劇場版アニメ「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」 ~感想

配信されていた劇場アニメ「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観ました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


「~ビューティフル・ドリーマー」は名作だ傑作だ(と共に異色作問題作との評価もありますが)と名高い作品であり当然以前から認識はしていたのですがビデオ屋でレンタルしてまで観ようとは考えていなかったのですよね。
(近年の作品においても未視聴の物がある中で)当該作がちょっと古い作品であること、また俺が個人的に押井守に思う所があるのもあってなかなか手を出せずにいたのですが…、つい最近配信解禁となり手軽に観れる様になったということで鑑賞してみようかと。

 

一応断っておくと、テレビ版(旧版)は多分全話観ました…なんか昔NHK-BSで土曜朝から「うる星やつら」の再放送やってたのでそれで観てたのですよね。
(最終回どんなだったか覚えてない、というか細かいエピソードなんかほぼほぼ覚えていない、こんな登場人物いたなぁくらいしか思い出せないや…同時間帯に「プラネテス」がやってた頃だから20年くらい前か、そりゃ覚えてない訳だわ)

 

 

で、作品の内容についての感想ですが…、やはり俺は押井守が苦手、好きくないと感じましたね。
なんか小難しい感じの物語というか気取ったというか意識高い系のその作風が嫌なのよね。

 


不朽の名作だ何だと散々もて囃されてた今作「~ビューティフル・ドリーマー」を今回初めて観たのですが(いつか観ようと思っていたので前情報は一切入れずに)…、、、なんだろ?観たけど…何がそれほど評価・賞賛されているのか分からんかったというのが正直な感想。

 


ループ物の元祖だから?画や演出が凄い/斬新だから評価されてる?
まぁ劇場公開【当時】リアルタイムで「うる星やつら」を観ていればまた感想も違ったのかも知れませんが、【今】現代の俺が観て「ループ物のストーリーがスゴイ」とも思わないし「作画・演出が斬新でスゴイ」とも思わない、のですよね。

 


これは俺が他の作品感想の中で何度も語っていることですが、俺が作品の中で重きを置いているのはまず第一に「物語展開/ストーリー構成」なのですよね。
次いで「キャラクター」かな。「世界観」設定なんかもここら辺りかな。「作画、演出」はその次くらいかな、「音楽/BGM」も同じくらいの位置ですね。

そんな感じで「作画・演出」は二の次三の次なのですよね。

 


そして、俺が真に面白いと思う作品/俺の中で「優」評価となり得る作品/真のエンタメと感じる作品は「何度読んでも(観ても)面白い作品」、「たとえ物語の先の展開が分かっていたとしても・何度観ても楽しめる作品」なのですよね。
そのために重要なのはやはり「物語展開/ストーリー構成」…キャラクターと絡めたドラマ造り、山と谷、緩急、読者(視聴者)の心を掴み揺さぶる様な展開の構成が必要なのですよね。

 

「ループ」という事象、そしてその謎・原因が少しずつ明らかになっていくというミステリー・サスペンス要素だけでは「何度読んでも/観ても面白い作品」には決してなり得ないのですよね。
…それは、「推理物」作品を何度も繰り返し観ようと思わない様に。。。
もし犯人やトリックが分かった上で同じ「推理物」作品を何度も観て楽しめる人が居るとしたら、それは「犯人やトリック」を物語作品の核としては見ていなくてきっと登場人物/キャラクターを観て楽しんでいるのだと考えます。

 


押井守の脚本/ストーリーはなんか小難しくこねくり回しているだけでストーリー自体に大きな起伏がないというか観ていてドキドキ・ワクワクする様な展開がないので、何度も観よう・観たいと思わないのですよね。

 


これは2021年 押井守監督(総監督)作品「ぶらどらぶ ~感想」で述べたことを繰り返しますが、俺の中の考えで監督には
「映像、演出面にセンスのある監督」…画(え)監督

「話の構成、脚本にセンスのある監督」…話(わ)監督
の2種類あり押井守は画監督と考えています。

 

