アニメ「オーバーテイク!」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「オーバーテイク!」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

 

今季2作目となるモータースポーツ・レース物の作品。
なんかたまにあるよね、同じシーズンで同じ系統のアニメ作品が被る事。
そんな、同じモータースポーツ・レース物作品である(前回酷評感想を書いた)MFなんちゃらとの比較のために2作品続けて一気観をしたのですが…、MFなんちゃらなんかとは比べるまでもなく今作「オーバーテイク」の方が遙かに面白い、巧い、良く出来た作品となっていますね。

 


いやね、一番最初…初っ端、出だしのイメージは実は良くなかったのよね。
監督『あおきえい』かぁ…「喰霊-零-」や「アルドノア・ゼロ」のイメージから、物語の始まり・導入では面白そう!となるのですが以降の話が尻すぼみになっていく印象(第1話がピーク)の作品の監督なのですよね。
また、「無責任艦長タイラー」みたいなビジュアルをした中年おっさんが主人公か?(おっさんがレーサーを目指す話なのか?)と思っていたから、あまり面白くなさそうだなと感じていたのですよね、最初は。。。

 


しかし、観進めていくと…、凄い面白い。脚本・ストーリー構成が巧い、「キャラクター」と「ストーリーの絡ませ方、魅せ方」が上手いのですよね。
ホント今作「オーバーテイク」の脚本・構成(「キャラクター」と「ストーリーの絡ませ方、魅せ方」)の巧さは2023年アニメ作品の中でも群を抜いていますね(、、、後述しますがある1点を除いて…)。

 


という事で、各キャラごとにその辺りを書いていこうと思います。

 


・浅雛 悠
F4ドライバーの主人公の少年(高校生)。レーサーであった父親がレース中の事故で亡くなっているという設定。
第1話での「応援なんて要らない、独りで走れる」という態度/スタンスからの、第2話ではスポンサー集めで地元の商店街を歩いて回り小牧モータースを応援してくれる人たちに直接触れて元気をもらうというか態度を軟化させるというかツンケンしてた様が丸くなっていく、少年っぽく年相応になっていく変化の見せ方の構成が良いですね。

 

また、物語終盤の展開では、
父親の死(の原因)について自分の「頑張って」の言葉が父親にとっては重圧/プレッシャー/重荷になっていたのでは…だから事故を起こしたのでは、と考えていて(だから最初は「応援なんて要らない、独りで走れる」の孤高を貫く様なキャラだった訳ですが)、悠の過去回想内での父親はいつも息子からの「頑張って」を重荷に感じている様にぎこちない笑顔で返す映像だったのですよね。しかし、実は違った…(もう一人の主人公「眞賀 孝哉」との出逢いで)物語中で悠自身が・考え方が変化していき気付いた・思い出した、、、父親は悠からの「頑張って」のあと、ぎこちない笑顔なんかではなく本当の笑顔で「ありがとう」と返していた事を。
物語序盤においては、自分の言葉が父親の重荷になっていたという考えから過去にフィルターが掛かってぎこちない笑顔で出かける父親の映像だけが思い出されていたが、実は違った…、物語の中で変化・成長していった主人公・悠が思い出したフィルターなしの真実の父親の「ありがとう」という言葉、、、
この序盤と終盤での回想の違いの見せ方、主人公の主観の変化(「応援」がちゃんと「力」になっていた、と実感した)の演出…、巧いですよね。

 

 

 

・眞賀 孝哉
カメラマンもといフォトグラファーであるもう一人の主人公、中年のおっさん。
悠に大きな影響を与えており物語上必須な存在で(主人公なので当然ですが)、キャラクター自身も悪くないのですが…、俺的にこの作品の難点となっている部分なのですよね。
その点については後述します。。。
(キャラ自身は別に全く嫌いじゃないのですよ)

 

 

 

・春永 早月
主人公のライバルチームに所属しているレーサー。
勝つためには運が必要、運も実力のうち、と運を引き寄せるためいつも笑顔でいる事を心掛けているという。
しかし、レース中の事故で骨折してしまい病院のベッドの上で自分には運が無かったと、いつもの笑顔が消えて、自分が入院している間にチームメイトに抜かれる/置いて行かれる、チームから忘れられる/捨てられるかも、という悔しさ、辛さ、恐怖、不安、焦りにこぶしを握り締めるキャラクターの魅せ方…いつものヘラヘラ笑顔とは違うキャラのギャップの魅せ方が上手いですね。

