アニメ「黒の召喚士」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「黒の召喚士」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


なろう系の異世界転生最強系主人公物作品。
「召喚士という職業」と「転生前の記憶と引き換えに転生時のボーナスを増強している」という点で他作品との差別化を図っているのかな?

まぁ、なろう系作品の中ではまだマシな方という感想。
決してプラス評価になる様なポイントがある訳ではなく、他の多くのなろう系作品の出来が結構ひどい有様のため相対的に良く感じられるというだけです。


まず、主人公の強さがよう分からん、強さ設定に納得がない。
スキルポイント倍化の特性を得ている様ですが、それって別に成長の度合いが早いというだけで他者を圧倒できる・無双できる様な強さの設定になっていないのよね…。
また、主人公は召喚士という職業ですがラストバトルでの戦いっぷりを観ていると後衛・サポートという役割には思えず前衛で物理でガンガンに戦っているんですよね…、召喚士って職業意味あんの?
なんか他の作品との差別化のために無理やり付けた職業、みたいな申し訳程度の設定でしかない様に感じるのよね。

強さ設定に納得がないからラストバトルもなぜ主人公が勝ったのかよう分からんのよね、納得がない。
作者の中で明確な強さ設定、強さの数値化が出来ていないのでしょうね(もしくはそれを上手に表現できていない)。
別にその数値を表に出さなくとも良いのです、裏でしっかり作者が設定を持っていさえすれば良いのです。
そう、自分の中でしっかりと納得を作るために裏設定として持っていれば良いのです。。。

 

しかし、多くのなろう系最強系主人公物作品では作者によるしっかりとした強さ設定・強さの数値が出来ていないんですよね。
いやね、この作品(に限らず他の多くのなろう系作品)でも「レベル」というメタ設定は出てきますが、それがしっかりとした強さ設定につながっていないんですよね。
例えば、レベル差が10以上あればちょっとやそっとでは覆せない強さの隔たりがある、という設定説明でもあれば多少は納得も生まれるのですが特にそういう説明もないのです。

それになにより「レベル」というメタ設定を主人公や他の登場人物達も他者のステータスを「確認」できるという設定がダサい、というか受け入れられないんですよね。
「レベル」というメタ設定は「ファンタジー世界」の設定ではなく「ゲームの世界」の設定なのよね、どう考えても…。
いくら魔法という不思議な力が存在する様な世界観であっても経験値という数値やスキルポイント、レベル、そしてそれらが表示されるコンソールなんて
「ファンタジー世界」の設定ではなく「ゲームの世界」なんですよ(スキル/特性としてスキルポイント倍化や経験値倍化、経験値共有があるという事は敵を倒した時の経験値が設定されていて
経験値が一定量貯まるとレベルアップしてスキルポイントが得られる、という設定ってファンタジーの世界観ではなくゲームの世界観設定になってしまうのですよね)、というお話。


そういう変な事(ファンタジー世界のはずがゲーム世界の様)になるから「レベル」なんていうメタ設定を主人公達が「確認」できる様な設定にしてはダメなのよ(裏設定で作者が持っているだけなら良いけど)。
作中で強さを表すなら例えばDBの戦闘力の様な例えばハンター×ハンターのオーラ総量の様な物で数値化で強さを表せば良いのですよ。
…「レベル」というメタ設定を表に出してくるような作品(今作含む)は軒並み強さ設定が出来ていないですね。
世界観がブレてしまうのにそこに気付かずメタ設定を盛り込む作者の作品に納得が生まれるわけありませんよね…。


あと他に気になった点といえば、転生者/転移者多過ぎ。
なんだ、この作品に登場する女神は地球と今作の舞台となる異世界の2つの世界しか管理していないのか?
もっと何百何千という世界(星)を管理してたら同時代に転生者/転移者が重ならない様に調整できると思うけど…、2星(2世界)しか管理してない、できない神なんだろうなあ。。。


と色々と気になるとこはありますが、酷く貶めすほどではないので
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 

以上

 

