アニメ「ワールドダイスター」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「ワールドダイスター」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


なんかキービジュアルから勝手に、もしかしたら「シャインポスト」の様な名作かも知れない、と最初は期待していました。
しかし、それが観ていく内に段々とあぁこれダメな奴だ…と失望していきましたとさ。。。

 


ダメな奴のパターンって、設定に納得がないパターン、お話の展開・キャラの言動に納得がないパターン等があるのですが、今作は両方のパターンでダメですね。

 

 

まず、設定に納得がない点について。

青髪の娘は主人公のイマジナリーフレンドだと思ってた(最初はスターに未練がある幽霊的な存在かもしくはイマジナリーフレンドかどちらだろうと悩んでた)のだけど…、
それが3話か4話くらいで周りの皆にも見えるようになる、ってなんだよそれ…。。。「センス」とかいってそういう能力がある人間が居るみたいな話を急にされて「え?」ともう見続けるのが馬鹿らしくなったよ。。。

 

周りの連中もアッサリそれを受け入れてさぁ…、おかしいだろ?オカルトをオカルトとして扱えよ、すんなりと当たり前の様に受け入れるなよ、そんな世界観受け付けないよ、
いやいや、そういう系の話なら第1話からその方向性を示しておけよ…演劇物だと思って観ていた自分がアホみたいに思えてきたのだよ…本当イラっとする構成ね。

 

 

いやね、お話の構成として、

主人公の本当の(生きて存在している)友達と思える・感じられるほどのリアル感を作り出す主人公のイマジナリーフレンド(青髮娘)…、その主人公の強い想像力が芝居に繋がる、、、そういう話だと考えてたから主人公以外の皆にも見えだしてホントビックリよというか意味分からん!ってなったね。
そんなオカルトが当たり前に存在する・受け入れられる世界観であるのならば「センス」というオカルトを最初からしっかり示しておけよ…、本当ダメな世界観設定・構成よね。

 

 

 

で、次がお話の展開、キャラの言動に納得がない点。

第2話か第3話かでのオーディションでの話。
イマジナリーフレンドの青髪娘と演技プランを立てて練習していたのにオーディション当日それをやめて結果オーディションに落ちるという展開なのですが、その主人公の行動に納得がない。
それまでの青髪娘との練習やそれにより得られた手応え/成果より当日の主人公の迷い/悩み/不安の方が勝っていたという事なのかもしれませんが、その表現・描写が足りてないから納得が感じられないのです。
しかし、まぁそこは一旦飲み込んだとしても…、第6話での主人公が主演となる公演においても青髪娘の言う事を聞かずに失敗する主人公という展開が描かれます。
ここもやはり主人公の行動に納得がないのよね…、その展開・行動に納得のあれば良いけど全く納得がなく、しかも第2話、第6話と同じ様な失敗を繰り返す…、反省してない、成長してない主人公というのが見せられる、、、
ダメじゃんこの主人公のキャラ(性格)、と感じるし前の話(失敗)が活きていないと感じるお話の構成もダメじゃんとなる訳ですよ…、ホント下手よね。

 

失敗や挫折を経験させる(そこからの成長)という展開ありきでお話を構成しているからこういう事になるのよね…。問題提起するなら主人公がなぜ・何を考えてそういう行動をしているのかという納得(納得できる思考のプロセス)を示せよ…。
第6話を例に挙げて言えば主人公は自分の行動の結果(主演なのにサポートに徹するという演技)が何をもたらすのか分かっていなかった自覚していなかった様なのですが…、普通の思考ならあるはずの当たり前がない・納得がないキャラの考え/言動…、、、キャラ軽視のお話/展開ありきの作りダメなのですよ。
いやいや普通の少年少女の思考能力があれば分かるでしょ(幼児だったら分からないかもですが…主人公は幼児ではないですよね?)、それが分からない主人公のキャラの言動に納得がないのですよ。

 


タカヒロ原案の作品ってこんなもんなのかもね。なんかもうこのタカヒロ原案には悪いイメージしかないのよね。
まどマギ」が流行った後に「まどマギ」に似た「結城友奈は勇者である」を出した頃からもう俺の中のイメージ悪いのよね…クリエイターとして恥ずかしくないのか、と。
そして今作「ワールドダイスター」は演劇物+オカルト・ファンタジー要素という、これはもしかして「推しの子」からの着想なのか?
ホント尻馬に乗るの好きよね…(まぁ「推しの子」着想は邪推が過ぎるかもしれませんが)、流行りに乗る事でしか作品を創れないのか…。