また、それだけ(キャラのギャップ見せだけ)で終わるのではなく、「自分が目指すべきはジェームス・ハントではなくニキ・ラウダ」という件を見せての復活、盛り上げ方も上手いですね。

 

 

 

・蜜澤 亜梨子
一応今作のヒロイン娘ちゃん、になるのかな?
イケメン・春永 早月の事が好きなただのミーハーな娘かと思ったら意外と真剣に本気でミーハーしてる真面目ミーハーでしたね。
上述した春永 早月の入院中での笑顔が消えて不安を吐露する場面ってヒロイン娘ちゃんの前で語っているのですよね。
春永 早月も他のファンの娘たちの前では隠していた・強がっていたけど実は不安なその胸の内をヒロイン娘ちゃんにだけは弱みを見せてる事からも他の娘とは違う、特別に想っていた、少なからず気があったとも感じられる(もしかしたらファンではなくチームメイトだからという理由もあり得るのですが…、同じチームである他のレースクイーン娘達との違いが描かれていないから分からん)のですが、ニキ・ラウダの件があって意外とそのままホントに付き合っちゃうかも、と驚きの展開で観てて面白かったですね。
(どっかのMFなんちゃらと異なりメインのストーリーには絡んでこず物語の邪魔をしない控えめなヒロイン(厳密にはヒロインとは言えないけど)で良きです)

 

また、春永 早月とヒロイン娘ちゃんのシーンは魅せ方/脚本・構成としても巧くて、この二人のシーンの裏では、チームから捨てられるかもと春永 早月が心配していた通り実際に悠が春永の代わりとしてチームに入って走っていた訳で…、もしヒロイン娘ちゃんとのニキ・ラウダの話がなければ(ヒロイン娘ちゃんとのやり取り/ヒロイン娘ちゃんの言葉がないままチームで悠が自分の代わりに走っている事を知ってしまえば)春永 早月は闇落ちまっしぐらだったろうね、と想像させる脚本・構成になっているのも素晴らしいのですよね。

 

 

 

・小牧 錮太郎
上述したヒロイン娘ちゃんとは幼馴染らしい、ヒロイン娘ちゃんを好きっぽい(片思い)。
春永にキャーキャー言ってるヒロイン娘ちゃんについては、周りが騒いでいるから、雰囲気で好きになってる、と思っているみたいだけど、ボヤボヤしてると取られるぞ、失うぞ、と今後の恋愛模様でも期待・想像させて見せてくれるよきサブキャラ。

 

そしてこれは本編とは関係ないどうでも良い事なのですが、中の人(畠中祐)についてのお話。。。おい、同じシーズンの同じ系統の作品・MFなんちゃらにも同じメカニックとして出ていたよな。
いや、どっちか出演遠慮しろよw、とキャスティングに笑っちゃったわ。あと、ED歌ってたけど歌上手いのね、びっくり…。

 

 

 

・雪平 冴子
眞賀 孝哉の元妻。
離婚はしているけど、さえちゃん自身は未練があるというか孝哉の事が嫌いで別れた訳ではないっぽい。
おそらく孝哉の震災写真のバッシング騒動の時に、親や親類縁者、そして仕事関係のしがらみ等の周りからの圧力で離婚させられた様な感じなのかなと想像します。
(孝哉からのさえちゃんに迷惑をかけられないと強い勧めもあったのだと思うけど)
俺的には今作における真のヒロインはさえちゃんだと思ってる。第2期があるなら孝哉との関係、復縁についても期待したいですね。

 

また、さえちゃん関係でもう一つ。

物語序盤でさえちゃんが悠に(だけ、他の皆より先に)孝哉のトラウマ(震災写真バッシング)の事を話しているのですが…、物語終盤では悠が孝哉自身からトラウマの事(バッシングされたからトラウマになっている訳ではないという件)を聞いて、今度は悠からさえちゃんに(お返し/お礼という訳ではないだろうけど…、孝哉自身がさえちゃんに改まって話す事がないかも知れないからと考えて?元妻ではあるけど今も孝哉の事を想っているさえちゃんには知らせておくべきだと考えて?)孝哉の事を話すという流れ・構成がまた良いのですよね。

