アニメ「さらざんまい」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「さらざんまい」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


第1話のOPクレジットを観ていてこのアニメが「幾原邦彦」作品だという事を知り、
これは気を引き締めて観ないといけないぞ、と居住まいを正して臨みました。

が、やはり「幾原邦彦」作品…、主人公達がいきなりカッパになって歌い出し(「さらざんまいのうた」というらしい)、敵キャラと思わしき警官二人は歌いながらダンスを始めます(「カワウソイヤァ」というらしい)。
そして観念的なバトルとその決着…この訳の分からなさ感で視聴者を置いてけぼりにする感じ…あぁ「幾原邦彦」作品だなぁと感じます。

 

また、この急に放り込まれる歌シーンはほぼ毎回流れるのですがバンクではなく、「さらざんまいのうた」では歌詞、メインボーカルが…、「カワウソイヤァ」ではダンスの映像がマイナーチェンジしていき毎回毎回観てて飽きません。
ヤバいね、変な中毒性がある幾原ワールドに引きずり込まれてるよ…。

 

そして、主人公達の設定もヤバいね。弟のため、親友のため、兄のために常軌を逸した行動を起こす主人公達…。
しかし、色々とヤバいはヤバいのですが、第1話で感じた訳の分からなさ感は物語を観進めていくとフォーマットも分かり段々と話の内容は理解できていきます。
幾原作品のこれまでの「輪るピングドラム」や「ユリ熊嵐」に比べると全然分り易い造りとなっているのです。
なんだろうね、シリーズ構成で連名になってる内海照子さんて方の尽力かね?

 

「何でも願いをかなえてくれる」希望の皿という主人公達の目的となる物(作品の方向性)が示されますが、それを手に入れてみんなハッピーエンドという様な簡単な話ではなく、
つながりを失う事・喪失を恐れる者達の物語は、一度つながりを失ってもなお再びつながりを求める物語へと終着していきます。


主人公の一人である一稀の弟の足の一生もののケガの設定や主人公の一人・悠(とおい)の過去や兄の設定などはちょっと重すぎるのでは?と最初感じましたが、
「喪失」の後に再び「つながり」を求める欲望・その強さを表すためには重い「喪失」の方がより効果的に作用するんですね…、と納得しました。


幾原作品「さらざんまい」を100%理解したとはまだ言えないのですが、その独特の世界観、表現、テーマは充分に面白く感じる事が出来たつもりです。
まぁ「ウテナ」以来の幾原ファンなので少々甘めかもしれませんが、作品の評価としては「良」作品となります。

 

(幾原作品では「エレベーター」(or階段)がバトルフィールドだったり違う世界だったりをつなぐ装置になっているのが共通している(多い)気がしますね…。扉が開いたらそこは別世界というイメージなんでしょうね、幾原監督の原風景を感じるようでなんか面白いです)


あと、映像に関して語ると、
モブを記号的に描く映像を観て「シャフト」演出を思い出したのですが、調べてみると今作のチーフディレクターの「武内宣之」さんて方がシャフト作品に関係してるみたいですね。

…しかし、「シャフト・新房演出」はモブだけではなく背景も記号的に描き、さらにキャラクターを止め画・構図で見せる事が多くて(同じキャラの画・構図で数秒止まってる)アニメーションしていないのがやはり好きになれない演出なんですよね…。

翻って、この作品(武内宣之演出)は記号的なモブ以外は普通にしっかりとアニメーションしていて「シャフト・新房演出」と違い好感が持てるのですよ。
(別に「シャフト・新房演出」全てを否定している訳ではないのです…作品に合った演出を採っていれば良いのですが、作者、ジャンル、作風が違うにもかかわらず全ての作品で同じ演出を採るのが嫌いなのです)

 

少し話が逸れましたが、独特な幾原ワールドと武内演出の相性は良いのではないでしょうか(ウテナからの付き合いの様ですし…)。

 

以上