドと本件原作者との認識が一致しなかった」って、いやいやいや最後まで一致しなかったで終わらせてんじゃねえよ!それがプロとしての仕事か?アホか?

 

繰り返し述べるけど、普通自社で内部調査をするのなら自分たちに厳しくする(自らの言動に対してチェックを厳格にする)のが当然だと思うけど、自分たちに甘いというか都合の良い様に解釈しましたみたいな内容をよく内部調査報告書として
恥ずかしげもなく公表できるなと呆れるばかりですわ。
別に自分たちに不利なことを敢えて書けと言ってる訳じゃなく事実を事実として正直にしっかり書けよ!子供がする様な言い訳にしか見えないことを、姑息な嘘を書くなよ!

 


小括の「日本テレビは脚本ではなく、プロットとの認識で、小学館との間には認識の齟齬がある」について。
いや、齟齬なんかねえだろ!!
(俺が今報告書を読んでの所感として「個人的に重要な部分だと感じるくだり」として述べたことを繰り返すけど、
「『書き起こし』のようになることも考えられる~」、「そのまま全部言うことを聞いて書いてくださる脚本家さんの方がよいのでは~」のメールのやり取りがあったこと認めてるよね?
矛盾が起きてるよ、気付いてなかった?嘘で取り繕った報告書のボロが出てるよ?

『書き起こし』、『そのまま全部言うことを聞いて書いてくださる』…この文言からも明らかなように「プロットとの認識」の訳がないだろ!
「脚本」レベルでの話を小学館側がしていることは明らかだろ!ホント子供の様な言い訳してるよなぁ。。。

報告内容その全てが子供がする様な低レベルの責任逃れ、言い訳に終始した読むに堪えない酷い報告書でしたよ…。。。

 

 

原作者・芦原さんの脚本への指摘が厳しくなることや脚本家降板要望について。
最初は芦原さんも気を遣ってオブラートに包んで丁寧に回答してたんだろうな…。
それが修正箇所が修正されないまま返答されたりということが何度も繰り返され、キャラクターや世界観をいつまで経っても理解しようとしないのやり取りに疲れて、段々と直接的な表現になっていって(脚本家が原作者からの直接の指摘・修正依頼を断った)、それらの積み重ねその他諸々があって我慢の限界を超えた結果の脚本家降板要望だったのだろうなと推察するけど。。。

 

 

SNSの投稿について「ドラマ及びその制作過程に関し、賛否両論」って、せめて賛と否が5対5、6対4くらいなら使っても良いけどさぁ、俺が知る限り圧倒的にドラマ制作側の否の論が多数だったけどな。

 

 

原作側の要望/許諾条件が脚本家に伝えることはなかったって、それはドラマ制作側の問題なのは明らかだよな。お前らが伝えてなかっただけのことだよな?
先にも述べた様に『書き起こし』、『そのまま全部言うことを聞いて書いてくださる脚本家』という内容を伝えていないドラマ制作側の問題、責任だよな?

 


小学館側から面会の要望を受けなかったこともあり」って…、この物言いにホント呆れるわ。
お前ら(ドラマ制作側)は原作をお借りしてドラマを作らせてもらってる立場なんだろ?だったら普通に考えてお前ら(ドラマ制作側)からより良い物を作るために一度お会いしてお話させてください、だろ?何言ってんだホント!

 


コミュニケーション不足に原因があると宣っておきながら、「原作者と会うことは業界の実態としてあまり例がなくその制作実態それ自体に問題があるかは一考を要する」とかもう言ってることが支離滅裂じゃねえか!
なんだこの報告書、しっかり詰めろよ!
三者がやってりゃさすがにこんなことにはならなかったかもな…。内部調査なんて自分たちに甘いことをやってるからこんな適当なヒアリングだけで済まして自分たちに都合の良い様に解釈した結論で終わってんだろうな…。

 

「原作者本人と面会し、~より綿密かつ正確なすり合わせを~そのような機会があれば~」って、あったけどものにしようとしなかったのはドラマ制作側だろうがよ!
お前らドラマ制作側が原作者と会うのは面倒だと考えて/自ら藪をつつくような真似をしたくなくて/直接意見を交わしていないことによる認識の祖語を言い訳にしたいがために接触を避けてたんだろ?