アニメ「シャインポスト」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「シャインポスト」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


これまで、アイマスシリーズ、ラブライブシリーズ、アイカツシリーズからゴクドルズや神クズ☆アイドルの様なギャグ・コメディ枠のアイドル物まで、他にも色々な数多くのアイドル物アニメを観てきましたが、今作「シャインポスト」は今まで観たどの作品よりも断トツで面白いというかアイドル物作品で初めて面白いと感じた作品でしたね。


まず何よりキャラを5人に絞っているのが良い。下手にライバルキャラなども出さず主人公グループ5人に絞っているのが良いですね。
1クールでキャラをしっかり描こうと思ったら4~5人が限界ですよ。それをしっかり理解・認識した上でシリーズ構成がなされているのが良いのですよ。

 

序盤の主要キャラ3人(春、杏夏、理王)には基本的に一人につき2話ずつが割り当てられキャラの紹介、深掘りがしっかりなされている構成となっています。
お話的にもしっかりとキャラの魅力を深める見応えのある面白い内容となっており、他の多くのアイドル物アニメに見られる様な中身のないただ無駄に話数を消費するだけの当番回ではない、他のアイドル物作品とは一線を画す造りでした。


俺的には理王推しかなぁ、次点で杏夏も良いなぁという感じ…とアイドル物を観てて初めて推しを意識したくらいに面白い造りでしたよ。
(理王、杏夏が各々異なる理由で苦悩するのですが…、キャラを泣かせるエピソードはズルいねぇ、キャラクターの設定・見せ方、エピソードの構成も巧く納得のある造りで面白いお話でしたよ)

 

後半合流する二人については後発ゆえに主要3人に比べてちょっと深掘りエピソードが薄い感じで損しているんですよね、勿体ない。
やはり一人のキャラクターにつき2話ずつくらいはキャラ紹介・深掘りが欲しいよね…しかし5人でそれやってると主要メンバーエピソードだけで10話使ってしまう計算となり、残り2話or3話だけで話の本筋、クライマックスを盛り上げるというのは厳しいので後発二人については1エピソードずつになるのも止む無しかなとは感じますね。
(…雪音のキャラが微妙なので春、杏夏、理王、紅葉の4人メンバーの構成でも良かったかもしれない、と感じる)

 

いやぁ、しかしアイドル物で初めて面白いと感じた今作ですが、キャラクター設定、物語構成、見せ方がしっかりしてればたとえアイドル物でも面白くなるんだなと感心しましたよ。
クレジットで監督・及川 啓さんの名前を見たとき、あぁウマ娘の監督だと思ったのですが、ウマ娘で感じた監督のセンスは間違いなかったと改めて認識しましたよ。

 

ウマ娘の時も思ったけど、アニメ本編を面白く作ってくれたら(続きが気になるならゲームをやってねというつくりの作品ではなく、アニメはアニメで綺麗に纏まった作品づくりが出来ていれば)、自然とゲームにも興味出てくるよね。
アプリゲームほとんどやらないけどシャインポストはちょっとやってみたいと考えてる…良い販促になってると思いますよ。
(ゲーム配信時期は未定らしいので取り敢えずは補完する意味でも小説買おうかなと思ってます)

 


作品の評価としては、う~ん「良」評価か「限りなく良寄りの可もなく不可もなく」か悩ましい所…。
いやね、最終盤の展開でもうひと盛り上がりあればなぁ、と感じたのよね…そこでもうひと盛り上がりがあれば文句なく「良」評価だったんだけど…、
悩むという事は自分の中でもう一つ足りないと感じたのだろうから、、、最終的な評価としては限りなく「良」寄りの「可もなく不可もなく」とします。


以上

 

アニメ「はたらく魔王さま!!」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「はたらく魔王さま!!」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


先日上げたアニメ感想の「よう実2」に続き、なぜ今更2期なのかよう分からん作品パート2。。。

 

いやね、1期の序盤は「この作品面白いかも…」と感じたよ。
実際に俺は第1期第1話を観た後に原作小説を購入したくらいだからね。

 