 

 

 

・徳丸 俊軌
ヘイト役。イヤな役回りになってるけど実際はそんなに悪い奴じゃないのよね(口は悪くすぐキレるけど)。
まぁでもこういう役回りのやつが一番人間味があって良いキャラになるのよね、最終的には。
もう一度最初から観直したらきっと印象が変わるキャラだろうね…(確実にもう1周はするつもりですよ)
レーサーキャラのメイン3人ともしっかりキャラがあって(ただの敵役/悪役キャラで終わっていない)、各キャラクターとストーリーの絡ませ方・魅せ方が上手いですよね。

 

 

 

・小牧 太
・笑生 教典
チームのオーナー二人。
一人は主人公の所属するチーム、もう一人は主人公のライバルチームでありどちらも主人公・悠の父親とは旧知の仲、ただのチームオーナー、ただ主人公を目の敵にしてるライバルチームという訳ではないという構図も良いですね。

デミウルゴスな笑生の理知的な感じが良い。
また、主人公・悠が一時的に笑生のチームに行くのですが、そこで笑生は「親友の息子だからチームに誘ったのではない」という事を語るのですよね。
しかし、本当は友情みたいな熱い思いもあったのではないかと俺は考えています。主人公・孝哉と今も懇意にしている~当然、笑生は社長という立場上、孝哉のバッシング騒動の事は知っていると考えられる、それでも眞賀 孝哉という人間を知っている笑生は変わらず付き合いを続けている~事からも冷静・理知的に見えても実は内に熱いものを秘めた漢なのでは、と見える・想像させてくる見せ方が良きですね。

 

 


と、キャラクターとストーリーの絡ませ方、魅せ方が巧い脚本・構成で間違いなく「良」評価に値する作品だったのですが、、、
俺的に1点ひっかかるのが主人公・眞賀 孝哉の過去のトラウマの話。
東北の震災と繋げるのが…、、、ちょっと。。。
第1話から津波のシーンがあり、あぁ東北の震災扱ってるのかぁと嫌な感じはあったのですが…。

 

孝哉の過去は徐々に明かされていき、津波にのみ込まれる直前の少女を撮った事で世間からバッシングを受けた事が示されます。
このエピソードを観てまず思ったのは、助けられたはず云々よりも「打算で撮ってる」事を感じるのですよね。
戦争・戦場の悲惨さを訴えるために撮られた写真についても同じことを思うのですが、今/その場で起きている事よりもその後の事(写真を公表した後の事)、この写真はきっとセンセーションを巻き起こすぜ、と「先の事」を考えて撮っているというその行動に打算が垣間見えるのが嫌なのですよね。

 


まぁこれ(上述した打算云々について)は物語終盤で否定されるのですがね…。
孝哉のトラウマはバッシングされた事ではなく少女の最期の「なんで助けてくれないの」という目が…カメラを見つめる目が恐くなって、人を撮る事が出来なくなってしまったという事なのですよね。
少女の最後の無言の訴え・カメラ越しに見つめる少女の訴え…、助けられなかった・見殺しにしてしまった自分を責めてほしい、少女はもう居ないので誰かに罰してほしいとの思いから、世間から叩かれるのが分かって敢えて公表したという事みたいですね。

 


しかし、俺は(必然性なく)子供が死ぬ展開は好きくないのですよ…。
孝哉の回想シーンで少女と一緒に爺さん(少女の祖父)が出てくるのですが、、、仮に少女と爺さんが逆でも一応は成り立つかも、と感じるのよね。
(アニメ本編では少女が亡くなり爺さんは助かるのだけど、爺さんが亡くなり少女(孫娘)が助かるパターン)

ただまぁ、逆の場合(死んだのが爺さんで生き残ったのが孫娘の方の場合)、孫娘子ちゃんは孝哉の事を許さない、頭では(孝哉の人間性を)分かっていながらも感情/心で納得できず爺さんを見殺しにした孝哉を許さない(孫娘の場合は若さ故、爺さんほど老成していないので…)という事になりかねない恐れもあると感じるので、そういう意味では(亡くなるのが爺さんではなく少女である)必然性はあるとは考えられるのですが…、安易に東北の震災を持ってきた事にまだ引っかかりが残るのですよ。

 