 


原作者・芦原さんからベリーダンスショーのお誘いがあり直接会った時も「具体的な内容等について話す雰囲気ではなく~」と言い訳して対話を逃げてるんだよな。
まったくの部外者の俺が推察するのもなんだけど、芦原さんはより良いドラマにするためのドラマ制作側との対話を待ってたんじゃないのか、と思うのですよね。
(そもそも初対面が原作者側からドラマ制作側へ声をかけて実現してるってその時点でおかしい。お前ら(ドラマ制作側)から声をかけるべきだろ)

ドラマ制作側の「話す雰囲気ではなく~」と言い訳、そして初対面が原作者側から声をかけて実現しているという点からみても、ドラマ制作側の渋々原作者と会ってる感、
原作者から余計なことを言われたくない/聞きたくない感を強く感じるのですよ。


ホントよくこんな自分たちに都合の良い様に解釈した/薄っぺらい嘘で塗り固めた内容の報告書を調査結果として公表できるよなぁ…。

 

 

短大から専門学校への訳の分からない改変について。
ドラマ制作側の改変理由に全く納得がない。原作を変えてまでやる意味があるのか?そこにどんなこだわりを持ってドラマを制作しているのか全く納得がない。
なんだ?専門学校のスポンサーでも入ってんのか?だとしてもそんなつまらない理由で原作を改変すんなよと思うが。

 

もしスポンサー関連で変更があるにしてそれは例えば、登場キャラがポカリスウェットを好んで飲んでいるという設定をスポンサー都合でアクエリアスに変える、とかその程度の調整レベルの話だと考えているよ。
(そのくらいなら許容範囲内/ポカリがアクエリアスに変わる程度でキャラがブレたりはしない、と原作側も納得するんじゃないかな、というお話)


こんな訳の分からん理由で訳の分からん改変(短大から専門学校への改変)をやるなんて…、、、これは以前も書いたけどさぁ、アンタらドラマ制作側が打合せと称して議論ごっこをやってる時間よりはるかに多くの時間を費やして作者は物語をキャラクターを設定を構築/構成してんだよ!
それに対して深い考えもなく納得のない、上澄みだけ掬った様な本打ちとやらで安易な改変やるなよ!

 

 

「ドラマ化するにふさわしい改変についてはむしろ歓迎する意向があった」だぁ?
お前ら(ドラマ制作側)はホントにこの意味を理解してんのか?
ドラマ制作の都合上どうしても原作通りに作れない場合に、原作者・芦原さんが「あぁ、なるほど。それ良いですね」とひざを打つような納得のある展開であれば改変を受け入れるというお話だろ?
それを…短大から専門学校への変更って、全く納得がない全く意味の分からない改変でなのですよね。
「改変を歓迎する」っていうのをホント自分たちに都合の良い様に解釈してんなぁ…。

 

 

原作者からの脚本への指摘コメントを「そのまま読むのは辛い」と述べたことについて。
厳しいことが書いてあったとしてもそれはプロの仕事として甘んじて受けるところだろ!
ホントこの脚本家の言動って全てが子供なんだよな。。。

 

 

あと、この辺りの報告書の記載でしきりに「認識の齟齬」が繰り返されてんだけど…、違うだろ!
お前ら(ドラマ制作側)が原作側の言葉を曲解/恣意的解釈して「こっちも勘違いしてたけどそっち(原作側)もはっきり明言してなかったよね?」と責任逃れする言い分にイッライラしながら読んだよ。
(ドラマ制作側の言い分が嘘だらけ・つっこみ所満載・矛盾、支離滅裂な内容であることはこれまで指摘した通り)

 


今作「セクシー田中さん」に限らず、原作漫画のファンは別にドラマなんか制作されてなくても良いと思ってるんだよ…。
ドラマ化で作品の知名度・認知度が上がり更なる人気作となること(それが嬉しくない訳ではないけれど)、それよりもファンが望んでいるのは、好きな原作漫画が最後まで完結まで読めること/ドラマ化なんかしなくて良い、ただ原作漫画読めれば良かったはずなんだ。

それなのにお前ら(ドラマ制作側)はそれを奪った…、一人の作家の/クリエイターの命を、もうどうやっても取り返す事の出来ない形で奪ったんだよ。
そこを理解してんのか本当に…。こんな責任逃れの言葉だらけ、言い訳だらけ、適当にごまかした嘘だらけの回答の報告書…本当にイライラしながら読んでましたね。。。

 

 

脚本家の降板要求について。
いや、仕事が出来ないんだから別の人に替えてくれというのは当然の権利だろ。仕事が出来ないからクビになった、ただそれだけ。
能力的に信頼できないから、下手なもの作って欲しくないから降板要求を出した、それだけの話だろ。
そりゃプライドが傷つけられたというのは理解しないでもないけど仕方ないよね、プロとして甘んじて受け入れるほかないだろ。
それを子供が癇癪起こしたみたいな言動をしてさぁ…プロとして逆に恥ずかしくないのか?