で当時、第1期放送中に既刊原作小説を読み終わって原作既読の状態でアニメを視聴していたのですが、アニメ第1期では原作2巻分(1巻と2巻)しか使ってなかったのよね…(あとは短編集の番外編みたいなエピソードを挿入してたけど)。
いや、原作読んだ身としてはさぁ、絶対に原作3巻までの話を1期としてやるべきだったと感じたのよ。。。
短編集のエピソードまでつないで原作2巻までをなんとか1期(1クール)として放送してたけどさぁ、終盤の展開はどう見ても間延びしてたのよね(原作既読だったからこそ感じたのかもだけど)。
原作3巻のラストなんかは1クールの締めとして綺麗に纏まる感じだったので、俺がシリーズ構成、監督なら絶対に原作3巻までの内容でやるね…と感じたのよ。。。
まぁ上述した様な事から最終的な第1期の感想としては、監督・シリーズ構成のセンスのなさを感じた作品、という評価(可もなく不可もなく)だった訳です。
(もし仮に、原作者サイドから原作2巻までの内容で1クールを制作してくれという要望があったのならば「監督、シリーズ構成のセンスがない」評価は改めねばなりませんが…、そんな要望があったとは思えませんがね)

 


そんな評価だった作品の2期がなぜ今更…というのが正直な感想。

 

実は「よう実」にしても「はたらく魔王さま」にしてもアニメ2期の制作が決まる以前に、某動画サイトで「2期が待ち望まれてるアニメ」みたいな動画を見ていてその中に名前が挙がっていたのですが、個人的にはホントに人気あんの?俺は別に全然待ってないけど…って感じだったんですよね。
なんだろうね?この類の動画を見て、または第1期の円盤の売り上げ枚数や配信再生回数なんかを見て、これは第2期を作れば売れる!と
作品に対して大して思い入れ・情熱もない出資者が安易に制作を決めたのかもね、と感じられるのよね。

 

自分で原作を読んで面白いと思ったから・好きだから、どうしてもこの作品を制作したい、という熱い思いの様なものはなく、
自らの熱量ではなく再生回数や売上数だけを見て制作された結果が第2期のあの作画に現れてんじゃないの?と感じたのよさ。
(出資者としては「人気あるみたいだから最低限の作画・アニメーションでも売れるんじゃない?」という考えだったのかしらね?)

 


と、話が物語内容とは関係ない部分で語り過ぎたのでここら辺で止めておきます。


で、内容についてですが原作を読んでいるので特に語る事はないのですよね(一部、長野の田舎へ行く話は記憶にありませんでしたが)。
ちなみに全巻は読んでいません、二桁巻までは惰性で買って読んでたけど途中でリタイアしました。

 

リタイアした理由は、話の構成、設定の見せ方が上手くない、さらにキャラの言動に納得がない(特に勇者)、と巻を増す毎に後付け設定感や主要キャラの言動のちぐはぐ感が強くなり退屈になって行くんですよね…。
こういう所は作者が最初から物語構成、キャラクター設定をきっちり出来ているかどうかなんですよね。
作品を観る(読む)限りとても最初から綺麗に構成・設定されてるとは思えない…だからまぁ退屈に感じてしまうんですよね。。。

 

上記は原作小説についての感想ですが第2期の内容にも同じ事がいえます。回を増す毎に、色々と設定が明かされる度に後付け感、お話が綺麗に構成されてない感が強くなり退屈に感じるのよね。

…だからこそ、原作小説の展開を知っているからこそ感じる、なぜ今更?これからのお話の展開も退屈に感じるだけなのになぜ第2期が制作されるの感が強いのよ。

 

決して全くダメとかイライラするという事ではないけどまぁ…全体の感想として、退屈なのよね。


という事で作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。

 

スポンサー、プロデューサーにはも少し作品に情熱をもってかかわって欲しいね。

 