別にそれこそ戦場での悲惨な出来事をフィクションで創作すれば良いのに何故東北の震災を持ち出したのか…、そこに納得がないのですよね。
孝哉の過去のトラウマについて、制作側がフィクションではなく現実の災害を持ち出した理由…これは完全な邪推ですが、東北の震災という日本人なら誰もが知っている現実の災害を持ち出す事で誰もが共感・認識を共有できる~もし仮に現実に孝哉の撮った写真の様な物が展示されればバッシングが起きるだろう事が想像し易い~という効果を狙った、フィクションのそれより効果的であるという打算が感じられるのが嫌なのですよね。

 


いやね、これは決して震災をアニメで扱うな、という事を言いたいのではないのですよ。扱うのならど真ん中で扱え、と。
今作はメインは「モータースポーツ・レース物」(を中心とした人間ドラマ)であるはずで、東北の震災は直接は関係ないのですよね。
最悪、物語のメイン舞台が東北だったらまだ納得があったのですが、舞台は御殿場であり主人公・悠は東北とは関係ないのに無理やり東北の震災を絡めてるのが納得がないのですよ。
東北の街を舞台とした震災からの復興を描くとしてど真ん中のテーマとして扱うのなら全然構わない、納得があるのですが、そうではない…そこに震災という現実(リアル)をエンタメに利用している、打算があると感じられるがダメなのですよ。

 


(
孝哉のバッシング騒動については、社会批判的な意味も込められてるとは感じますよ。
東北の爺さんの今際の際の病室にて孝哉を責める爺さん(孫娘)の遺族。しかし、当の爺さんは違う。許すとか許さないという次元の話ではない、眞賀 孝哉という人間を理解している。眞賀 孝哉という人間/人物像を理解している人達(爺さんや菊池)にとっては打算で撮ったのではない、見殺しにしたのではないという事は分かっている。責めるのは孝哉という人間を知らない無関係な(血縁、遺族の意ではない)人達である…、
という現代社会の、無関係な人間が・詳しい事は何も知らない人間が寄ってたかってバッシングするという風潮に対する社会批判もあるのかなと、感じたのですが…どうじゃろ?ホントのところは制作スタッフに聞かないと分からんが。。。
)

 


と、ここまで述べてきた様に、東北の震災を安易に扱った事だけがネックとなっているのですよ。
ホントそこさえなければ…「良」評価間違いなしな作品だったのに…。

 

 

 

あと、細かい所でもう1点気になるのが、終盤の商店街の面々がスポンサーになるお話について。
孝哉のバッシング騒動の事を知ってスポンサーが降りた(スポンサーには黙っていたがバレた)経緯があったのだから、けじめ、仁義としてスポンサーになってくれる商店街の連中にもきちんとその事(バッシング騒動の事)を最初から話せよ、了承の上でスポンサーになってもらえよ、と思ったのですが話さないまま…。
いや、カンパみたいなもんで正式にスポンサーという事ではないのかな?車体に店の名前を入れないのであれば(店が)バッシングの対象、炎上騒動には発展しないだろうから良いのかなと考えていたけど、スポンサー名入れてるじゃん…、だったら話さなきゃダメでしょ、とちょっと気になったのでした。

 

 

他に、もう1点。

悠の「孝哉」呼び。年上の大人相手に名前呼び捨てって…。二人が旧知の仲(悠が小さい頃からの知り合いで昔から「孝哉」呼びとか)だったらまだ許せるというか納得があるのですが…、二人は最近出逢ったばかりで悠も高校生で常識をわきまえてるはず(幼稚園生や小学生でもあるまいし)であろうに「孝哉」呼びに納得がないのよね。

 

 

 

作画も丁寧、背景も文句なく綺麗で、脚本・構成も唸るほど巧くて…ホントただ1点、打算で必然性なく東北の震災さえ絡ませなければ…というのが残念ではありますね。
悠(春永と徳丸)のレースの行方(レーサーとしての今後)、
孝哉とさえちゃんの関係、
春永とヒロイン娘ちゃんと錮太郎の関係、
など期待と想像が膨らむので2期があるなら楽しみに待ちたい作品。

 


作品の評価としては、限りなく「良」寄りの可もなく不可もなくとなります。
(安易な震災扱いがなかったら間違いなく「良」評価作品でした)

 


以上