そしてその子供の癇癪の結果が…。。。

 

俺としては、今ドラマ制作側スタッフ/日テレにはプロとしての当たり前の仕事ができないのであればもうテレビドラマを作るな、少なくとも原作付きのドラマは二度と作るな・関わるなと言いたいですね。
それがなにより最善の再発防止策だよ。

 


社内アンケート結果について。
アンケート結果を見るに【「セクシー田中さん」のドラマ制作スタッフ】の「原作付きドラマ化」に対する考え方は少数派みたいですね。
他のドラマ制作スタッフは原作尊重、原作準拠の大前提を言われるまでも持っていることが分かり、【「セクシー田中さん」のドラマ制作スタッフ】が如何に素人の集まり/ドラマ制作ごっこをしているだけの子供の集まりであったかが改めて分かったので【「セクシー田中さん」のドラマ制作スタッフ】はもうドラマ制作に関わらない様にするのがベストですね。

 


チーフプロデューサーについて。
責任を取るのがチーフの、トップの仕事なんじゃないの?複数掛け持ちしてるから、と言い訳するためのチーフプロデューサーなのか?

 

 

総括、振り返りについて。
原作準拠で作るのは当然だろ?今更なに言ってんだ?
スポンサーへの説明でも、過去にドラマ化、映画化の実績のある作家で今回の原作もこれだけの人気があります、ファンがついてます、だからある程度の視聴率を確保できます、つってスポンサードをお願いしてんだろ?
オリジナルの企画が通らないから人気のある、実績のある作品を借りて企画を通してんだろ?それを作品の名前だけ借りて別物やりますってスポンサーがそれで納得してるというつもりか?

 

 

アンケートの結果について。
原作者と直接会ってるプロデューサーが多数であった、と書かれてるね?
やりきれないですね…、原作者と積極的に会おうとしなかった今ドラマ制作スタッフは少数派だったということ。
しかも脚本家含む素人ドラマ制作陣というか子供みたいなドラマ制作ごっこ集団に当たったばっかりに芦原さんは命を落とす事になったのかよ…。。。

 

 

ドラマ制作上、原作から修正・変更が必要なことは原作者側も承知されてるよ。
ただし、それはあくまで調整レベルであって、原作と比べキャラクターが変わったり、キャラの関係性が変わったり、そのキャラの関係の構築がメチャクチャになる様なエピソードの入れ替えがあったり…、それは作品の構成そのもの、世界観が壊れる様な改変/改悪でありとても許容できるものではないんだよ、それが分からないのかホントに?分からないのならもう二度と原作付きに関わらないでくれよ!

 


原作者の中にはドラマ制作について「ご自由にどうぞ」という方もあるのも、これまでのドラマ化、映像化の悪習があったからだろ。
好き勝手に改変された、リテイクの要求を出してもドラマ制作側が「もう撮影に入らないと間に合わないから無理だ」と直さない、直してもまた別のところで改悪してくる、等の繰り返しで原作者が諦めた、その結果ドラマ化・映画化に何の期待もしなくなったからだろ!

原作者は改変されるより自分の描いたものがそのまま映像化された方が嬉しいに決まってる。

 

 

最後の結びみたいなコメントで、「これで怖がっちゃいけない」って。
よう報告書でこの内容の文言出したな。ホントよほど能力がないのだろう。
自分だったらたとえアンケートの回答の中にこの文言が書いてあったとしても少なくともこの報告書(公表版)には載せない判断をするけどな。
ご遺族や他の漫画家(仲間)の神経を逆なでする様な文言を、原作者が亡くなったことの調査報告書に載せる神経が自分には全く理解できない。


この「セクシー田中さん」のドラマ化がなければ原作者・芦原さんが命を落とすことがなかったのは明らかなんだよ!
(具体的になにが芦原さんが自死される詳細原因だったかは分からないが、ドラマ制作の中に問題があったことは明らか。ドラマ制作がなければ当然芦原さんは自死されることなく、原作漫画を完結まで描かれたはず)

ドラマ制作側はそこのところ理解してんのか?