以上

アニメ「ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


2017年に「ようこそ実力至上主義の教室へ(第1期)」(以下「よう実1」)が放送されてから5年、なぜ今更2期が制作されたのか謎な作品。
2017年当時の放送も(よう実1)観てたけど大して記憶に残らない作品だったという印象。
事実、第2期の制作が決定したという記事を見たときも、へぇ~そういえばそんな作品あったなぁくらいだったのでなぜ今更2期が?という感じでした。
そして今作・第2期放送前に「よう実1」が再放送されていたので一応それも観たのですがやはり感想は変わらず…やっぱり別に大して面白くもないけどなぁ、なぜ今更2期作られるんだろ?と改めて疑問に感じたのでした。

 

で、今作・よう実2の内容についてですが(よう実1の感想も上げていなかったので一部よう実1の内容も含めて語ります)、
まずこの作品って「カイジ」や「ライアーゲーム」、「嘘喰い」の様な頭脳戦・心理戦物だと思って期待していたのですが…、頭脳戦・心理戦モノを読んで(観て)感じる「あーなるほど、頭良いなぁ」という事が起きないのよねこの作品は。。。

 

主人公やそのライバル達の発想、言動に利発さ・聡明さを感じないというかその発想力に感心したりする事がない/読者(視聴者)に主人公やそのライバル達の「頭の良さ」というものを納得させる程のモノがない・説得力がないのです。
アニメ「トモダチゲーム」 ~感想でも書いた事ですが、この作品で披露される主人公やライバル達の発想・言動は先に挙げたホンモノの頭脳戦・心理戦物作品に登場するモブキャラの発想の域を出ていないんですよね…。
これも「トモダチゲーム」感想で書いた事ですが、物語を盛り上げるための試験/競技の内容を考え出す事やそれを見事に攻略してみせ読者(視聴者)を感心させる様な物語を考える事が出来ない・考えるだけの能力がない作者はこういう系の作品創ろうとしちゃダメだよね、というお話。

 

さらに相手を黙らせるための手段としてちょこちょこ多用されるカメラ(ブラフ)や会話の録音といった展開…なんの驚き・新鮮味・面白味もないのよね、つまらん!!


また2期(よう実2)ではヒロインがC組ボスから悪魔の証明を仕掛けられ「ぐぬぬ…」となるのですが…、いやいやいやそこで「ぐぬぬ…」となるなよ、、、ヒロインも同じ事を仕掛け返せば良いだろ…叩けばいくらでもホコリが出てくるC組ボスの方が余程悪魔の証明を仕掛けられたら困るだろうに、と頭が良いと設定されているはずのヒロインのそのポンコツ思考に納得がないのです。

 

あと、これは「よう実1」の無人島試験編での事ですが、C組ボスがA組(一部)と取引して無人島試験での便宜を図るのと引き換えに以降毎月C組ボスへ2万ポイントを譲渡するという契約…、
アニメ観ていて「なんだこの契約内容、なぜこの内容で契約同意したんだ?」と即感じんたんだけど、、、A組って優秀な奴らの集まりじゃないの?俺がA組の一員だったらこんな契約絶対結ばんわ、バカばっかじゃんとそのクラス編成(A組の頭の悪さ)設定に納得がないのよね。

 

また主人公達が通う学校は名門校らしいのですが、D組、C組の中にはどうしてこんな奴らが入学できたんだ?という学力、素行の輩が居るのです。
(もしかしたらスポーツ推薦みたいな入学かもですが、それでも一定以上の学力は要求されるはず、名門校なら特に)
他にもC組ボスやD組の承認欲求のバケモノと称された女生徒の中学時代の過去の素行や事件など名門校が調べればすぐに分かりそうな事なのになぜ入学を許可されたのかね?

