アニメ「不滅のあなたへ(Season1)」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「不滅のあなたへ(Season1)」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 

聲の形」と同じ作者の作品。
不滅のあなたへ」を観て改めて思ったけど俺は大今作品好きくないわ。
聲の形」が評価されてたり今作「不滅のあなたへ」もアニメ化するという事はそれなりの人気があるという事なのだろうけど、なぜこの作者の作品が持て囃されてるのかちょっと俺には分からないのよね…。

 

 

で、「不滅のあなたへ」の問題点について。

泣ける・悲しみのエピソード、感動させるためのエピソードを創るために安易にキャラの死を持ってくるのは好きくないのですが(「「聲の形」の感想でも同じ事を述べましたが)、今作「不滅のあなたへ」においては『死』がキーとなっている・主人公の成長・刺激のトリガーとなっているので(また導入・設定という側面もあるので)そこはまぁ否定・減点評価対象とはしませんよ。

 

しかし、悲しみ・泣かせエピソードのため(建前は主人公の成長・刺激のためですが)に「死」という(安易な)展開を持ってくる事は上述した様になんとか目を瞑りますが、そのエピソードの要素に「子供」ばかりを絡ませるのが好きくないというかこの作者のダメな所・問題点なのですよ。

 

一番最初の「少年編(オオカミ編)」はね、まぁ初っ端だし特に思うところはなかったのですが、しかし次の「マーチ編」でまた子供の「死」を持ってくる…。
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そしてそのマーチの死へつなげる展開にも納得がない(「マーチ編」を早々に終わらせて次の章へ進める展開ありきで話が作られているためその流れに納得がない)のよね。。。
さらに述べると「マーチ編」の最序盤の展開についても納得がないのですよね。それは主人公とマーチの初対面シーン…、マーチの呼びかけにも無関心(人という存在に無関心)という様子が描かれますが、その描き方で良いの?「少年編」でのオオカミ姿の主人公は少年と共に過ごす時間の中でなにか刺激を受ける物があったんじゃないの?主人公が少年の思いを引き継いで?という事なのか分かりませんが主人公が雪原を後にしたのは(雪原に留まらず刺激を求めて外に出たのは)少年が人里/人を求めたのを倣っての事ではないのかね?そうでないとしたら「少年編」の主人公(オオカミ姿)は少年との出会い・共に過ごした時間から何を学んだ・刺激を得たんだろうね?、
人との触れ合いで何か得る物があると学んだのではないのかね、よう分からん。

 

さらにさらに述べるなら「少年編」の少年の状況が分からん。少年とばあさん数人を残してほとんどの村人が新たな大地を目指して村を後にして探索に出た様なのですが…、どういう状況なのだろうね?
その雪原に集落が出来ていたって事は長年その土地で暮らしてきてたんだよね?別に少年や村人達は主人公と一緒に急にその雪原に降って湧いたわけじゃないのよね?あの厳しい雪原の環境下でも集落を形成出来ていたのよね?
それが何故急に村を出て探索しないといけなくなったのか(なぜ生活が立ち行かなくなったのか)その説明が全くないのが納得がない…なんなの?急な気候変動でもあったという設定なのかね?しかし以降の「マーチ編」や「グーグー編」を観ても世界規模の気候大変動が起きた様な設定は見受けられなかったけど…と納得がないのですよ。
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白猫プロジェクトZERO CHRONICLE ~感想」や「甲鉄城のカバネリ ~感想」でも語っている事ですが、『年端も行かない子供を殺す作品、そのシーンを描く作品』が俺は嫌いです。そのシーンがどうしても必要・必須/物語の核となる、というのならばなんとかまぁ許容しますが、物語構成的に特に深い意味はなくただ単に悲惨さ・悲しみ・憎悪・怒りを増幅させるためだけの一要素として組み込んでいる様な脚本、作品が俺は好かんのです。

 

どうしても年端も行かない子供が死ぬシーンを描きたい・描く必要があるのであれば結果だけを描く、または村全体が滅ぼされました…結果、村に居る大人も子供もみんな息絶えましたという直接的な表現を避ければまだ良い・許せるのですが、先に挙げた「白猫プロジェクト~」や「~カバネリ」は敢えてそのシーンを直接的に描いているのですよね…それも物語構成上特に必須ではない展開なのに…ね。。。だから俺は先述の2作品の評価は「不可」評価でそんな納得のないイライラする胸糞悪いお話を書く脚本家は俺の中のブラックリスト入りとなっているのですよね。

 