 


今報告書のドラマ制作側の言い分は全て「そういうつもりはなかった、認識の齟齬、見解の相違」と責任逃れの言葉に終始しており、
しかもその責任逃れの言葉も整合性がない・ツッコミ所/嘘/矛盾だらけであり、ホントこんなので言い逃れ出来ると・通用すると思っているのかとイライラしながら読みましたよ…。

 

 

 

日テレ側の調査報告書の所感として、
今ドラマ制作側スタッフ、いや…こんな内容の報告書を出す様な日本テレビはもうテレビドラマを作るな、少なくとも原作付きのドラマは二度と作るな・関わるな、それがなにより最善の再発防止策だ、ということを言いたいですね。

 

 

 

 

 

続けて、小学館の報告書を読んだ所感となります。
まず、日テレ・小学館の二社が別々に出すより第三者を入れて一緒に合同で調査・報告した方が良いんじゃない?その方が双方の見解の相違に対する比較も出来るし分かり易いと感じましたね。

 

で、次に感じたのは、意外とメール等の文書が残っていないという点。
大きな会社なら同社内の他部署間でもメール等で証跡を残すと思うけど、他者間(小学館-日テレ間)でのやり取りでメール等の証跡が残ってないの?そんな事あり得る?
メールでも残っていればどちらの言い分が正しいか明らかだったと思うおけど…。
(また対面での会議の場合でも議事録取って共有したりしないのかね小学館や日テレは…)

 

あとは、内容については認識の相違があるだけで基本的には日テレ側の報告書と同じことが書かれていましたね。
小学館側の方が修正内容について詳細に書いてある感じで、原作者による監修・修正・指摘内容を無視して(修正指摘内容を直さずにそのまま)ドラマ制作側が返信してきた等のことが詳細に書いてありました。

 

日テレ、小学館双方の報告書を読んで感じたのはやはり嘘をついているのは日テレ側の方だろうなということ。
ドラマ制作側の虚偽報告(未撮影であるのに撮影済みと偽って原作者にリテイク受付不可を返答した件)についてはメールなり何なりかの物的証拠が残っていたのだろうな。
だからこの件については日テレ側も認めているのだろう。逆に言えば証拠が残っていないものについてはごまかしきれる、言い逃れできると考えてあんな整合性のない/ツッコミ所/嘘/矛盾だらけの報告になってんだろうなぁ。。。

 


脚本家のSNS投稿への対処について。
日テレ側は「削除依頼は一切来ていません」、「削除依頼なら留守電やメールで伝えることができたはず」と言い切ってるけど…、これも証跡となる物が残ってなかった(電話で/口頭でだけだったのだろう)から言い切ってるんだろうね。
いや、普通に考えて有り得ないだろ!原作者を貶める内容の投稿に対して出版社側が何も反応しない、無反応なんて。
逆の立場だったら社として企業として絶対にクレーム入れる案件だろ!日テレ側のコメントにはホント全く納得がない!

 

 

窓口の一本化について、
改めて言うまでもなくもともとプロデューサーの仕事だと思うけど…。
今ドラマ制作側ごっこやってる子供の集まりには無理だったのだろうけど。。。

 

 

 

 

最後に。
小学館の報告書を読んで印象が変わった点を一つ。
原作者・芦原さんのブログ投稿を小学館側は(社員三名と役員一名含めて)承知していたというのを知って、「もしかしたら…」と、もっと酷い想像をしていたので少し落ち着いた気持ちになりました。
それは、芦原さんのブログ投稿に対して日テレ側上層部が小学館上層部へクレームを入れて、それに対し小学館上層部が諂い編集部へ「セクシー田中さん」の打ち切りを命じた…その結果に原作者・芦原さんは芦原さんは絶望して…、、、
ということを想像していたのですよね。


アニメ化・ドラマ化された経験のある他の漫画原作者さんも言われていたことなのですが、映像化された作品に対しリテイクを出すのは「ファンのためである、ファンを裏切ることはできない」という想いからとのことです。
おそらく芦原さんも同じでファンのために、と精神を擦り減らしながらもドラマ化対応をされていたのでしょう。そこへもしファンを悲しませる打ち切りを告げられたとしたら…、味方だと思っていた小学館に裏切られたとしたら…、我が子の様な自分の作品を理不尽に取り上げられたとしたら…、、、
とそういう仕打ちを受けたのかもと想像していたのですよね。

しかし、報告書を読む限りは小学館側は味方であったと感じられ、多少は救われる思いではありました。

 

 

 


以上、メモを書き連ねただけで長くなりました(本当は6月中に上げる予定だったのですがここまで延びてしまいました)が、日テレ、小学館の調査報告書を読んでの所感となります。