 

(話はアニメ感想から逸れますが「承認欲求」を悪い事の様に評する(この作品に限らず)世間の風潮に疑問を感じるのですよね。
「承認欲求」は昔っからある、自分は何のために生まれてきたのかという「自分探し」が、SNSというツールを得て派生したものだと考えています。
「自分探し」自体は言うまでもなく全く悪い事ではないのですが、SNSというツールで他者からの自己の評価、存在承認が簡単に得られる事から派生した「承認欲求」において悪評もまた評と考える人達が一部存在してそういう一部の人達の所為で(これも良くも悪くもSNSの拡散力の強さ故に)悪いイメージが広まっていると考えます。
「自分探し」と同義である(と考える)「承認欲求」自体は決して悪ではなく人間として自然とも言って良い欲求だと考えるのですが、一部のモラルを欠いた者達の行いのために「承認欲求」に悪のイメージがついてしまった事、
そして「承認欲求」(「自分探し」)の本来の意味も考えずその悪のイメージをそのまま受け入れ・使う媒体に疑問を感じるのですよ。
話を戻しますね…)

 

C組ボスなんかはバレなきゃ良いと平気で暴力使う奴なのですが、こんな奴が卒業して後々事件起こして発覚したら学校の名誉に傷が付くぞ…なぜ入学させたんだ?
もしかしたら学校側は素行不良の生徒は最初から卒業させるつもりはなく、こんな危ない奴らも上手くいい様に利用して勝ち残れる人材を育成する意味・目的があるのかも知れんけど、
それでも学校内で事件起こされたら元も子もないし(「よう実2」の最終盤のD組ギャル娘に対する仕打ちは犯罪レベルだったからね)、メリット以上にデメリットしか感じないという納得のなさなのよね。

 


最終盤の展開も暴力による解決で終わって、頭脳戦・心理戦を期待していた自分としては心底ガッカリな展開でしたよ。
まぁしかし、これで暴力担当のC組ボスが退場(扱い)になったので今後は頭脳戦・心理戦が期待できるのかね?
…いや、無理だろうね、、、頭脳戦・心理戦が今後あったとしてもその解決法は「カイジ」や「ライアーゲーム」に登場するモブキャラが思い付く発想を超えないだろうからねぇ…。


作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。


以上

アニメ「よふかしのうた」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「よふかしのうた」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


まず第1話を観て思ったのは、この作品はシャフト制作かな?でした。
正確に言うと、カメラワークを観てシャフトっぽいと感じたのですよね。
カメラワークは確かにシャフトだと感じたのですが、「っぽい」と感じた理由は本当のシャフト演出(新房演出)では背景を記号的描くからね…。
しかし、今作の背景は記号的には描かれていなかったのであくまで「っぽい」と感じた訳なのです。

 

で、監督か作監(総作監)がシャフト関係者かな?と思って調べたらビンゴ…、監督の板村智幸さんて方はシャフト、特に物語シリーズに携わられてたみたいね…なるほどそりゃシャフトっぽいと感じるのも納得ですわ。

今作の背景演出はシャフト(新房演出)っぽくないのが良くて、さらにあの夜の街の雰囲気の紫を基調とした独特の表現が面白かったですね。新房演出なんかより全然良いですよ。
(何話だったか忘れましたが、道路標識を背景にしたあの映像はまんまシャフト演出(新房演出)味を感じましたがね)

 


で、演出面の話はここまでで、続いてお話の内容や設定面について。
まず、第1話を観て疑問というか混乱したのが主人公の性格設定。
主人公は不登校になる前までは「学校生活を上手くやっていた」と語るのですが、その後の話で友達が一人もいないみたいな話になり「え?」と混乱させられます。
主人公の言う「学校生活を上手くやっていた」というのは何だったのか?ただ良い成績を取っていたというだけの事だったのか?
…しかし、「学校生活を上手くやっていた」旨を語る時のイメージ映像では友達らしき人物が主人公の机を囲んだりしていたのでそういう訳でもなさそう…、
と主人公の語る内容がちぐはぐ、イメージ映像(実際の教室風景の映像を切り取ったのかも知れない)も噛み合わないと初っ端から混乱しっぱなしなのです。
なんなの?結局主人公は成績が良いだけの陰キャという事なの?それとも学校・教室で仲良くしていた奴ら(イメージ映像の人物)は友達ではなくただ学校・教室でぼっちにならないためだけの表面上仲良く話をする関係だったという事なのかね?
と「上手くやっていた」発言の意味がよう理解できんまんま話が進むのよね。。。序盤の、それも主人公という大事なキャラの紹介・説明に繋がる話で混乱させる様な事やめて欲しいわ。。。

