アニメ「ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん」 ~感想

録り貯めしていたアニメ「ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん」を一気観しました。
以下、多少のネタバレを含む感想となります。

 


転生しない悪役令嬢モノ。
実況の意味はあんまりよう分からんけどともかく解説は面白い、確かに可愛さが増すね、面白い。

リーゼロッテの心情を解説して表現するのが面白い…それは小説の地の文を読んでいる様な、キャラの心情描写の分り易さ・その表現に納得があり面白く感じるのですよね。

 

 

こういう事を書くとよく小説ではなくアニメ(小説とは違い文字だけではなく絵があるので)だから絵(画)で表現するべきだという意見があるのですが、
本当に絵(画)だけでキャラの心情を正確に描く事が出来ていれば良いのですが、多くの作品はそれが出来ていないから納得が足りないと感じる訳で…、というか絵(画)だけでキャラの心情を完璧に描く事はほぼ不可能だと思っています。


キャラの心情が複雑であればあるほどそれは難しくなり絵(画)だけで細かく正確に伝える事は困難になります。
だからこそ(俺の感想中でも良く語っている事ですが例えば無口・クールキャラ等何を考えているのか良く分からない様なキャラの心情を語る/表現する時などは特に)モノローグ等でキャラの心情を説明するべきだと考えるのです。

 

 

いやね例えば、小説のアニメ化作品において原作小説では地の文で描かれている心情描写・内容をアニメでは絵(画)で表現する/挑戦する、という事はあるのかもしれませんが、
それは原作小説を読んでないと/キャラの心情を予め分かっている状態でないと、伝わらない物になってしまっていると思うんですよね。

 

 

アニメを制作しているスタッフは当然、原作既読の状態であったり、各キャラの細かい心情を充分に理解している/共有された状態で作画作業を行っているはずなので、原作未読/アニメで初めて作品に触れる視聴者とは理解度に大きな隔たりがあり、キャラに対する高い理解度を保有した状態を前提として描かれた作画表現では、原作未読者/作品初見者には往々にして伝わらない結果になっているんですよね。。。

 

 

だからこそ俺はしばしば、このキャラは何を考えているか分からない、その言動に納得がない、その展開に納得がない…という感想になるんですよね。

 

アニメ/絵(画)を作ってる方はそりゃキャラの心情を充分に理解して作っているでしょうが原作小説を読んだ事もない・初見の人間が観て分かる様に作られていないとそれは表現に失敗しているという事だと思う訳なのですよ。
それは絵(画)だけ表現する事によって「考察の余地を残している」とか言うのとは別…それ以前の「失敗」という問題なのです。
絵(画)だけで伝えるという事に(観る側/視聴者/観客に「伝わっていない」のだから)失敗している事であり、また作品内で表現/演出している絵(画)だけでは相手に伝わらないという事が「分かっていない/理解・認識できていない」という事、そういう考えに至っていない事が失敗なのです。

 


またこれは原作在りモノだけではなくオリジナルにも云える事であり、内々に居る制作スタッフ側はキャラを充分に理解していて表現/演出を試行錯誤して拘った描写を考えているのかも知れませんが、そういう場合は得てして(内々だけで盛り上がって)やり過ぎて外側に居る視聴者には伝わらない/内へ内へ深く潜り過ぎて外からどう見えるのか分からなくなってる/自己満足の様な表現に至ってしまう事になるのですよね。

 


しかしだからと云って全てをモノローグやナレーションで説明するのも違う訳で…、
どういうキャラクターかというエピソードをある程度の尺を使って描くか、要所要所でモノローグやナレーションを使うか…、まぁ塩梅の問題よね。

 


で、作品感想からはちょっと話が逸れた感じですが、今作「~リーゼロッテ~」は解説するという手法でキャラの心情を表現するのが面白く、心情描写も分り易くなっていて楽しく観れたんですよね。
またリーゼロッテを破滅の運命から救うという1本の話の筋があるのと、それと当時に現代世界での不穏な影を見せてという構成で毎話毎話次の話が気になってみていましたよ。

 

 

あと、個人的に良いなぁと思ったのが、
「はめフラ」感想「悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました」感想内で語っていた「ゲーム世界への転生という事に納得がない」という点について。


上述した2作品とは違い、今作「~リーゼロッテ~」では俺の中で考えていた設定/これなら納得できるかと考えていた設定と同じ様な内容・解答を示してくれた事が嬉しかったですね。

 

主人公達が体験している(見ている)世界の出来事はゲームの世界ではなく実際に存在する異世界の出来事であった~
「ゲームの中」という人が作ったプログラム/データの世界という納得のない話・設定ではなく実在する異世界という形を示してくれた事~

に納得があり良かったと感じた訳です。

 

 


と、転生しない悪役令嬢物にまず、なるほどそう来たかと感心し、
解説するという方法でキャラの心情描写を行う事に興味深く思い、
そしてこの心理描写の妙によりホントにキャラが魅力的になり主人公達やジーク同様にリーゼのキャラが好きになってストーリーの行く末(破滅の回避、現代での不穏な影)が気になって毎話毎話楽しみに観ていました。
そして最終話、主人公達に守られていた存在のリーゼが逆に主人公達を守る・助ける存在になる最後の展開には燃えるものがありましたね。
ストーリーの構成・展開も良きで、「ゲーム世界」設定についての納得もあり、なかなかに面白く良い作品でした。

 

 

 

まぁそれでもいくつか気になる点はあります。

 

まず、主人公の一人・遠藤のキャラについて。
最序盤で見たのは落ち込み/ダウナーな感じのキャラクターだったのですが、中盤以降のノリノリハイテンションで実況している遠藤のキャラにあれ?お前そんなキャラだっけ?と違和感があったんですよね。一番最初の遠藤のキャラ見せを失敗してるんじゃと感じましたね。

 


次に、細かい所ですが、主人公達とリーゼ達とのやり取りがプログラミングされたゲーム画面を使っているという点。
表現として、プログラミングされたデジタルな画面でのやり取りではなくて実際の舞台(異世界)の状況を映し出す、とかの方が良かったのでは…と思う。
(ゲーム画面しか見えていないからこその物語構成上の仕掛け/ギミックがある(敢えてゲーム画面調にしている)というならまだ納得できますが…)
ゲームにプログラムされていないはずの場面がゲーム画面として表示されている事に違和感なのよね…リーゼ達の世界と繋がったら以降は異世界の映像(ゲーム画面ではなく実写映像)に切り替わるで良かったのではないかと考えるのですよ。
(そうしないと…ずっとゲーム画面だとしたら…、主人公2人にはゲーム画面(2次元、絵)のキャラクタービジュアルとして見えているのだとしたら、最終話の最後のシーン(2人が異世界に行く)で初めてリーゼ達のリアル・実物を見る事になる訳で…)
まぁあまり深く考えなくてもよい事だとは思いますがね…。

 


あと最後に、
作画はもうちょっと頑張って欲しかった感はありますね。。。

 

 

設定、キャラの見せ方・表現、物語構成・展開も良く楽しく観れた作品でした。
作品の評価としては、可もなく不可もなくとなります。
(2023年冬アニメでは「トモちゃんは女の子!」に次ぐ面白い作品でしたよ…どちらも良作ではあるのですが「良」評価までは行かないかなという感じですが)

 


以上