 


まぁともかく演劇物と思って観ていたのにオカルト・ファンタジー要素を出してきた事、キャラの言動、お話の構成が全くできていない事などかなり残念な作品でしたよ。
(いやね、別に着想を得る事自体は良いと思うのですが、それなら元の作品より面白くしろよ、と。劣化模倣品を創られてもねぇ…(俺だったらココをこう変えてさらに面白くするぜという気概で制作をして欲しいわ))

 

 


あと問題だと感じる点は、お話の構成・キャラの魅せ方に関係する部分なのですが、

ガラスの仮面」や「アクタージュ」と違い、劇中劇の展開が気にならない・興味が惹かれない・どういう展開になるのだろうというドキドキワクワク感がないのですよね。
ガラスの仮面」や「アクタージュ」での劇中劇の展開はキャラクターの魅せ方の巧さと相まって、劇中劇での次の展開がどうなるのかというのも観てて面白いと感じるのだけど、今作「ワールドダイスター」では(ついでに言えば「推しの子」も)劇中劇そのものの展開に全く興味を惹かれないのよね…。
(ホント「ガラスの仮面」の奇跡の人や二人の王女なんかは劇中劇そのものの展開にも夢中になったからね)
まぁ「本物」の演劇物と「偽物」の違いよね。

 

 


そしてこれは言っても詮ない事なのですが、演劇や歌での「天才」設定は実際の映像・音では表現が難しいですよね…という問題。
天才・北島マヤや夜凪景を誰かが演じるの無理というお話。
「漫画」での表現であれば読者個人個人が脳内で想像して・補完して「天才の演技・歌声」を作り出す事が出来るのですが、実際の映像・音で表現してしまうと、「え?これが天才の演技?歌声?」と確実に読者個人個人の想像より下回る物になってしまうのですよね。
(この辺りは以前「アクタージュ」の感想でも書きましたが)

 

まぁこの作品は別に漫画原作があるという訳ではないようですがそれでも下手にハードル上げて「天才」みたいな設定を盛ったらダメよね。

 

またこれは演出・見せ方の問題となりますが、「天才」を「演者の技量」で見せようとする表現は悪手よね…。
「え?これが天才の演技?」とどうしても視聴者との乖離が生じてしまうし、あからさまに演技の差で表現しようとすると他/周りをわざと下手に演じさせるくらいしか方法がないと考えるのですよね…そんな事すると全体が低レベルになってしまう訳ですが。
なので「演者の技量」で見せるのではなく、こういうのは「観客の反応」で見せるべきなのですよね。
「観客」が声を上げて涙を流すくらいに感動して舞台を見ている・歌を聴いている画などで表現すべきなのですよね…、それは例えば「ミスター味っ子」の様に料理の美味さを表現するのに宇宙に飛んだりする作画・演出であったりのちょっとオーバーな・ちょっとトンデモな誇張表現として「演技そのもの・歌そのもの」ではなくイメージ・感覚でその「天才っぷり・凄さ」を示すべきだと考えるのですよね。

 

 

今作「ワールドダイスター」の芝居・舞台上の作画はすっごい力が入っている/めっちゃヌルヌル動くのですが、
上述した様な演出・見せ方の問題、そしてお話(劇中劇)自体に惹かれない事からなんか無駄にヌルヌル動くだけ、もったいないと感じる結果に終わったのですよねぇ、残念。

 

 

最終盤の展開も「…」、「お、おう」な感じでもうポーっと観てた・眺めていただけでしたよ。

元々一人だった二人(主人公とイマジナリーフレンド(青髮娘))が一人に戻り天才が爆誕したという、神様とピッコロが合体して神コロ様になりましたというお話が最終盤の構成だった訳ですが…、最後はまた二人に分裂しました、めでたしめでたしで終わりましたね。なにこれ?

 

 

ホント作画は良かっただけに原案(世界観設定、キャラクター、物語構成)がダメダメだったのがもったいない・残念な作品で
(お話・構成に重きを置く俺としては)
作品の評価としては、不可寄りの可もなく不可もなくとなります。

 

 

以上