 

 

続いて、主人公のキャラだけでなくヒロインの吸血鬼のキャラもよう分からん。
下ネタは好むがウブなのか自分の恋話は照れる、しかしキスは平気…とその照れポイントがよう分からんキャラだと感じるのよ。

 

作者は本当にしっかりとキャラ設定できているのだろうかね?主人公といいヒロインといいブレブレでキャラがよう分からんのよね。
そして、キャラがよう分からんまんま会話をするからその内容にも納得がない(あ~このキャラならこういう反応するよね、こういう事言いそう、という説得力・納得がない)のです。
この作品は会話劇の様な側面があるのですが、上述している様にキャラもろくにできていない人物同士が繰り広げる会話劇なんてなんの面白みもテンポの良さというものも感じないのですよね。
よく知らない人たちがただ喋っているだけ、なのよ。会話劇を作るならまず何よりもキャラをしっかり造らないと…。。。

 

「だがしかし」の頃から思ってたけど、この作者はお話の構成とかキャラ設定があまり上手くないのよね。

 

今後のストーリー展開ってどうしたいんだろね?吸血鬼関連メインでやって行くのかね?それとも思春期的な成長や恋愛メインでやって行くのか、その方向性すら見えんからね。ストーリーにしても、キャラにしてもブレブレに感じてしまうのよね。

 


アニメーションとしての映像は面白く感じたけど、上記の様なブレブレ感が残念で
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。


以上

アニメ「金装のヴェルメイユ 崖っぷち魔術師は最強の厄災と魔法世界を突き進む」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「金装のヴェルメイユ崖っぷち魔術師は最強の厄災と魔法世界を突き進む」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


観ていて嬉しくというかニヤニヤしてしまった作品でしたね(特に序盤)。
それは特段ストーリや設定が良かったという訳ではなく、この作品に自分の好きなある別作品のオマージュを感じたからです。

 

最初は、空中庭園上の決闘場を見て、そして決闘場へと繋がる螺旋階段を昇る主人公を見て「絶対運命黙示録」が聞えてきそうな勢いで「ウテナ」を思い出したのですが、
まぁウテナのパロディが入ってるのかなぁくらいの感じでした。しかし、第4話だったかの「かしらかしら」のパロディ演出を見て、あぁこれは完全にウテナを意識している、原作者のウテナのオマージュなのだなと認識・確信したのでした。
(原作読んだ事ないけど、このウテナ関連の映像演出ってアニオリ演出ではなく原作の再現なんだよね、多分…)

 

それにしても20年以上も前に一度観ただけなのに今も強烈に印象に残っている「ウテナ」の決闘場や螺旋階段、絶対運命黙示録やかしらかしらの影絵少女…etcの映像演出、、、改めて幾原邦彦の鬼才っぷり異才っぷりを感じましたね。

 


で、「金装のヴェルメイユ~」のお話の内容についてですが、
特に語る事はないんですよね。特段悪くもなく特段良くもない…という感じ。
キャラクターについても表面的なキャラ付けのみで深み・魅力のあるキャラ造りとは感じず、主人公の周りのサブキャラ達もほとんど活きていない、ガヤ・賑やかしにしかなっていない、メインモブキャラと言い替えても良いくらいのキャラ造形にしかなっていません。
悪魔姉ちゃんのキャラ・過去話にしても、なんかこんな悲しい辛い過去がありましたよ~という過去にしかなっていなんですよね。
過去話から今の悪魔姉ちゃんのキャラに繋がないし、また悪魔姉ちゃんの強さ設定が分かるような話でもないしと、ただ薄く悲しい過去話というだけでしたね。

 