画監督は「魅せたい画」というイメージというものがあり、そこへ持って行くためのストーリ造りの巧さも【基本的には】兼ね備えているのですが…、押井守は上述した「基本的には」に入らない人、でありストーリー構成、キャラ造りが巧くないのですよね。
だから俺は押井作品は何度も繰り返し観ようとは思わないのですよ。
(細田守なんかも押井守と同じタイプだと考える…「時かけ」は細田守作品で唯一の例外ですが)

 

例えば、ジブリ宮崎駿監督は「魅せたい画」というイメージがあり、そこ(魅せ場・盛り上がりどころ、ドラマの山)へ持って行くためのストーリ構成、キャラ造り/魅せ方・絡ませ方も巧い監督ですよね。
だからラピュタナウシカは何度観ても面白いし、たとえ物語の先の展開が分かっていたとしても・何度観ても楽しめる作品となっているのですよね。

 

 

今回初めて「~ビューティフル・ドリーマー」を観ましたがなぜ評価されているのか分からない、納得のない作品でしたね。
本当に純粋に押井作品として評価されてるの?「うる星やつら」のファンが観に行かなかったら…うる星やつらのキャラが居なかったら…うる星やつらの映画としてでなかったらならば見向きもされてない/評価されてないだろ(少なくとも今と同じ評価はされてないだろ)と俺個人的には感じたのでした。
テレビアニメのドタバタ感はあって面白く(笑えるの意)はあったのですが、なんか…「うる星~」のキャラ(高橋留美子の作ったキャラ)に甘えてるだけだろ…、ストーリー自体はさほど面白くない…何度も繰り返し観ようとは思わない作品だったのですよね。。。

 

 

 

あと、作品の内容外について…、問題作と言われる所以というか原作・高橋留美子さんが今作「~ビューティフル・ドリーマー」についてあまり良い感情をお持ちでないというお話について。

 

世代がずれているの原作漫画は未読なのですがアニメで観る限り俺が感じるラムの性格というのは(同じ高橋留美子原作の俺世代の漫画「らんま」で言うなら)シャンプーに近い性格だと考えています。
(まぁシャンプーはライバルに対してラムよりちょっと過激・攻撃的ではありますが)
なので今作「~ビューティフル・ドリーマー」で描かれたラムに違和感を感じる…ラム(シャンプー)は『みんな』で仲良くというよりもあたる(乱馬)に振り向いて欲しい・独占したい、という思いの方が強いはず。
そこで乖離を感じるのですよね。

 

おそらく押井守はこの乖離を意識的に描いていて、押井守が今作「~ビューティフル・ドリーマー」で描きたかったのは、【原作者の手を離れて作りたかった、『みんな』でワイワイガヤガヤ楽しく作りたかった…作中の『みんな』(メガネや面堂、あたる…他)は押井守はじめ制作スタッフであり(この映画作品/物語から一番最初に退場させられたのは実は錯乱坊ではなく原作者高橋留美子さんでありあの物語世界を下支えする存在になっていた、もしくはあの亀そのものが高橋留美子さんだったのかも知れない…)、オリジナル、作家性を出したいという思いから制作されたのが本作なのだろうというのが俺の解釈となります。

 

『みんなで楽しくやりたい(押井守はじめ制作スタッフで自由に楽しくやりたい)』という押井の気持ち…原作・高橋留美子を無視した思い、、、もしかしたらそこを感じ取られて高橋留美子さんとひと悶着あったのかなと想像します。

 

俺としては(他の感想・コラム)でも述べていますが原作尊重派なのでやりたいのならオリジナル原作でやれ、人様の原作をお借りしておいて何やってんだ、何言ってんだと感じるのですがね。。。

 

 

 

と、何度も繰り返し観ようと思わせる様なストーリー構成が出来ていない点や独り善がりな設定・構造とやはり好きくない監督でしたね。
名作だ傑作だと期待値/ハードルが上がっていただけに肩透かしというか何故それほど評価されているのかと納得がない部分もありましたが、酷く貶めすほどではないので
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 


以上