アニメ「治癒魔法の間違った使い方」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「治癒魔法の間違った使い方」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


異世界転移・転送もの作品だけど最強系主人公ではない…のだけど、う~ん色々と納得がない点がある。。。

 

まず、主人公の魔法の属性が治癒というところまでは良いのですが、修行を経て勇者以上に活躍・強くなってるみたいな描き方に納得がない。
主人公は勇者二人(生徒会長、副会長)と比べて何か特別な能力を持ってたりしたの?

 

いやね、これは例えば生徒会長や副会長の属性が治癒だったとして主人公が受けた修行と同じものを熟した場合、同じ強さ(もしくは元のスペックの違いから主人公以上の強さ)になるということなの?
それとも主人公だからこそ得られた強さなのか、その辺りの説明/設定・描写がないから疑問のままモヤモヤが残り納得がないと感じてしまうのですよね。
元々のスペックの高さや責任感の強さからも生徒会長や副会長が治癒魔法を覚えていたら主人公より強くなってたんじゃないの?と疑問なのですよ。

 

主人公だからこそなし得た/獲得できた強さだという何か納得を示して欲しいのですよね…見返してやる・負けん気という精神/根性だけだったのかな?
(まぁ副会長の場合は性格的にその理不尽な仕打ち・修行にへそを曲げてしまうかもですが…)

生徒会長、副会長の勇者二人と違い凡人主人公が「主人公」である意味を納得を持って物語作品を作って欲しいのだと思う訳なのですよ。

 

 

 

次に、救命団の団長の強さについて。
いや、そんだけ強いんだったら勇者いらんやん…。わざわざ召喚した勇者が現地人に劣るんだったら召喚する意味ないやん…。
おそらく今のところ作中最強なんじゃないの?召喚勇者にしか出来ない何かを設定しないと(納得を作らないと)異世界転移・転送モノの意味がなくなるよ。

 

異世界転移・転送ものではない普通のファンタジーものとして、治癒の属性を持った主人公が団長と出会う物語だとしても充分成り立つ話だと感じる…。
まぁ召喚者としての特殊性がないのだったら団長の下位互換でしかない主人公は「主人公」として意味がないとは感じますがね。

 

 

団長の強さが突然変異的に現れたバケモノではないのだとしたら/努力、研鑽の末に誰でも辿り着く可能性があるものだとしたら勇者召喚なんかせず現地人を鍛え上げて団長クラスを10人でも育成すれば魔族なんか楽勝じゃないの?と思う。

 

 

 

で、続いてタイトル詐欺問題。
なんかわざわざタイトルで強調するほど間違った治癒魔法を使ってない気がする。
殴りながら治すみたいなことらしいけど…(その「間違った使い方」の意味も終盤でちょろっと説明される程度)、、、治してるのなら間違ってないじゃんとは思うのよね。
いや、俺がタイトルを見て想像したのは「ダイの大冒険」のマホイミ・閃華裂光拳の様な使い方を想像したのですよね。

それが…、治し過ぎて腐らせるくらいのことを想像してたのに…普通に治してるだけって。。。
というタイトル詐欺と感じたお話。

 

 


努力してコツコツ少しずつ強くなっていく主人公というのは好感は持てるのだけど…、、、

なんかこう「なろう系」(異世界転生・転移・転送系の最強系主人公もの)でたまに努力してその結果強くなるみたいな主人公の話があるけどさぁ、いやいやいや現地人も努力してるでしょ。
その中でなぜ主人公だけが特別強くなれたのかそこに「納得」が要るのですよね(例えば努力という概念が存在しない世界観設定で主人公だけが努力研鑽して強くなるというのなら納得があると感じるけど)。

 

努力・根性が主人公の強さの理由だというのであれば、主人公と同じだけ努力した現地人は同じ強さを得るはずで、そんな現地人が10人100人居れば主人公が「主人公」である意味がなくなるのですよね。
バトル/戦闘を描く、強さ設定を描くのであればしっかり納得を作って欲しいと感じるわ。

 

 


色々と書きましたが酷く貶めすほどではないので
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上