ストーリーにしてもキャラクターにしてもその他の設定にしても、取り立てて褒める所はない作品でしたね(酷く悪い所もないけどね)。

 


ただ、お話の内容以外でおっ!と目を惹かれた?というか耳を惹かれた?のが声優さんの演技について。
特にヒロイン役(悪魔姉ちゃんではなく幼馴染のヒロインの方)の演技、面白いなぁ頑張ってんなぁと感じましたよ(あとは主人公も演技頑張ってんなぁと感じましたね)。
これは中の人の資質・センスの話か?とも考えたのですが、ヒロイン役、主人公の二人でそう感じたという事は音響監督が良いのかもと思い確認したら納谷僚介さんという方でなんとこの方あの納谷六朗さんの息子さんみたいね、へぇ~。
中の人のセンスだったのか音響監督・納谷さんが良い仕事をしたのか定かではありませんが今後注目して行きたいね。

 

作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。


以上

アニメ「それでも歩は寄せてくる」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「それでも歩は寄せてくる」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。


からかい上手の高木さん」の作者の作品(最近で言えば「くノ一ツバキの胸の内」も)。
「からかい上手の~」の高木さん同様、ヒロインを可愛く描くのが上手い作者よね。
そしてアニメを観て視聴者(俺)にヒロイン可愛いと思わせた時点でアニメ制作側の勝ちな作品よね。

と、ヒロインの描き方が可愛いと感じた事は間違いなく本当なのですが、それと同時に危ういとも感じたのですよね。

 

この作品を観ていてヒロインを可愛く感じる要因は、主人公がヒロインに対して物怖じせず照れもせず面と向かって直接「可愛い」や「デートしたい」等の言葉を投げかけ、
それに対しヒロインが赤面してドギマギする様子が可愛く感じるのだと考えています。
(しかし主人公は「好きだ」や「付き合ってください」という直接的な告白はしないんですよね…それは告白するのは「将棋で先輩(ヒロイン)に勝った時」と決めているからであり、これについては第1話で主人公のモノローグでの説明入れてるのが良い、巧く効いてると思います)

 


しかし、これはヒロインが主人公に気がある・悪く思っていない、から成り立っているお話になるんですよね。
もしこれがヒロインが本気で嫌がっていたら・主人公の事が全くタイプではなくもし告白などされても全く付き合うつもりがないとしたら、連日の様に「可愛い」、「デートしたい」と言ってくる主人公はただの危ない奴になってしまうのですよね。


もしヒロインが主人公の事を純粋にただの将棋部の部員の一人、としてしか見ていなかったとしたら
~主人公の「可愛い」、「デートしたい」の言葉に対して、ヒロインが「そういうの本当にやめてください、真面目に将棋してください」と冷静に返されるような関係だとしたら~
この作品は成り立たなくなるんですよね。
(この作品に限らず「からかい上手の高木さん」の高木さんの西片に対する「からかい」も西片への好意がなく純粋にただ「からかって」いるだけだとしたら成り立たなくなる作品ですよね)


つまり主人公に対する「好意」が前提にあるから成立する話となっている訳で、、、何故だか分からないけど(納得のある理由・描写はないけど)最初から主人公に対し好意を抱いてくれているヒロインという描き方が、都合の良い男の願望のためにあてがわれたヒロインと感じられて(しかもこの作者の他作品のどのヒロインも押しに弱い感じのヒロインとして描かれてるのがまた…)危ういと考えてしまうのですよね。

 

今作のヒロインは特に深い(納得できる)理由もなく主人公からただ「可愛い」、「デートしたい」などと言われたから意識した・好きになったと感じられ、その軽さ・チョロインっぷりが男に都合が良いと感じられてしまうのですよね…まぁそこが可愛くも感じるのも確かだけど。。。

 


まぁ色々と原作のマイナス面を書きましたが決して全否定している訳ではなく都合の良い男の願望で全然OKむしろ好きで、アニメ観てヒロイン可愛いと思わせた時点でアニメ制作側の勝ちな作品で、
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。
(さすがにプラス評価にはならない)

 

以上