しかしまぁ「マーチ編」まではまだ序盤だからと何とか我慢しましたが、後の「グーグー編」でも「トナリ編」でも年端も行かない子供が死ぬ展開(しかもお話の流れに必然性を感じない・納得がない・…やっすい悲しみエピソードのため死の展開)で辟易するのです、、、はぁ…「聲の形」からだけどやっぱこの作者の描くお話は納得がなくイライラするわ、胸糞悪いわ、嫌いだわぁ。。。

 


せめて「グーグー編」で幸せな結末を描いてればまだ印象が変わったかも…なのですが。
いやね、俺が「グーグー編」で期待していたのは、
「同じ場所に長く留まるな」という観察者に対し主人公が「グーグーと一緒に居たい」と言い、観察者「ならばそれも良かろう」的な話の流れから、グーグーと共に長い年月を過ごしグーグーが老衰しどうしようもない別れが訪れる、そこで強い刺激を得るみたいな話を期待していたのですが(まぁグーグー編の中でそのまま年月が過ぎれば酒じいやピオランの老衰の方が早く訪れますがね)、そんな展開にはならずあっさり終わるんですよね…。
(そしてまたグーグーのあの最期にも納得がないのよ、、、別にリーンとの最期の会話/やり取りのシーンは悪くないと思うけどグーグーが死に至った状況が分からんのよね…。
グーグーだけが死んでリーンが無事という事は圧死した訳ではないだろうし、そんな訳分らん状況で命を落とすよりノッカ―との初戦の方がよっぽど命の危険があり死の展開に納得できたわ、と感じるのです(ノッカ―との2戦目ではグーグーの死の危険を強くは感じない)。

 

(で、老衰による別れはピオランで果たされる事になるのですがね)
年端も行かない少年少女を殺す様な話ばかり描くのではなく幸せな時間過ごしましたというお話も描けば良いのに(主人公にはおそらく寿命はないと思うのだけど、そんな主人公の時間の60年~70年の間くらい幸せな時間を描けばよいのに)、なぜ殺したがるんだろうねこの作者は…。。。

 


で、その後の「トナリ編」も納得がない展開。
管理する役人も居ない罪人島がどう成り立ってるのかよう分からんのだけどこの作者の考えてる設定について深く考えるだけ無駄かな…。
まぁその設定問題よりもマーチ編で登場したハヤセというキャラが無理やりみたいに絡んでくる展開が萎えたね。あとパロナの話(最期)も物語的必然性を感じずただただ胸糞悪いだけでしたからね。
パロナの最期を描く事が今後の物語展開上どうしても必須というのなら許容しますが、悲しみ・憎悪・怒りを増幅させるだけのアイテムとしてだけの描かれ方になっているから納得がない・イライラするんですよね。
ホントこの作者ダメだなぁ。

 


あとは細かい所で気になった・納得のない点。
「グーグー編」で酒じいやピオランが主人公を見世物にしようと話しているのをグーグーが主人公に寄り添う形で「酷い、見世物にするな」と止めるのですが、
そんなグーグーが痛み・刺激を与えると主人公が色々と産み出せる様になる事を発見し、主人公を包丁で切ったり火で焼いたりするのですが、その行動に先の主人公に寄り添っていたはずのグーグーとの言動のちぐはぐさを感じるのです。
どういう事なの?作者はどういうつもりで描いてんだろ、と納得がないのです。


他には、ノッカ―の出現頻度の設定がよう分からんね。作者は多分なんも深く考えてないんじゃないかな?
「マーチ編」の終わりに1回登場、
「グーグー編」の序盤に登場(1回目)、そして4年後に再登場(2回目)、
「トナリ編」で1回登場
とノッカ―は出現していますが、
観察者によると一度やられると学習してさら強くなるみたいな話だったので、

ノッカ―の自己強化のための期間が長く空くか、
学習を繰り返す事によってスパンが短くなるのかと俺は考えていたのですが、
ノッカ―が一度やられて再出現する「マーチ編」と「グーグー編」の間の期間てそんなに長くはないはずなんですよね。
そしてその次は4年間空いた後の出現、その後はまた「グーグー編」と「トナリ編」の間の長くはないスパンでの出現、と
再出現の度にスパンが長くなるわけでも短くなるわけでもない、よく分からん間隔になっているんですよね。
まぁ納得のない設定・お話ばかりを作る作者の事だからなんも深く考えてないんだと思うんですけどね。

 


他にもまだあったと思うけど忘れちゃったわ(数多いのと、イライラしながら観てたからかあんま覚えてないかな)。

 


作品の評価としては、納得できない設定・構成/展開でイライラしながら観てたので
「不可」評価を付けたいのですが、まだ第2シーズンも残っているので一応はまだ「不可」は付けないでおこうと思います。
まぁこのままいけば確実に「不可」評価となる作品ですがね。

 


暫定評価として限りなく「不可」寄りの可もなく不可もなくとなります。


以上